光の欠片 三 (妹の受難)
光と影。兄と私の関係を表すのにこれほどぴったりな言葉はなかった。
太陽のように明るく行動的な兄に対し、私は影が薄く、友達もいなかったためいつも兄の傍に居た。
そのためだろう。兄の周囲からは「空の妹」「妹さん」と呼ばれていた。
もっとも、そうなったのもすべては人見知りで臆病で地味な私が原因。
兄はそんな私をいつも気にかけて連れ出し、兄と共に周囲も遊んでくれていた。
そんなときだった。姉さまと出会ったのは。
お嬢様のような格好をした姿、大人のレディを意識した言葉遣い。そして何より尊敬していた兄を従えていた衝撃。
そんな姉さまは私を見るなり手を掴み、部屋へと連れ込むと私に衣装を着させてくれた。今思えばとても派手で恥ずかしい格好だったのかもしれないけど、当時の私はアイドルやヒロインになれたような気がして、地味だと諦めていた私を何か変えてくれる気がした。
そんな経験をしてから私は以来、姉さまと遊びたいと兄に頼むようになった。
兄も、私お願いに驚きながらも笑顔で頷き、それ以来姉さまにはよくしてもらっている。
今思えばそれが私にとってのきっかけだったのだと思う。
姉さまからおしゃれを教えてもらった私は少しずつ自信を持てるようになった。
そうすると同級生の女子達とも少しずつ話す勇気を持てるようになり、兄が中学生となって一緒に遊べなくなった頃にはごく普通の女子としての日常を過ごせるまでなっていた。
私を変えるきっかけをくれた兄と姉さま。いつか私も同じようになりたいと願っていた。
そんなときだった。兄が突然変わったのは。
それはいつものように日の暮れた時間に兄が学校から帰ってきたときのこと。
「あ、お帰りお兄ちゃん」
「……ただいま」
いつものように、兄を笑顔で出迎えると、兄はいつもと違い笑顔に力が無くかった。
「何かあったの?」
「……何でもない」
心配した私が尋ねても、兄は力無く微笑み、私の頭をポンと軽く乗せるとそのまま部屋へと戻っていった。
「……姉さまと喧嘩でもしたのかなぁ?」
私は最初、その程度にしか考えていなかった。
しかし、それ以来兄は帰る時間が少し遅くなり家に帰るようになり、疲れているのか部屋に篭るようになった。最初は部活に疲れているだけ。そう思ってただ見守っていた私は、いつの間にか話す機会を失ってしまいとうとう私が中学生になっても話す機会すら失っていた。
そこから、私が兄と再び関わるのは中学生となり、部活も決めてようやく教室が落ち着き始めた頃だった。
年が一歳違いだった私は兄と同じ中学に入ると、タイミングを見て兄のクラスへと向かった。
小学生と中学生。今まで離れてすごしていたけど、今は同じ中学生。同じ中学生ならきっと兄が再び同じように遊んだりしてくれる。忙しくて無理でも休み時間に少しくらいは話をしよう。そう考えていた。
ようやく、兄の教室を知り、ドアから兄を探して見つけたとき、ほぼ同時に私を見つけた姉さまが立ち上がってやってきた。
「こんにちは。ちょっといいかな?」
「え?あっ……でも」
私は兄の方をちらりと見たが兄は黙々と本を眺めていて気づく様子はない。
「……わかりました」
別に急ぎでもない私は頷く。
姉さまが向かった先は屋上前の扉だった。姉さまはドアノブに手を書け鍵がかかっているのがわかると諦めてため息をつき、私の方を振り返って微笑む。
「本当は明るい所で話したかったんだけど……久しぶりね。曙美ちゃん」
「お久しぶりです姉さま。……て、あれ?私の名前、覚えて下さってたんですか」
「当たり前じゃない」
姉さまは私の問いに驚いた顔をした後、再び微笑む
まだ劣等感の強い私にとって、その当たり前がとても嬉しかったが、今は兄の事が気になっていたので話を戻す。
「あの……何かあったんですか?」
私の問いに姉さまは複雑な表情をした。
「それはね……話すべきことじゃないかもしれないけど……」
姉さまは少し迷ったようだったもののじっと見る私に諦めたのか話してくれた。
そこからの話は驚くべき内容だった。兄が有栖という女性と出会い、いろいろあった末に兄は既に部活をやめ、孤立している。そんな経緯を突然知ることになった。しかも、それらはどれも私の知らない話だった。
「……そんな事が」
私が驚きながら呟くと、姉さまが申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさいね」
「あ、いえ謝らないでください。どうせお兄ちゃんが勝手に……」
そこまで言って、ふと姉さまの話に疑問が浮かんだ。
「そういえば、有栖さんってどんな方なんですか?」
「そっか、まだ知らなかったわね……」
そう言うと姉さまは少し考えた仕草をした後、私を迷うように見ながら尋ねる。
「会ってみる?もしかしたらあなたなら何か良い解決方法を見つけれるかもしれないし」
姉さまからの思わぬ提案に私は迷った。
ただ、姉さまが嫌な相手を紹介しようとは思わないだろう。私は少し考えた後、意を決して頷く。
「はい。会ってみたいです」
「なら決まりね。相手の都合もあるし、私は部活があるから無理かもしれないけど、大丈夫?」
問いに私は頷くと姉さまはすぐに携帯をとり連絡をとってもらい、その場はそれで話を終えた。
それから数日後。
その日、部活を休んだ私は姉さまから教えてもらった場所へと向かう。
「……えっと、待ち合わせはたしか駅近くの喫茶店で……」
私は喫茶店を見つけて探そうとするが、その必要はなかった。
白銀の髪、見覚えのある姉さまと同じ制服。有栖という女性が喫茶店に入ろうとする姿が見えた。
私は慌てて駆け出し声をかける。
「すいません!有栖さんですか!」
白銀の女性は私を見て驚いた表情をした後、気づいたのか、少し寂しげに微笑みながら頷く。
「はい……あなたは、上野くんの妹さん?」
「はい!はじめまして」
「こちらこそはじめまして。話は佐山さんから聞いてます」
お互いに軽く最初の挨拶を済ませると一緒に喫茶店に入る。
私はジュース、有栖さんは紅茶を頼み、早速話を始めた。その内容のほとんどは既に姉さまから聞いた話と同じものだった。ただ、唯一違うこと。
「ただ、私は上野くんが犯人かは今も疑問なの」
「え?」
私に気を使っているのかと思い、有栖さんを見たが苦笑いした。
「本当よ。本当に上野くんが犯人と思っていたら妹のあなたに会う理由もないし」
「だったら……」
私が言いかけた所を有栖さんは制止する。
「言いたいことはわかっているわ。でもね、私は不安なの。『ルナティック』て聞いた事くらいはあるでしょ。もし、それが本当だとしたら……今回の件だってすべて私せい。そう思うと……」
「それは……誰かに相談されたりしました?」
私の問いに、有栖さんは顔を左右に振る
「いいえ。あなたが初めてよ……もしかしたら上野くんとあなたは似ていたから話せたのかも……」
私は言葉に詰まった。
いざ、事情を確かめてみれば兄も有栖さんも双方を気遣っているだけだった。
しかも、両者が思いやるあまり、望まない方向に望まない形で。
有栖さんの気持ちを聞けてない姉さまを推し量れば苦労していることは想像できたが、現状を打破する良い方法はなかった。
「あなたは……私と話していて怖くない?」
「どうしてですか?」
「だって、私と話すと不幸になるって噂もあるし……」
私はその問いにため息をついて答える。
「興味ないです。むしろ、不幸でも何でも巻き込んでくれた方が私は嬉しいです」
「上野くんと似たような事言うのね」
「兄妹ですから」
お互いに顔を見合わせて微笑んだ。
その日から私と有栖さんは定期的に会うようになった。お互いに部活があるため、日曜日限定ではあったものの、兄と有栖さんとの関係さえ修復できればすべての問題が解決すると信じていたし、それをためらう理由もなかった。
そうやって私と有栖さんが出した結論。
もう一度、一番最初からの出会いから始めればいい。
その結論に至り、満月の日に兄を神社に向かわせる計画を練り、有栖さんは頃合いを見計らい姿を現す。
そして、一緒に夜空を眺めて話すという、まるでデートみたいな内容の計画だった。
「よし!」
私は兄の部屋に手紙を置いた。宛名は有栖さん。内容は今晩、一番最初にであった場所で話をして、もう一度最初からやり直したいという内容にした。そして、兄が手紙を読んだのを確認し、飛び出していったの見てから私は有栖さんに連絡した。
そして、私が後からこっそりとおいかけて見守る。まるで自分がかつての兄になったようなすべてが完璧な計画。
しかし、神様は私たちに微笑んでくれなかった。
神社手前の特に信号もない交差点。私は遅れて向かっていると神社前に救急車が来ていていた。
「事故?」
嫌な予感がして私は近づくとその光景を見て驚く。、
事故にあったのは兄だった。あと一歩ですべてがうまくいく。その手前ですべてが台無しになった。
私は慌てて駆け寄り、同伴者として一緒に救急車に乗り有栖さんには中止を伝えた。
兄が次に目覚めたときから中学時の記憶を失っていた。
一時的に入院することになり、当時の事故が起きた理由も覚えていない兄は見舞いに来た私を見て微笑む。
「ありがとう」
そう言いながら微笑む兄に私は微笑み返すことができなかった。
あと一歩だったはずの悔しさもあったが何より兄の事故の原因が自身だと理解していた。
なのに私を見優しく微笑む顔が私に罪悪感を与え、後悔で胸が痛んだ。
「……バカ兄貴」
その日から私は兄を見る度に、あの日を思い出し、兄に当たるようになった。
それからしばらくしてだった。
兄と私との一件を知った有栖さんが髪を黒く染めたのは。
結局私は二人の関係を修復しようとして失敗し、最悪の結果を残した。
* * *
ずっと他の誰にも言えなかった事を言った妹は泣いていた。
「……そんなことが」
俺は言葉に詰り、佐山嬢を見るが、同じく困惑していた。
佐山嬢も知らない出来事だったのだろう。
「……あと一歩……あと一歩だったのに……」
泣き続ける妹。俺はベッドから立ち上がると妹を抱き寄せ手を頭に軽くのせる。
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
泣きながら誤る妹に俺が言える言葉はひとつだけだった。
「ありがとう」
謝る妹に対して妹が泣き止むまで、俺は何度か呟くようにそう言った。