その五の1 「ツンデレ」という言葉を最初に使ったのは、誰?~著作権:内容~
既に述べましたが、『小説の書き方』といった類のエッセイでは「…の使い方」のような文章が必ずと言って良いほど書かれています。そして、その多くは「これがルールなんだから、それを守らなければ駄目」という形で文章が締められています。
が、一方で著作権関係のルールが述べられたエッセイは、なかなか見つけることが出来ません。……と思いながら、「小説家になろう」の詳細検索で、ジャンル〔エッセイ〕で検索ワード〔著作権〕〔小説の書き方〕として検索を掛けた結果、該当0件。〔著作権〕だけだと、該当7件。うち3件が作品の著作権の所在をあらすじに謳っていた為引っかかったもので、残り4件はどれも「著作権のバカヤロー」という内容でした。
何故か?
理由は二つあると思います。
一つは、著作権問題が難し過ぎるから。
『小説の書き方』のエッセイを書いているなろう作家が、別作品で著作権侵害をしていたなんていう話は、幾らでも転がっています。
自分でもよくわかっていないテーマだから、賢しら気に語ることが出来ないというのは、ある意味で正常だと思います。もっとも、「自分も良くわかってないけどこれはこうだと思う。間違っていたら指摘してください」なんていう内容のエッセイを書く人もいない訳ではないから、必ずしもそうだとは言えないでしょうが。
実は、著作権問題、より正確には『正しい引用の仕方』を学ぶのは、大学に入ってからなのです。
大学(学部)の卒業論文。それは、『正しい書籍検索の仕方』と『正しい引用の仕方』を学ぶのが、裏の目的です。現役高校生や高卒で社会に出た人、或いは「俺の大学は卒論じゃなくレポートで単位を貰えたぜ!」っていう人。そういう人たちは、それを学んでいないのですから知らなくても当然でしょう。「え? 俺卒論書いたけど、そんなこと知らないよ?」っていう人。貴方は論外です。
もう一つの問題は、責任を負いきれないから。
『小説の書き方』を論じている訳ですから、「このような書き方をすれば問題なく、このような書き方をすればアウトだ」などと書けば、「その通りにやったのに、運営に盗作を指摘された。責任を取れ!」と言われたら。誰だってそんなことは嫌です。だから、「君子危うきに近寄らず」。誰もこの問題に手を出したがらないのです。
さて。他人批判はこのくらいにして。
本題に入りましょう。
著作権問題の厄介なところは、「ケースバイケース」の一言で決着が付いてしまう点にあります。
つまり、「白か黒か」ではなく、「白か灰色か黒か」でもなく、「白か灰色か」で判断することになる、ということです。
著作権侵害が罪に問われる流れは、
1. 著作権侵害が指摘される。
2. 権利者が侵害している旨を訴える。
3. 裁判所が著作権侵害の事実を認める。
4. (内容が悪質乃至は公益に反する場合)刑事罰が科せられる。
という順です。
つまり、著作権侵害をしたとしても、それが権利者に指摘されなければ問題にはならないのです(2016年5月7日現在。但し2016年次改正で非親告罪化とすることが既定路線なので、この場合2.で権利者に訴えられる前に警察が逮捕状を持ってやって来ることも考えられる)。
言い換えると、「バレなきゃ良いじゃん」「誰がこんなランキング外の泡沫Web作家を訴えるっていうんだ」。これ、正論なんです。
けど、「バレなきゃ良いじゃん」というのは、「正しいこと」ではありませんよね?
このエッセイでは、「正しいこと」に重きを置いて、語っていきたいんです。
そこで一つ、クイズです。
著作権侵害が認定される為には、原典となる内容と何文字以上一致する必要があるでしょうか?
答え、0です。
アルファベット一文字で著作権侵害が認定される場合もあります。
それどころか、一言一句全く同じ文字が使用されていない時でも、著作権侵害が認定される場合もあります。
それこそ大学の卒業論文で、ネットからコピペしててにをはを変えて提出する、などという話があります。てにをはを変えるだけじゃぁバレるから、それを自分の言葉に書き直して提出した、などという話もあります。
前者は当然、盗作であり著作権法違反ですが、後者もまた、盗作に該当するんです。
「著作権侵害はアイディアには適用されない」と言います。
「あの作家の作品は、俺が書きたかった内容と同じだ。あいつは俺の頭の中から俺のアイディアを盗んだんだ。著作権法違反だ!」などといっても、言いがかりにさえなりません。
が、既に公表されている文章であれば、その『文体』ではなく『内容』が、著作権で保護される対象になるのです。だから、一文字たりとも同じ文章が無かったとしても、内容が同じならアウトです。
そんなことをいったら、何も書けないじゃないか。
テンプレは、その大本となった作品の内容のパクリじゃないのか?
さぁここからが、この話の面倒臭いところです。
例えば、「ツンデレ」という言葉を最初に使ったのは、誰?
ざっと調べたところ、Web上の掲示板への投稿が最初だったようです。つまり、発言者不詳。
これが著名な作家で、同一性保持権を主張して使用取り止めの訴えを出していたら、おそらくこれは通ったでしょう。その一方で、「ツンデレ」という言葉今ほど市民権を得られなかったでしょう。
「ツンデレ」でなくとも、作中に使われた特徴的な言葉が、いつの間にか市民権を得ているなんていうことは、幾らでもあります。この時、その作者は著作権侵害を訴えなかったんでしょうか? ……訴えなかったんです。その言葉に対する著作権を、放棄していたんです。
つまり、モノによっては黙示的に著作権を放棄している場合もあり得るのです。
魔王を討伐する為に、王様が異世界から勇者を召喚してきた。
ところが、魔王は実は平和主義者で、王様の方こそが覇権主義者だったのです。
このパターンも、最近では市民権を得られて久しいですが、この展開に著作権はありません。最初にその展開を公開した人が権利を主張しなかった為か(それともそれが著作権で保護される『内容』だ、と謳うには漠然とし過ぎている所為か)、展開それ自体に制限が付されることはありません。
が、別にこのパターンにも限らないでしょう。『小説家』という生き物は、「著作権」で自身の権利をがちがちに保護するよりも、第三者がそのパターンを流用したら「このパターンを最初に使ったのは、俺だ!」と自慢することを選ぶからです。
そう。「守るべき権利」と「世に広めたい定型」。
言い換えると、自分が生み出したモノの中にある「譲れないモノ」と、「多くの人が使ってほしいモノ」を、一流の作家は区別しているのでしょうね。
どうやらこの話は長くなりそうなので、第一回となる今回は、この辺りで切らせていただき、続きは次回とさせていただきます。
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(2,858文字:2016/05/07初稿 2016/05/09誤字修正)