こたつと未来の物語
「ねえお兄ちゃん、こたつって、すっごくあったかいね。未来ね、ずーっとここに入っていたい」
「だろ? こたつは最高だよな。こいつは素晴らしい発明だよ。これを開発した奴は、かなり頭がいい」
辺りにしんしんと雪が降り積もったある日のことです。
丁寧な三つ編みヘアーに赤いリボンを付けている、可愛らしい幼女の未来ちゃんは、ツンツン頭の若いお兄さんと一緒に、部屋のこたつに入っていました。
今年で五歳になった未来ちゃんのお家は、決して裕福ではなく、両親が共働きをしていたので、この日も昼間だけ、妹夫婦のマンションに預けられていたのです。
妹夫婦は未来ちゃんの両親とは違って、夜の仕事をしていたので、彼女のことをよく預かっていました。そのため未来ちゃんも、二人のことを兄姉のように慕い、よくなついています。
ぱっちりお目めで小さな身体の未来ちゃんと、切れ長の目をした長身のお兄さんは、ずっとこたつで暖まっていましたが、長い茶髪で綺麗な顔をしているお姉さんのほうは、少し離れた台所に立って、いそいそと昼食の支度をしていました。
「こんなにあったかいんだから、お姉ちゃんも、早くこたつに入ればいいのにね」
自分の向かい側に座っている、お兄さんを見つめながら、未来ちゃんは言いました。
「昼飯の用意が終わったら、あいつもこっちに来るんじゃねえか? なんせこたつは最高だからな。一度ここに入ったら、二度と出られる気がしねえよ」
お兄さんは机の上に置いてあった蜜柑を、美味しそうに頬張りながら返事をします。その様子を見て、自分も食べたくなった未来ちゃんは、小さなお手々を精一杯伸ばして、机の上に余っていた、蜜柑を手に取りました。
彼女が可愛らしい指先を使って、蜜柑の皮を少しずつむいていると、お兄さんが再び口を開きました。
「でもな、ずっとこたつに入っていると、時には大変なことも起きるんだぜ。だからずーっとここに入ってるってわけにも、いかねえんだよな」
「えっ、大変なことってなに? ずっとこたつに入ってたら、なにか怖いことが起きるの?」
お兄さんから聞かされた言葉によって、不安になった未来ちゃんは、皮をむくのを途中でやめて尋ねます。するとお兄さんは、少し得意げな顔になって、未来ちゃんに語り始めました。
――昔々に、とある家で事件が起きたんだよ。その家には若い娘と、年寄りのおばあちゃんが住んでいたんだ。その二人は、ペットを飼っていたらしい。元気な柴犬と、こたつが大好きな黒猫だ。
その事件が起きた時も、今日のような寒い雪の日だった。年寄りのおばあちゃんは、今の俺たちみたいに寒いからってんで、のんびり屋の黒猫と一緒に、ずっとこたつで暖まっていたらしい。
で、若い娘のほうはというと、雪が降り積もるなか寒さをこらえて、元気な柴犬と一緒に、散歩へ出掛けていた。
そんな時に、突然大きな地震が起きたんだ。二人が暮らしていた家は、木造の古い家だったから、地震に耐えきれずに潰れちまった。
当然おばあちゃんも、こたつに入ったまんまで死んでしまったらしい。黒猫のほうは、机の下に潜っていたから、すぐには死ななかったのかも知れねえが、結局生き埋めになっちまったんだと。
若い娘と元気な犬は、寒さに負けないで外にいたから、運よく命が助かったってわけだ。だからこたつにずっといるってのも、時には危ねえんだよ。人間死んじまったら、それで終わりだからな――。
お兄さんの話を聞き終えた未来ちゃんは、その時のように、地震が来たらどうしようと思い、怖くなって今すぐこたつから出ようかどうか迷いました。
しかし部屋の窓から見える、真っ白な雪が沢山積もった外の景色はすっごく寒そうだったので、どうしたらいいかが分からず、お兄さんに尋ねてみます。
「じゃあ未来たちも、このままずっとこたつに入ってたら危ないんだよね? 地震が来たら、死んじゃうんでしょ?」
「いやいやこのマンションは大丈夫だよ。なんせ頑丈なコンクリートで出来てるからな。木造の古い建物よりかは、ずっと安全だ。それに今の話には、続きがあるんだよ」
お兄さんはにっこりと笑いながら、そう言いました。お兄さんの説明を聞いた未来ちゃんは、少し安心すると、そのままこたつにとどまって、話の続きを聞いてみることにします。
――で、さっきの話の続きだけどな、助かったほうの娘と犬も、それから大変な目に遭ったんだよ。なんせ住んでた家は無くなるし、可愛がってくれたおばあちゃんはいなくなるし、娘も犬も、とっても悲しんだんだ。
それに加えて単なるフリーターで、なんのとりえもなかったその娘には、大した貯金もなかったからな、それからの生活が、とても苦しくなったらしい。
自分一人が生きていくだけでも、精一杯だった娘は、次第に愛犬に餌を与えてやることすら出来なくなって、結局娘と犬は、離ればなれになった。
そうして独りぼっちになったその娘は、狭くて暗い部屋の中で考えるんだ。あの時おばあちゃんたちと一緒に、こたつに入ったまんまで死んでいたほうが、あたしは今より幸せだったのかなってな。
こんなに苦しい思いをするくらいなら、暖かい場所にずーっといたまま、死んでいたほうがマシだったのかもって思うんだよ。
だからこたつから出ることが、必ずしも幸せにつながるってことでもないんだよな――。
お兄さんはしんみりした表情でそう言うと、再び蜜柑を頬張りました。未来ちゃんはお兄さんが言わんとしていることの意味が分からず、再び尋ねます。
「えっと、じゃあ、このままずっとこたつであったまってるのと、今すぐ寒いお外に出るのと、どっちのほうが幸せなの?」
「そりゃあ寒い外に出るよりかは、こたつでじっとあったまってたほうが幸せだろ。でもな、俺が言いたいのはな、そういうことじゃあねえんだよ。結局人間なんてもんはな、幸せになりたければ、それ相応の努力をしなけりゃいけねえんだよ」
「ふーん、そうなんだ。でも、努力ってなに?」
お兄さんから難しい言葉を聞かされた未来ちゃんは、再度尋ねました。
「努力っつうのは、そうだな、例えばいろんな勉強とかだよ。未来は勉強好きか?」
「うーんと、あんまり好きじゃない。だって算数とか漢字とか、難しいもん」
お兄さんの問いに対して、未来ちゃんは素直な気持ちで答えます。お兄さんは少し笑いながら、話を続けました。
「そういえば俺も、算数が嫌いだったな。まああんなもんは、簡単な計算さえ出来れば、あんまり困らねえしな。そういう学校の勉強も、ある程度は必要だけどさ、結局いつか幸せになりたいんなら、幸せになるための勉強をしなけりゃいけねえんだよ」
「幸せになるための、勉強?」
「ああ、そうだ。幸せになるための勉強だ。例えば沢山お金を稼ぐ、プロのスポーツ選手なんかがいるだろ? あいつらは小さな子供の頃から、将来プロになるために、必死で努力を続けて、勉強しているんだ。学校で習う勉強なんかよりも、ずっと真剣になってやっている。そういう勉強こそが、幸せになるための勉強ってところだな」
「じゃあ未来も、スポーツの勉強をすればいいの? そうしたら未来も幸せになれるの?」
お兄さんの話を真剣な顔で聞いていた未来ちゃんは、またまた尋ねます。未来ちゃんはスポーツにはあまり興味がありませんでしたが、幸せにはなりたいという思いがあったからでした。
「この話は、なにもスポーツに限った話じゃねえんだよ。自分が将来どうなりたいかってのが大事なんだ。未来は大人になったら、何になりたいんだ? 夢とかあるか?」
「夢かあ、うーんと、未来はお花が好きだから、大きくなったらお花屋さんになりたいな」
未来ちゃんは色とりどりの花が咲いた、綺麗なお花畑の様子を、小さな頭の中に思い浮かべて答えました。するとお兄さんが、笑顔を作りながら言いました。
「だったら、そのお花屋さんになるための勉強を、一生懸命頑張ればいいんだよ。いろんな花の種類とか、育て方とかを覚えてさ、立派な花屋を目指せばいいんだよ。そうすれば、きっと未来は幸せになれるさ」
「そっかあ、じゃあ未来は、これからお花の勉強を、一生懸命頑張ればいいんだね。そうすれば、未来は幸せになれるんだよね?」
「ああ、なれるさ。でも途中で投げ出したりなんかはしちゃあダメだぞ。やると決めたら、最後までやり遂げるんだ。でないと何もかもが中途半端になって、迷ったぶんだけ時間が無駄に過ぎていって、結局幸せにはなれないからな。一度決めたら、ずーっと頑張り続けることが大事なんだ。わかったか?」
「うん、わかった! 未来頑張って、立派なお花屋さんになって、きっと幸せになるね!」
「よし、その意気だ! また何かわからないことがあったら、お兄ちゃんがいつでも相談に乗ってやるからな。なんでも言ってこいよ」
「うん、ありがとうお兄ちゃん!」
ツンツン頭のお兄さんと沢山話をして、自分が幸せになるための方法を、おぼろげながらも理解した未来ちゃんは、笑顔でお礼を言いました。それを聞いたお兄さんも、なんだか嬉しそうにしています。
そこにちょうど料理を持った、綺麗なお姉さんが現れました。赤い唇が印象的な、化粧が濃いめのお姉さんは、美味しそうな熱々のクリームシチューが載っている器を机に並べながら、なにやらお兄さんのほうを睨んでいます。
「あんた何ニヤニヤしてんのよ。もしかして、また未来ちゃんに変なこと吹き込んでたんじゃないでしょうね、あとでお姉ちゃんから怒られるのは、いっつもあたしなんだから、余計なことはしないでよね」
「余計なことなんかしてねえよ。俺は未来に、人生の教訓を教えてやってただけだ。お前の姉ちゃん夫婦は、少々真面目過ぎるからな、こういうことを教えられるのは、俺しかいねえんだよ」
「ふん、何が人生の教訓よ、偉そうに。あんたはたかがホストじゃない。そんなあんたに、いったい人生の何が教えられるっていうのよ」
「お前はなんもわかってねえな、そんな中途半端な俺だからこそ、教えられるんじゃねえか。こんな俺みたいな人間には、なるんじゃねえぞってな」
「ふーん。じゃあ反面教師ってことね、それなら納得かも。さっ、未来ちゃん、美味しいご飯食べよっか。今日は未来ちゃんが大好きなシチューだよ。おかわりもあるから、どんどん食べてね」
「やったあ、ありがとうお姉ちゃん!」
大好物のシチューを目にした未来ちゃんは、満面の笑みで喜びました。その可愛らしい笑顔を見たお姉さんも、どうやら機嫌が直ったようです。
その後未来ちゃんたち三人は、仲良くこたつで暖まりながら、美味しいシチューをたらふく味わいました。
食事を終えたあとで、満腹そうなお兄さんが、再び口を開きます。未来ちゃんは剥きかけだった蜜柑を、小さなお手々で掴みました。
「さっきも言った通りに、俺は中途半端な男だけどな、ちゃんと幸せにはなってるんだぜ。何故なら俺には、こんなに美味い飯を毎日作ってくれる、可愛いお嫁さんがいるからな。そういう幸せもあるんだぜ。よく覚えておけよ、未来」
「ちょ、あんたいきなり何言ってんのよ。もう、恥ずかしいから、突然変なこと言うのやめてよね」
綺麗な顔を赤らめて、照れ臭そうにそう言いながらも、お姉さんは喜んでいるようでした。未来ちゃんはニコニコしながら、幸せそうな二人のことをじっと眺めていました。
そんな三人のことを、こたつは優しく、暖め続けました。
おしまい