痴漢のお姉さん
古典の課題で寝不足になった日の放課後。
欲しかった人気ゲームの発売日であることを思い出した俺は、電車に揺られて隣の県の家電量販店へ向かっていた。
眠気が酷く、駅まで一緒に付き合ってくれた如月にも心配されるほど体調は思わしくないが、期待していたゲームのためどうしても当日に欲しかったのだ。
予約したゲームを購入し、ホクホク顔で帰路の電車に乗ったが帰宅ラッシュに巻き込まれたのか、車内は満員の人で溢れていた。
田舎路線は本数が少なく、混み合う時間帯が出てくるのは知っていたが、押し合いへし合いごった返しているのはウンザリする。
我慢するしかないと乗り込んで暫くしてそれは起こった。
お尻付近にさわさわとした感触を感じるのである。偶然かと考えたが、揺れでぶつかるのではなくはっきりとした意思を持って触られている気がする。
痴漢か。
頭に浮かんだのはそれだった。
この世界に来てから痴漢されるのは初めてではない。
短い時間だけ触ると消えて、誰が触ったかわからなかったり、誰かが降り際に撫でるように触られたりと、個人を特定することができない件ばかりで、犯人を捜すよりも、上手くやるもんだなと感嘆したほどである。
ただ、今回のは少し様子が違った。長い時間触り続けているのである。
一向に止める様子がない。荷物かなにかが当たってるだけかとも思ったが、手の感覚がするので間違いなく痴漢だろう。振り返って確かめてもいいが、満員電車では身体を動かそうとすると隣の人にぶつかってしまうので憚られる。
見知らぬ誰かに触られているのは不快だが、我慢できないほどではない。
男の固い尻なんて触ってなにが楽しいのやら。
そうこう考えてるうちに、体調どころか気分まで悪くなってきた。揺れで酔うことは少ない体質だが、風邪でも引いたのかもしれない。吐き気まで襲って来て、立っているのも辛くなってきた。
未だ触られて続けているが、気にしていられない。息苦しい憂鬱にくすぐったい不快さを揺れるたびに感じるのだ。
背中には汗が滲み出ている。次は最寄り駅ではないが、降りて休んだ方がいいのかもしれない。呼吸が整わず悄然と俯いていると、尻を撫でていた手が伸びてきて
「待てや! どこ触ってくれとんねんコラァ!」
思わず吠えた。ギョッとした視線に晒されるが、構うものか。伸びてきた手を掴み上げて掲げる。
臀部ぐらいなら許すが、息子は許さない。そこは絶対にダメだろう。
男とはいえ、見知らぬ誰かに許すほど甘くないつもりだ。
その先には怯えた表情の、スーツを来た女性の姿があった。周りの人ごめんなさいと心の中で謝りながら、掴んだ手を引っ張って引き寄せ、顔を眺める。
いたいけな表情には終わったと絶望的な目つきを浮かべているが、整った眉毛に色が抜けるほど溶けそうに白い肌。はっきりといえばめちゃくちゃ美人だった。
なんでこんな美人が痴漢なんかしたのだろう。間違えたかなんて疑問が浮かぶ。触られた手をそのまま掴んだから、間違えたわけではないはずだが、未だに信じられない。
胃から込み上げてくる嘔吐感を飲み込みながら、次で降りますよと女性へ告げた。
はい……と雪が解けるような小さな声も可愛らしい。いったいなにがあったのやら。
車内で怒鳴ったせいか、吐き気が悪化していた。駅員を呼びに行く気力もない。
田舎のローカル線は電車がなければ人気も少なくなる。待合の椅子に座って堪えていると、連れて降りた女性は困惑して立ち竦んで、ごめんなさいと謝罪を繰り返していた。
「え……貴女、触りましたよね」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
涙を流して謝るばかりで話が進まない。
美人はズルいな。泣いているだけで絵になってしまう。じっくり眺めながら話を聞きたいところだが、そんな余裕は失っていた。
「ごめんなさ……え?」
拘束しているわけでもないのだから逃げてしまえばいいのに、人が良いのだろうか素直に待っている。
袋を取り出して準備完了。さっき購入したソフトの袋があって助かった。様子がおかしいことに気が付いたのか困惑の声が上がるが、もう駄目だ。
「あわわわわっ! だ、だいじょうぶですか!? きゅ、救急車!?」
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」
「い、いえ。こちらこそすみませんでした」
惨劇から十分後。すっきりして落ち着いた俺は、ようやく女性とまともに話することができた。
彼女は大宮桜さん。背中を擦ってくれたり、水を買ってきてくれたりと、色々親切に介抱してくれていた。
近くに住むOLで、俺を彼氏と見間違えたらしい。触って振り返った所を驚かせるつもりだったとか。いつまで経っても振り返らないことに業を煮やし、前まで手を伸ばしたところで勘違いに気が付いたとか。
軽挙で馬鹿な行動としか言いようがない。もし彼氏じゃなかったらどうしただろう。
実際、間違えていたわけだし、悪気なしに犯罪者の仲間入りである。
「もうこんなことやめてくださいね」
「は、はい! 身に染みて痛感しました! 二度と致しません」
本来なら駅員に突き出して警察を呼ぶところだが、その気も失せた。
辛いときに介抱してもらった恩もあるし、悲しい男の性だがこんな美人になら、触られても喜びこそすれ悪い気はしない。
「あの、ほんとにいいんですか?」
「いいんですよ。なにもなかったことにしましょう。早く帰ってゲームしたいですしね」
痴漢は許せない犯罪だ。はっきりそう言える。
だが、被害者が不快に感じないのなら罪ではないだろう。この様子だと再犯することもないだろうし、なかったことにしてもいいじゃないか。
たまたま彼氏と見間違えたが、たまたまあべこべの許せる俺だった。運が悪かったが、運が良かった。そういうことにしておこう。
「それ、私も買いました。発売日楽しみにしてたんです」
「ほんとですか!? やり込む予定なんですが、良ければ一緒にやりません? 帰ったらフレコ送るんで連絡先を」
「わかりました。ではここに…………ってこんなことしていいのかなぁ」
声が小さくて最後の方は聞こえなかったが、大したことじゃないだろう。
なんだかんだで、美人の痴漢のお姉さんの連絡先ゲットである。ゲーム友達は少ないので、趣味の合う人が増えて嬉しい。マルチクエストはソロより複数でプレイする方が効率良いのだ。貴重な人材である。
災い転じて福となす。触られたことなど忘れて、その日は夜遅くまでゲームに没頭したのであった。
早く狩りがしたいです。発売までまだまだ長い……