その五の3 ドナドナ禁止?!~著作権:フレーズ・歌詞~(2016/12/22 JASRAC対応を追補)
著作権シリーズ、第三回。今回は『フレーズ・歌詞』についてです。
細かい話をする前に、ちょっと事例の紹介から先に行きましょう。
《例文1》
「ホラ、笑おうよ。
太陽が見ているよ?」
《例文1ここまで》
……何の変哲もない、子供を慰める為の、ただの言葉です。ところが。
《例文2》
「ホラ、笑おうよ。
太陽が見ているよ?」
【注:この台詞は、〔今野緒雪著『マリア様がみてる』集英社コバルト文庫〕のオマージュです】
《例文2ここまで》
これで、この言葉は『引用』です。
言葉自体は、何も変わっていないんです。ただ、脚注掲記することで、ただその言葉に別の意味を加えてしまっただけ。
これで少女同士の恋愛(注:「マリア様がみてる」は本来少女同士の恋愛を主軸に描いた小説ではないが、そもそも「疑似恋愛としての同性愛」「偶像崇拝に準じた師弟愛」を描いた為事実上の同性愛小説として認知されている。作品の本旨はともかくとして、「百合小説」「GL小説」のはしりとなったことは歴史的事実)の要素が含まれていたら、《例文2》のように脚注掲記しなければ、『盗用』と認定される恐れもあるのです。
『フレーズ』に関して恐ろしいところは、ここ。
先日、あるなろう作家さんに問われました。
「『――で……に出会った』という文章がある作品は、全て『森のくまさん』の替え歌扱いされるのか?」
「森のくまさん」。JASRAC管理コード087-1453-3。
作曲:アメリカ民謡(著作権消滅)
作詞:アメリカ民謡(著作権消滅)
邦詞:馬場祥弘(2016年5月8日現在存命:著作権JASRACに全信託)
結論をいうと、それだけでは当然著作権法には抵触しません。
が、そのフレーズに「♪」やその旋律に合わせて「~」などの記号がが挟まっていたら、それは誰しも『森のくまさん』の替え歌であることを連想するでしょう。
実際、それが替え歌(オマージュ)か否かというのは、誰よりも作者自身が知っていることなんです。作者が、そのフレーズを書いた時、何を思って書いたのか。
遥か昔に聞いた歌詞や読んだ小説の文言。そのことを忘れ、しかしそのフレーズだけが何故か記憶の深淵から浮かび上がってきて、そこで書いてしまったのかもしれません。その場合、著作権侵害には問われないでしょう。
けど、それを思い出したのなら。それはその瞬間から、著作権侵害なんです。
つまり本来、著作権侵害というのは、誰かに指摘されるより先に、作者自身が自覚している筈のものなのです。だからこそそれを指摘されると、「いや、俺はそれを知らなかった。忘れていた。そんなことは意識していない」と言い逃れるのです。
実は、筆者自身も同じことがありました。
作品を執筆していて、あるフレーズを書いた直後。「アレ、このフレーズ、どこかで読んだよな?」
それから本棚にある全部のラノベをひっくり返し、「あれは指導者の立場から後進に告げる言葉だから、この本で描かれている可能性は無い筈だ」「では聖書とかからの引用か?」
で、ネットでも検索。見つからない。
三時間ほど色々な形で調べて、でもその影も見つからない。諦めようと思ったその時、そのフレーズに引き摺られるように「フェルマーの最終定理」という文言が浮かびました。
「そうだ。あの話は少年が数学についてちょっと面白いことに気が付いて、それを友人に披露したのを聞きつけた老数学教師が言った言葉だったんだ」
そこまでわかれば、あとは簡単。その内容を含む小説を本棚から探し、しかも物語の最終章周辺だったことも思い出したので、該当頁を繰ってみたら。
そして、ようやく見つけました。もう16年も前に刊行された小説だったのですけどね。
話を元に戻しましょう。フレーズについて。
「小説家になろう」には、「歌詞転載のガイドライン」というモノが定められています。これはあくまでも『歌詞』に限定したものですが、『フレーズ』と置き換えても通るでしょう。
なので、おさらい。「小説家になろう」の、歌詞掲載に対しての対応基準(2016年05月08日現在。以下特別な表記が無い場合は同じ)は、
■ 作詞家・翻訳家の没後50年が経過している場合は著作権の保護期間が失効しているとして原則対応対象外
■ 部分的な掲載であったとしても、楽曲の特定が行なえる場合は著作権侵害として対応対象
■ 同人、インディーズ作品の歌詞の無断転載も著作権侵害として対応対象
(許可を得ている場合はその旨の記述が必要)
■ 権利者の申し立てがあった場合は、これに従う
そして「掲載が確認された際に対応の可能性のある例」。
□ 作者が歌詞の掲載を自認していることが明らかな場合
□ 掲載許可を得ている旨の記述が確認できない場合
□ 掲載歌詞と著作物の比較、楽曲の特定が可能な場合
……この基準、つまり前話で表示した「著作権侵害の基準」と同一です。つまり、「なろう」は法律準拠、と考えて良いようです。その一方で、「対応の可能性がある例」は、訴訟を提起された場合まず間違いなく敗訴するから、「なろう」を運営している株式会社ヒナプロジェクト様としては連座で責任を追及される前に即時対応する、ということになります。
反面、「問題となり難い例」。
□ 曲名のみの掲載
□ 作者が歌詞の掲載を自認していることが疑われる場合(偶然の一致)
□ 歌詞の掲載許可を得ており、その旨が権利者の指定する方法にて明示されている場合
□ 掲載歌詞と著作物を比較することが文章量的、内容的に困難な場合
これは、ヒナプロジェクト様の限界ですね。
専門家ではないのだから、これ以上は対応しきれない、と。
けど、実はこれは「対応基準」の「権利者の申し立てがあった場合は、これに従う」に掛かってきます。だから、「これは偶然の一致だから、大丈夫」とは誰も言っていないんです。
けど、この基準を厳格に適用すると、『ドナドナ』って言葉が使えなくなるんです。
より正しくは、『ドナドナする(される)』という用法。
「ドナドナ」。JASRAC管理コード0D0-3220-9。
作曲:ユダヤ民謡:SECUNDA SHOLOM SHOLEM(1974年没)
作詞:ユダヤ民謡:ZEITLIN AARON(1973年没)
邦詞:安井かずみ(1994年3月4日没:著作権JASRACに全信託)
「ドナドナ」というのは、(Wikipediaの『ドナドナ』の項に拠れば)牛追いの掛け声なのだそうです。原語の発音は「ダナダナ」が近いのだとか(「ドナドナ」または「ドンナドンナ」は英語発音。「アドナイ」《わが主よ》の短縮形なのだそうです)。
つまり、言語の意味するところで『ドナドナ』という言葉を使用するのなら、「連行されるものを周りで見ていて囃し立てる」時に使うのが適切であり、連行される様子そのものの比喩として『ドナドナ』を使うのは、民謡『ドナドナ』のフレーズの引用に当たるんです。
そして、これは『一般名詞化』されていると定義されてはいません。
なら、これを使うのは立派に著作権法違反に該当します。
ちなみに、この件を「なろう」運営に問い合わせてみたところ、「短いフレーズでの使用に関してまでは目くじら立てるつもりはないが、権利者の申し立てがあった場合に於いてはこの限りではない」という回答でした。
こう考えてみると、「他者の著作物の流用をしない」ということは、事実上不可能であることがわかります。なら、その『内容』『固有名詞』『フレーズ』が他人が権利を有するものであるか否かを自覚し、そうであるのならその権利者の権利を侵害していない使い方か否かを確認し、その上で「なろう」の規約や法律等に認められた使い方を心がける必要があるのではないでしょうか。
《 2016/12/22補足 》
別件で、「なろう」に著作権管理楽曲の歌詞を掲載する方法について、JASRACに問い合わせてみました。
JASRACの規定では、「非営利目的であれば使用料等は発生しない」となっているものの、「その確認の為にJASRACへの問い合わせ必須」とされていたからです。
結論は、「当事者適格無し」。
「営利・非営利の判定はサイト単位で行う」必要がある為、その確認及び手続については、あくまでも「サイト管理者が申し出て、必要ならば使用料等はサイト管理者が支払うものとする」ということになるそうです。
一方で、なろうを主宰する株式会社ヒナプロジェクト様と、我々なろうユーザーの間で、金銭授受は発生しない、というのが原初のルールにあります。
よって、運営がユーザーに代わってJASRACに許諾を求めることはなく、即ち許可が下りることはありません。
規約の、「問題となり難い例」に挙がっていた、
□ 歌詞の掲載許可を得ており、その旨が権利者の指定する方法にて明示されている場合
は、あくまでもJASRAC他著作権管理団体を介さない、原著作権者との直接やり取りに於いて許可を得ることが出来た場合に限る、ということです。
(3,624文字:2016/05/08初稿 2016/05/09表現の一部を訂正 2016/07/03誤字修正 2016/12/22歌詞掲載に関しての情報を追加)