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その四 “世界”

 物語を描くにあたって、世界観の説明はどの程度必要なのでしょうか?


「ロードスという名の島がある。アレクラスト大陸の南に位置する大きな島だ。

 大陸の住人の中には、ロードスのことを『呪われた島』と呼ぶ者もいるという」


 これは、〔水野良著『ロードス島戦記』角川スニーカー文庫〕の有名な冒頭の一節です。この一節のおかげで「アレクラスト大陸」と呼ばれる(別の物語の舞台となる)場所との位置関係が明確に理解出来るでしょう。

 けれどこの一節、小説版においては冒頭に書かれていた訳ではなく、ましてやその前身であるリプレイ版には当然のこととして登場していません。何故か。


 その答えは簡単。「必要がない」からです。


 リプレイ、という創作手法について、念の為説明が必要かもしれません。

 これは『テーブルトークRPG』の顛末(てんまつ)を録音し、それを「テープ起こし」の要領で台本調に書き直すことで作品として成立させます。

 そして『テーブルトークRPG』は、GM(ゲームマスター)がナレーション及びプレイヤー以外のキャラクター(N(ノン)P(プレイヤー)C(キャラクター))を動かし、特定のキャラクターをプレイヤーが動かすことで、ゲームという物語を進行させます。その結果、GMが思ってもいない結末に物語が展開してしまうこともあるのがその醍醐味なのです(前述の『ロードス島戦記』で、ウッドチャックがカーラの額冠(サークレット)を持ち逃げしたのは、ウッドチャック役のプレイヤーのアドリブだったというのは有名な話)。


 では何故「リプレイに世界観の説明は必要ない」のでしょう?

 それは、言い換えれば「テーブルトークRPGに世界観の説明は必要ない」ということでもあります。


 厳密にいえば、主人公が旅に出て、村の窮状を救う為ゴブリンの巣に突撃する。


 これがそのストーリーの全貌であれば、世界観だの超国家的な陰謀だのは、全く必要ありません。どの国がどんな政治形態だろうが、そのストーリーの中では必要ないのです。


 前述の『ロードス島戦記』の場合でも、小説版と同時期に刊行された〔水野良著『魔法戦士リウイ』富士見ファンタジア文庫〕のシリーズと同一世界であり、『ロードス島戦記2 炎の魔神』で出てきた、「古代王国の付与魔術師(エンチャンター)ヴァンが鍛えた魔剣」と、『魔法戦士リウイ ファーラムの剣』で探索する【ヴァンブレード】の因果関係(及び『魔法戦士リウイ ファーラムの剣 呪縛の島の魔法戦士』へ至る伏線)がなければ、同一世界であることやアレクラスト大陸との位置関係などは、必要ないのです。


 ところで、このエッセイを読んでいるあなた。あなたは『世界』と言われたら、どれほどの大きさのものをイメージしますか? 地球でしょうか? 太陽系でしょうか? 銀河系でしょうか? それともそれらを内包する宇宙そのもの?


 (いえ)、世界とは、そんな大きなものではないのです。


 子供の頃、“世界”は自分の家の周りだけでした。

 学校に通うようになって、その“世界”は学校を含めた地域にまで広がりを見せるようになりました。クラブ活動などで、余所の学校の一部もあなたの“世界”に含まれるようになったのかもしれません。

 そして社会に出て。その“世界”は会社(職場)とその関係先にまで広がりました。


 けど、変わらず地球の裏側で起こっている紛争や飢餓は、あなたにとって“テレビの向こう(フィクション)の世界”の出来事なのではないでしょうか? それを“現実(この)世界”の出来事として(とら)えられる人は、そこを生活の場、職場としているボランティアなどの人たちだけではないでしょうか?


 世界は、実はとっても狭いんです。

 今の日本で、「たった一欠片(かけら)のパンを巡って殺し合いが起こる」という話を、現実のこととして捉えられる人は、いったいどの程度いるでしょう?

 多くの人は、「そういう地域が地球のどこかにあることは知っているよ」と、「あの小説はそういう世界を描いていた」というのと同じ感覚で語るのではないでしょうか。

 今の日本で、「大きめのイヤリングをつけて祭りに出かけたら、それを耳朶(みみたぶ)ごと引き千切られた」という話を聞かされて、「じゃあ盆踊りに行くのに、変に目立つアクセサリーは付けない方が良いよね」と我が事として考える人は、果たしてどの程度いるでしょうか?

 世界は、とってもとっても狭いんです。


 けれど。

 昨今のライトノベルの風潮では、主人公の容姿や性格、世界観の説明が冒頭に来ることが半ば必須になっています。

 キャラクターの容姿や性格の説明が冒頭に来るのは、昨今のラノベが『キャラクター小説』である為、キャラクターに感情移入出来るか、キャラクターに萌えられるか、が重要なファクターになるからです。『その一 テンプレ万歳』で語ったように、通り一遍の説明をテンプレで逃げ、更に印象的・特徴的な部分を物語が進んでいくうちに読者に少しずつ語っていく、というのはその『ラノベの公式』に(のっと)ったやり方と言えるでしょう。

 そして世界観の説明を冒頭に持ってくるのは。

 (前述の『ロードス島戦記』の一節を誤解した結果をテンプレ化したものではないかとも思うのですが)そこが異世界であること、そしてそれ以降世界を巻き込んだ壮大なスケール(笑)の物語が展開されるという伏線でしかないのです。


 実際の物語では、それがファンタジーと(いえど)も「世界観の説明」などは必要ありません。必要になった時に、必要なことだけ語れば良いんです。

 一つの島の内側でその物語が完結するのなら、その島の外側にどんな世界があるのかとか、その島は大陸からどの程度離れているのかなどはどうでも良いことで、描写する必要もありません。

 町を出て余所の町に行くことさえ原則的に許されていない世界(日本で居所移転の自由が認められるようになったのは明治維新以後です。欧米でも、封建制が崩壊するまでは居所移転の自由は認められていませんでした)で、町の外で何が起こっているかは、町の人たちは基本的に知りません。すなわち、主人公がそれを知っているのであれば余程の特殊事情が必要ですし、主人公さえ知らない情報を読者に解説する必要があるのでしょうか?


 物語の描写は、必要最小限であることこそ美しく、物語と全く関係のない世界描写などは蛇足以外の何物でもありません。

 にもかかわらずわざわざ描写することを求められるのは。


 読者の皆さん、(ライト)小説(ノベル)の読み過ぎで、「読み取る」努力を放棄しているのではありませんか?

(2,665文字:2016/04/21初稿)

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