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その二 ……守破離?

 三点リーダー。

 『小説の書き方』『文章の書き方』などのエッセイに於いて、必ずと言って良いほど語られるのが、この三点リーダーの使い方である。

 ・・・(なかてんみっつ)ではなく、...(ピリオドみっつ)でもなく、(さんてんリーダー)を使う。それも一つではなく、必ず二つ或いは偶数個。


 けど、それらエッセイに於いて、(ほとん)ど見られないのが、「何故?」ということ。

 何故・・・(なかてんみっつ)では駄目なのか?

 何故...(ピリオドみっつ)では駄目なのか?

 そして何故(さんてんリーダー)を偶数個でなければならないのか。


 いきなり話が変わるが、文章に於いて「(くてん)」の替わりに「.(ピリオド)」を、「(とうてん)」の替わりに「,(カンマ)」を用いることは、普通に認められている。


 ……何故?


 句読点の替わりにピリオドとカンマを使うのは、実は「公文書に於いて、縦書きは句読点、横書きはピリオドとカンマを使う」と1952年に国語審議会が定めた「公用文書作成の要領」でそう規定されたことに起因する。要するに、それまで縦書き文化だったものが横書きになるにあたって、右から左に書くなど実に様々な文章の書き方がされていたことから、日本国としての統一見解を通達として発布したのが始まりだったのである。

 ちなみに、「段落のはじめは一字下げる」というのもこの「公用文書作成の要領」で定められた。

 しかし、その7年後である1959年に自治省(現総務省)が公用横書き文書でも句読点を使う、と宣言し、また現在では「公用文書作成の要領」それ自体があくまでも参照すべきものとしての地位でしかないことなどから、ピリオドとカンマは(もっぱ)ら科学論文等で使われるのみとなっている。


 このような歴史的経緯を考えれば、句読点とピリオド・カンマを互換するのには、相応の理由があることがわかる。

 けど、三点リーダーが中点三つやピリオド三つではなく、「(さんてんリーダー)」でなければならない理由は、何処にあるだろう? ましてやそれが偶数個でなければならない理由は?


 結論から言えば、三点リーダーは「縦書き原稿用紙に肉筆で書く」ことが前提だからである。

 「中点三つ」では、原稿用紙のマスを三つ使ってしまう。三点リーダーはそれで一マス。

 「ピリオド」は「句点」と互換と考えると、「ピリオド三つ」は「句点三つ」と同義で、日本語記号としては意味が違ってくる。

 そして二つ使うのは、手書きの「(さんてんリーダー)」は漢字の「三」と誤認され易いから。


 こうやって理由を考えれば、それは素直に納得出来るものではなかろうか。


 ……え? 納得出来ない?


 実は、私もそう。

 「手書き」に(こだわ)るのなら、それは正当な理由になる。

 けど、はじめから活字で表記することが前提なら、しかも横書きなら、「…」とほかの記号を誤認することはあり得ない。

 また、英語表現で「三点リーダー」と同じ意味を持つ記号は、「...(ピリオドみっつ)」である。なら日本語横書きでピリオド三つが許されない理由は、何処にある?


 更に言うと、携帯メールの黎明(れいめい)期。送れるメールの文字数に限りがあった(今でもTwitterなどは文字数制限がある)。だから、一文字でも節約する為に、「……」ではなく「…」を使う、という場合もある。


 また話が変わるが、「守破離」という言葉を聞いたことがあるだろうか?


 日本の伝統芸能の伝承の仕方を端的に表したもので、

 第一段階は「守」、師匠の教えに疑念を挟むことなくただ忠実に守る。

 第二段階は「破」、師匠の教えを敢えて破ることで、新たな可能性を模索する。

 第三段階は「離」、師匠の教えから離れて、独自の道を歩む。

というのだ。芸事の素人にありがちなのは、「師匠はこう言っているけど、先輩はああやっている。なら師匠の教えに意味なんかない!」と言い張る莫迦者だが、修行の段階が違うのだから仕方がない。それもわからない無能者は、当然その道を究めることが出来ないのだから、さっさとリタイヤした方がお互いの為だろう。

 なお、所謂「飯マズ」も「守」「破」を無視していきなり「離」に挑戦するから失敗し、「どうせ私は美味しいご飯が作れない」と自分で勝手に規定してしまうことに原因がある。


 で、話は三点リーダーに戻る。

 「三点リーダーは『…』を使い、またそれは常に偶数個セットで使う」。これは「守」。

 けど、「メール文書などの字数制限がある環境は『…』一つだけで、友達との手紙などのプライベートでは、『…』どころか『。。。』でも良いじゃん」。これが「破」。

 そして自分なりの文章を書く時、結局どうした方が読んで美しく、書いて書き易いか。それを考えその結果選んだものなら、別に『…』を使わなくても、また奇数個並べても良いのではないか。それが「離」(携帯画面で見るのなら、横幅が無いのだから『…』が二つも重なるとそれだけで冗長に見える。なら携帯閲読をメインとする作者さんなら、『…』一つというのも立派な手法)。


 ただ、こういったことを理解せずに、ただ「『…』はIME変換が面倒臭いから『・・・』で良いじゃん」とか言っていると、傍から見たらちがいがわからない筈なのに、何故か「みっともない」という印象を受ける。


 「良い」「悪い」は国語の問題。

 それを知っていればテストで○を貰えるかもしれないけれど、小説を書くのはそれとはまったく別。

 「それが自分の文体だ!」と断言出来るのなら、それはそれで構わないのではないでしょうか?



 但し。書籍化を夢に見るのなら。「...」や「・・・」は、編集校正の対象です。

(2,297文字:2016/03/21初稿)

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