~面白い遺産相続~
私はCHIMIKOと申します。
初めて書きます。ヨロシクお願い致します。
私は、1971年に高梨家(仮)の三女として生まれました。
当時、私は中学生で、とても明るく勉強より1日を楽しく暮らすことしか考えていない子供でした。
(お爺ちゃんが亡くなるまでは…)
話は私が、幼い時からになりますが、楽しんで下さい。
~家族~
家は3DKの団地、当時電電公社(NTT)の社宅でした。
父方の両親(私にとってお爺ちゃんとお婆ちゃん)と両親そして父の妹4人と私の姉2人の11人家族でした。
1番下の叔母さんは、まだ小学生でした。
ほとんど7人姉妹みたいに生活していました。
そうです。私の母は、叔母達の母親役でもありまいた。
なぜなら,お婆ちゃんは、病弱でリュウマチ、食道がんでほぼ寝たきりだったからです。
昔のお嫁さんは大変でしたネ。
私にできるか…?
できないか…?
聞かれたら、私には、母のしてきた日々は、真似できません!
朝は、皆の朝ごはんの支度をしながら叔母達のお弁当作り、姉2人の幼稚園送り、10時には、お婆ちゃんのおやつ、そして赤ちゃんである私は常にオンブされながら全部動いていました。
お婆ちゃんが気分が良く散歩に出れば、「転んでは、いけない」と歩く先を四つん這いになり砂や石を手で払います。
四つん這いになっている母の背中には、もちろん私が、肩には、お婆ちゃんが杖変わりに。
叔母達の学校の行事には、母が行き、そして姉を迎えに行き、4時には、又、お婆ちゃんのおやつ、
そして夕飯の支度。
6時に夕飯にしないとお爺ちゃんが怒るので大変です。
叔母達は、社会人、高校生、中学生、小学生といるのに洗い物一つしないお嬢様気取りの人ばかり、
そんななか1歳半になった私は、イタズラざかり、右足を脱臼!
忙しい母に迷惑をかけてしまいました。
医者は「手術を…」と言いましたが、父が「女の子だから傷を残したくない」と、
言うのは、簡単です。
母は、忙しい中毎日バスで病院通いが増えてしまいました。
雨の日も、雪の日も、母は、私のために半年も通ってくれたのです。
無事私の足はくっついてくれましたが、これは、まだ、家族には言っていませんが、右足ビッコひいています。
今だに抜けそうになります。
でも、母の一生懸命通院してくれた事に感謝で色んな事で不自由していた事は、言えませんでした。
そんな貧乏で、忙しい我が家にコウノトリが…!
そうです。
母のお腹に赤ちゃんが授かったのです…!
~貧乏なのにマイホーム~
コウノトリのおかげで父達は、家を買うことに決め、念願のマイホームを手に入れました。
私は、3歳になり、とてもイタズラ大好きな活発な女の子でした。
だけど、念願のマイホームを見て、お婆ちゃんは、亡くなりました。
やっと本題に入ると思っていませんか…?
残念…
まだですよ!
ここでは、貧乏だし、まだ叔母達も若いので争いは、ありませんでした。
私は3歳なので覚えているのは、お婆ちゃんの葬式の時、閉じ込められているのは、覚えています。
目を離すと、どこかに冒険に行ってしまうからだそうです。
その後コウノトリさんが動き出しました。
我が家のコウノトリは、意地悪です!
そうです。
又、女の子でしたぁ~(笑い)
我が家は、貧乏なのでお年玉やお小遣いは、ありません。(泣き)
お年玉は、もらったらすぐに台所へ行って密かに父に渡し、袋を入れ替え頂いた方の子供に渡していました。
小学生から内職や新聞配達で小遣い稼ぎをして
友達と遊園地に行く時は、新聞屋さんから入場券と乗り物2回分のチケットをもらい
入場するのに500円なので、それを友達に売り、交通費やお昼代にして親に迷惑をかけず遊んでいました。
内職の分で学校の物を買ったり、欲しいものを買ったり、
でも、貧乏とか気づかないくらい能天気な私でした。
そこまでは普通の…?
家族でした。
読者のみなさぁ~ん!
長い間私の幼い頃にお付き合い頂き有り難うございまぁ~す。
さぁ~きましたよぉ~!
私の人生…? が、変わったのは、お爺ちゃんが亡くなってからです。
~貧乏なのに遺産相続…?~
お爺ちゃんが亡くなったのは、私が14歳の時でした。
プロレスが大好きで、いつもチャンネルで喧嘩をしていました。
当時ひょうきん族の時間にプロレスもやっていて、お爺ちゃんの部屋にテレビがあるくせに
皆が集まる部屋のテレビでプロレスだけは見る!
なのに、その日だけは、珍しくプロレスじゃなく父と母を誘い「飲みに行く…!」と
叔母達はお嫁に行って父も母も子供を置いて突然、、旅行に行ったり自由気ままな家族だが
その日だけは、姉妹して
「今日は、行ったらダメ…!」と止めた!
不思議と姉妹は、ベットに入っても寝れずにいた。
私は、初めて感じる胸騒ぎ!
ベットに座りながら小窓から父達が行っているスナックをずっーと見ていた。
しばらくするとスナックの前に救急車!
家の玄関が開き誰かがものすごい音を立て階段を駆け上がる!
ダァダァダァ~~~~~~~~!
お爺ちゃんの部屋に…
皆で部屋に行ってみると
半分腰が抜けたような母が座り込んでいた。
「おっ…落ち着いて聞いてね」
「お爺ちゃんが…お爺ちゃんが倒れたの…」
姉妹の胸騒ぎが的中」!
お爺ちゃんはトイレに行き
父が遅すぎるお爺ちゃんを見に行く!
ドアをノック…
トントン
「オヤジ…」
トントン
「オヤジ…」
返事がない!
ドアをよじ登り様子を見ると…
お爺ちゃんは、胸を抑え苦しんでいた。
トイレから救出!
お爺ちゃんをお店のソファーに
大好きな息子に抱かれたまま胸の中で息を引き取ったらしい…
しばらくしてお爺ちゃんは無言で帰宅!
でも、すぐに会うことは、できなかった。
私服の刑事がいっぱい!
ニュースで見る場面!
外で亡くなったから解剖したりするらしい。
そこから大人の汚いところが見えてきた。
叔母達にすぐに連絡!
何時間かたち1人2人と叔母達が来だした。
お爺ちゃんの顔を見るどころか、一目散にお爺ちゃんの部屋に!
タンスの中や押し入れを見ている。
私はコタツの中で叔母達をずっーと見ていた。
何をしているかというと
お婆ちゃんの指輪や羽毛布団やお爺ちゃんの下着!
金目の物を探していた。
そこにお爺ちゃんが遊びで書いていた遺言書!
ドラマのように誰にいくらとか書いてあった。
父と母は、叔母達を私達子供以上に親みたいに育て、お嫁に行く時借金や身の回りをきれいにして恥ずかしくないように馬鹿にされないようにしたのに「遺言書の通り払え」と言った。
お爺ちゃんは、死ぬのをわかっていたかのように娘の家には、泊まらないお爺ちゃんが、一人一人の家に行き、黙って生命保険まで解約して全財産を娘4人に使っていた。
そして父と母には、最後の思い出に飲みに行った!
なので叔母達に渡すどころか葬式代までありませんでした。
葬式もなんとか終えて、父は、マイホームを売りに出し叔母達に遺言書通りに渡した。
父はマイホームのために、当時電電公社今では、NTTで出世街道を歩んでいたのに、家族の犠牲になり
タクシーの運ちゃんになった。
そんな思いを忘れお爺ちゃんの下着まで持って行った叔母達の姿今でも忘れない。
忘れたくても子供ながらあまりにも恐ろし過ぎて忘れられません!
ドラマなら金銭で殺人まで起きるが貧乏だから殺人まで起きなかったが下着…?
今思えば、お爺ちゃんの下着だよ!
昔のラクダ色のモモヒキをトランクス風にしたパンツどうするの…?
しかもお爺ちゃんがはいていたパンツだよ。
自分の旦那にはかせるの…?
無理だろぉ~。
私にはできない。
皆さんはどう思いますか…?
そして、我が家は、一文無し、貧乏人の遺産相続は、終わりました。
ここで後悔していて謝りたい事があります。
それは、お爺ちゃんが可愛がっていた、愛犬のコロです。
とても人なつこくって人が来ると喜びで甘え吠えをする番犬にならないくらい優しい犬でした。
お爺ちゃんのお葬式中色んな人が来たのに吠えず、居ることを忘れていました。
餌、水をやるどころか、お爺ちゃんに「さよなら」をさせなかったことです。
コロごめんなさい。
今思えば、コロ貴方は、一人でお葬式をしていたんだね…?
本当に、ごめんなさい。
最後に会わせてあげなくて…
~おわり~
読者の皆さん最後までお付き合い有り難うございます。
今だから話せるってありませんか…?
私には、いっぱいあります。
そんな、今だから話をいっぱい話していきたいと思います。
これからも、ヨロシクお願い致します。
CHIMIKOでした。