エロ本
「これだから女子は……あたまおかしいんじゃないの!」
「女が変態なんて当たり前でしょ!? なにいってんだか!」
「お願いだからアンタを女の基準にしないで……」
後輩とデートしたりと嬉しい二連休を満喫し過ぎて、古典の課題が残っていたことを思い出したのは、日が変わり、寝る寸前のベッドの中だった。
明日の時間割は一限古典。寝るまでに源氏物語の翻訳を終わらせなければならない。
性も初恋も知らない男の子を、理想の王子様に育て上げるおねショタ物語を訳すのは苦労した。
寝惚け眼を擦りながらで、寝た時間が遅かったため少し寝坊してしまい、ぎりぎりになるから先に行けと如月に連絡して一人教室に着いたのは、朝礼五分前の事である。
ガヤガヤと教室が騒がしい。
教壇のところで生徒が男女別れて集まり、なにやら言い争いをしているようだ。
女子の先頭で口火を開いてるのは、誰だったか名前が思い出せないが、近藤の友達グループだった気がする。当の近藤はその横で呆れた顔をしているので間違いないだろう。
「ほんとキモいから、学校にエロ本持ってくんなって、何度注意すればわかるわけ?」
「女がエロ本持ってきて、なにが悪いんだか。それが私にはわからないね」
「いや、校則で学問に不必要なもの持ち込むべからずって書いてあるけど」
「稜子はちょっと黙ってて!」
なにを騒いでいるのか興味はあるが、連休明けと寝不足と身体には気だるさが残っている。とぼとぼと席まで帰ってきた近藤が、はぁ、とため息をついた。
「ヒロくんおはよ、いつもより遅かったね」
「おはよう。ちょっと課題に苦労してな」
「あ、そういえば古典課題あったっけ……わたし終わってないや」
絶望じみた表情を浮かべる近藤に、俺はノートを手渡した。
「ほれ、貸し一な。ところで前でやってるのはなんだ?」
「ありがとー! あれは変質者が騒いでるだけだからヒロくんは気にしなくてもいーよ」
変質者とな。
必死にノートを写し始める近藤から、騒ぎの元凶へと視線を向ける。
騒ぎは白熱しているようで、言葉には熱がこもっていた。手には一冊の本。俗に言うエロ本だった。
「これはね、一族を滅ぼされた女が、仇の男に復讐する話なの。一族復興のため種馬にして生涯飼い殺しにして過ごすのよ」
「やめろ! お前の性癖なんて聞きたくない!」
女子がぐいと男子に迫って、手にした本を見せつけている。嫌がるように目を背けた男子は半分涙目だ。
女がオープンスケベで全開な世界だとしてもこれはやり過ぎじゃないのか。男にも性欲はあるだろうが、無理やり押し付けられていい気はすまい。これは、ただのセクハラである。
そろそろ冗談の域を超えているんじゃないのか。周りの生徒は空気に飲まれてか、誰も止めようとしない。
白熱している女子の中に割り込んで、先頭の女子のすぐ真後ろに立った。
「はい、没収」
「ああっ! なにするのよ!」
慎重さを生かして、女子手にしていたエロ本を取り上げた。
驚きの声が上がるが、取り上げたのが男の俺だったのをみて、にやにやとした顔に変わる。
「なによ、広瀬クン。エロ本に興味があるの?」
まるで、前の世界のいやらしい中年オヤジのようだ。
教室中から視線が集まる。男子からは冷え切った視線が向けられているが、この女子は知らぬ顔だ。
「興味あるなら本の一冊ぐらいあげてもいいんだけど、代わりに身体で支払ってね」
男子からの視線が、冷たいを通り越してゴミを見る目までに落ちた。
同級生の女子とはいえ、ここまで下卑た瞳で全身を舐めるかの如く眺められるのは気分が悪い。肉欲でだけ求められると、ここまで身の危険を感じるものなんだなと実感した。
無視して踵を返してもいいのだが、それだと教室の空気が悪くなるだろう。後から迫られても面倒くさいし、ここで解決してしまおう。
「うえっ! あっ! ええっ!」
素っ頓狂な声が漏れる。俺はふらついていた女子の手を掴み、自分の胸へとぐりぐり押し付けた。
教室中に悲鳴とも歓声ともいえぬ声が反響する。茹蛸のように顔を真っ赤に染め上げ、ぽーっと熱のこもった瞳はうるんでいた。
小さな口は半開きに開き、蛍光灯の光に反射して、垂れた涎がてかてか輝いていた。
もう少し擦るなり握られたりなど、胸を乱暴に扱われるものだと思っていたが、掴んだ手はされるがままに脱力している。指にすら力が入っておらず、せいぜい心音が感じられるぐらいだろう。
あれだけスケベでエロイことを叫んでいたのだから、もっと男の胸を堪能するものだと思っていたがなにもしてこない。もしかして胸だと女は満足しないのだろうか。でも周囲の反応は激しいし、効果があっていて欲しい。
もしかすると口だけ童貞みたいなものかもしれない。口では色々叫ぶが、経験はなくいざというときなにもできない人。前の世界の俺がそんな感じだったので、少し親しみが沸いた。人に迷惑かけているので同じとは思わないが。
……そうだよ、童貞だよ。ほっといてくれ!
「これでいいよな。じゃあ、もらっていくぞ」
こくこくと無言で首を振ったのを確認して、掴んでいた手を放す。
周りからは注目を集めているので気恥ずかしい。俺としては胸なんか触られてもなにも感じないし、朝礼が始める前に騒ぎが収まるならとした行動なのだが、公衆の面前でやるには刺激的過ぎたか。
こんな時に俺まで照れてしまうと、騒ぎが大きくなってしまう。なんともなかったという悠然さを出せば、もしかして大事でないのではないか、と騒ぎ立てることを躊躇するだろう。平常をアピールするのだ。
なにごともなかったように、くるりと踵を返し席へと戻る。いつの間にか写す手を止めて、こちらを見つめていた近藤の机に、獲得したエロ本を置かせてもらう。
「すまん。成り行きで手に入れたんだが、あいつ近藤の友達だろ? また返してやってくれ」
「ごめん。それ無理」
近藤は置かれたエロ本を手に取ると、バリっと真っ二つに引き裂いた。
単行本サイズがびりびりの紙くずに変わっていく光景が、目の前で繰り広げられる。
散らばる紙くずには注意を向けず、じっ、とこちらを見つめながら
「なにしてたの」
こわい! めっちゃこわい!
目に光はなく、吸い込まれてしまいそうな漆黒の瞳がこちらを捉えて離さない。
暫く見つめ合った後、近藤は無言で立ち上がると呆然と立ち尽くすエロ本の持ち主の胸倉を掴み上げた。
「桃子。屋上」
「はっ! え、まって稜子。私ちょっとトイレに行かなきゃまずいんだけど」
「屋上」
「ほら、朝礼ももう始まるし時間な「屋上」」
桃子と呼ばれた女子を、引き摺るようにして近藤は教室から出て行った。
二人は朝礼どころか一限が終わっても戻ってくることはなかった。聞いた話によると、屋上には血と涙の花が咲いたらしい。
散らばったエロ本の残骸は俺がまとめて回収しました。女性向けって男性向けより生々しかったことだけ伝えておきます。
※斎藤桃子先生の本名は今後出る予定はありません。