2話
わああああああああ、◎◎! ◎◎!」
声にならない声で弥乃は疾駆する。6666666666。どこまでも飛び回る。飛び駆ける。×××××××××。彼女の様はまさに太陽の無くなった地球だ。首輪の外れた狂犬病を患う犬っころだ。次に上か右、西か左、上か下、北か右、左か上、西か上、……どこに向かうか、それは確率と神様のみが知る。
どこにでもある木々にぶつかり、弥乃は一度倒れるが、「◎◎、◎◎!」と叫んでは復活。ああ、なんて可哀想な生娘だ。間抜けな守りをするから森が現れるんだ。なんてな、アッハッハッハッ。読者よ、笑うがいい。人を下に見ることが大好きなお前らにとって、間抜けが困惑してオーバーにあたふたとする姿は見るに楽しいだろう。アッハッハッハッハッハッハッ。人間のくずは死ねばいいのにな。
ついに弥乃は、今いるそこが、いったいどこであるのか、などという致命的な問題に直面した。木がある。暗闇がある。鋭く突起した石が地面から露出している。さぁ、ここがどこなのかを弥乃は推理できるのか。否、これだけでは、誰だって不可能だ。
本当に可哀想な弥乃。親友も弟も森に奪われ、果てにはその憎き森の牢獄をさ迷っているのだから。
「どうしよう……」
幼き頃の弥乃は、何度かこの森を訪れた経験がある。しかし中学生になり、成長してずいぶんと長くなってしまった彼女の足はその頃より遥かに広範囲を移動するのに充分だった。あの頃は見なかった景色のみが闇にかかって現れる。
春もまだ充分でない3月の冷たい風が、汗だらけの彼女を攻撃する。あーあ。このままだと、彼女が持つ熱はすぐに空になるだろう。
プルルルルウウ。プルルルルウウ。プルルルルウウ。
突然。闇夜にケータイのテンプレートな着信音がなった。弥乃はビックリして、思わず飛び上がる。
冷静になった弥乃がすぐに思ったのは、その着信音は自信の携帯ではない事だ。もっと言えば、ケータイを持ってなんかれば、迷子なんぞで困っていない。
道端に落ちているケータイがなっていた。これは誰の物だ? 弥乃にはわからない。このケータイは誰かがここでなくしたものか、……どうだろう。しかし無くしたものがこんなところにひょっこり落ちていれば誰だってこんな森を大袈裟に危険だのと抜かすわけがないと、思考を二転三転とする。
プルルルルウウ。プルルルルウウ。プルルルルウウ。
悪霊が唸るような鳴き声があまりに恐ろしいので、弥乃は思わず、その鳴き声を消すためにそのケータイを拾い、受信ボタンを押す。今じゃ珍しいフューチャーフォンだった。
「ズーズーズズズ、ビビュビュビュ」
ノイズがあまりに激しいので、向こう側の人間が放つ音源が聞き取れない。コールするだけして、ノイズを送るなんて通常の神経でないロクでないしが向こうにいるに違いないが、弥乃は純情ピュアなのでそんなことを考えなかった。
ノイズはすぐに止んだ。向こうが一方的に通話を切ったのだ。さっきまで迷惑な音くらいしか出さなかったケータイは森に順応するように黙る。
「そうだ、これで家にかけよう。110番の方がいいかな?」
ケータイは正常に作動して、なんの不都合も起こらず110番に連絡し、男性の声が聞こえる。
弥乃はその男性に“弟が森のなかでいなくなったこと”“弟を探していたら自身も迷子になったこと”を伝えた。
男性は危険なのでそこを動かないよう強く忠告すると、頼もしいくらい焦った様子で電話を切った。
安心。これでひとまずは安心。
そうなるわけがない。静かなはずの森に妙な音がとしゅぅ、としゅぅと現れる。
弥乃は危機を察知する。決してそれは弟がこっちに近づいてくるような、小さな妖精の足音ではないからである。