6/篠原誠がいた理由
慣れた感覚だった、すっと水の底から浮き上がるような感じ。
目が覚めたと同時に、倒れる寸前の事を思い出してばっと周りを見渡した。
あまり広くない部屋の中に俺はいた。外はもう夕暮れ時で夕日が差し込んできていた。調度品は埃を被っているかのような古いものばかり、部屋の主はアンティークなものが好きなのだろうか。部屋の中央には丸いテーブルがあって、その卓を囲んでいるのは瑞葉と――俺のことを完膚なきまでに叩きのめした本人の篠原誠、そして坂本麗であった。
「……起きたみたいだね、京介君。安心していい、おれはもう君を攻撃するつもりもないし、ここは聖堂の中でもないよ。その向けた手のひらを下ろしてくれ、過剰な殺意は珈琲の味を不味くする」
「君はねえ、どうせコーヒーの味なんて分かってないでしょ。砂糖どぼどぼ入れてたくせになーにが珈琲の味なんだか……。京介くん、こんなんでも彼の言ってることは本当だからその手、下げておいて?」
苦笑しながら誠を煽るようなことをいう坂本麗。いや、これはどういうことなんだ? 魔術を放つために向けていた手のひらを下げて、困惑の表情で俺は瑞葉に助けを求めるように視線を投げた。
瑞葉はピンと背を伸ばして椅子に座っていて、表情はとても緊張しているように見えた。自分を追っている組織の、戦闘部隊の中でもナンバーワンらしい二人なのだ。天地が引っくり返っても勝てない相手。一瞬で殺されることもありえる相手。緊張も当然か。
視線に気づいた瑞葉は、複雑な表情で誠を見た。
「説明もおれの役目だな、任せてくれ。ちょっと話が長くなるが、リラックスして聞いてくれないか? 起き上がれるようならこっちに来て珈琲でもどうだ」
「……起き上がれます、頂いても?」
「麗、下のマスターに珈琲を。それと軽い食事も頼む。……それじゃあ、おれがこんな中央都市から離れてまでここに来ている理由と、なぜ君達を生かしているかについてだ」
・・・
坂本麗が下から持ってきた白い湯気立つ珈琲、そして瑞々しい野菜がパンに挟み込まれたサンドイッチ。そういえば数日前から飯を食べてないんだ、目の前にしたと同時に腹の虫が盛大になる。ふっ、と誠が笑うと、遠慮なく食ってくれと言った。そばにあった砂糖を多めに珈琲に入れ、口を付ける。
「やっぱり珈琲は砂糖たっぷり入れてこそだな、京介は分かってる。……本題に入ろうか、順を追って説明していくぞ。質問は後でまとめてしてくれ、話を遮られるのは好きじゃないんでな。まずは、おれと麗、公式には聖堂という組織の戦闘隊……まぁ分類は近接隊と術師隊なんてあるんだが、その両方を纏めるような立場にいるものが、こんな田舎の方まで遥々と出張ってきている理由について」
「うん、こんな地方まで来たのは久しぶりだね。いつもめんどくさい書類や訓練の相手ばっかりで飽きてくるし。わたし個人は息抜き気分で旅行~的な感じだったけど」
「お前は普段からそんなぽけーっとした雰囲気があるだろう……。ま、矢島瑞葉を確認したという理由があってだな。本来はここの土地に控えていた隊長がいたんだが、そいつが再出撃する前に襲撃されてね。ここまでだけなら代わりを派遣させればいいんだけど、その襲撃者がオールマスタリー……全能現象とか神の力とか呼ばれてるそれを矢島瑞葉は持っているぞ、篠原を持ってこなくていいのか? だなんて言うもんでさ」
「ああ……そういえば俺達の事を襲ってきた兵士が、そんな隊長が来れないからみたいな事を言っていた気もしますね」
「それでおれが乗り込んできた、って訳だ。今山中にある拠点にはおれの知り合いが行ってる、もしあいつが襲撃されて手傷をおうようなことがあれば……襲ってきたやつは本物だろうな。虚構投影の中じゃおれが簡単に勝てるけど、素で闘えば魔眼込みのおれと同等くらいの奴だ。その時は厳戒態勢を敷く」
「同等って……。どれだけ強い人たちが揃ってるんですか、聖堂には」
「ま、そこそこってところだ。理由の一つ目はオールマスタリーの可能性を持つ矢島瑞葉を“おれたち”が保護すること。襲撃者がオールマスタリーについて知りえる情報があるならばそいつを確保して情報を得ること。……そんな目をするな、おれ個人はそこまでオールマスタリーに興味はないんだ。今の自分たちじゃ出来ないことをやらなくちゃいけなくてね、あらゆる手を使ってみたけど、もうオールマスタリーに希望を抱かざるを得ない状況なんだ」
「……そうだね、もう長いこと色々やってきたけど、それくらいしか残ってないもんね」
辛そうな顔をして坂本麗がぼそっと呟いた。
言葉が霧散したと同時に誠が苦笑いしながら言葉を紡ぐ。
「次の理由は監査、とでもいえばいいのかな。無駄に偉くなっちゃったからやらないことも沢山増えちゃってね。年に一回くらいで指定された都市の管理者がちゃんと仕事してるかなーって見に来なくちゃいけないんだ」
どこもお偉いさんの仕事は変わらないものだな。
誠は見たところ、二十歳ぐらいだろうか。生前の俺よりも年下なのは間違いないだろう。坂本麗の方も同じくらいで、下手したら女子校生といっても通じそうな顔立ちだった。
「で、ここまでは理由付け。ここから先はおれからの提案……というよりは命令になるのかな、好きに受け取ってくれて構わないけど、拒否された場合は保護もできないし、もうおれたちからは手を出さなくなる。頑張って下っ端の追っ手から逃げ続けてくれ、ってことになるね」
「ごめんね瑞葉ちゃん、さっきと同じ話で。でもここからは瑞葉ちゃんにとっても、京介くんにとっても凄く大事な話になるから、しっかり聞いて、考えて欲しいなって」
申し訳なさそうに喋る麗。瑞葉もそれを聞いて眉を潜める。
「……二人とも、おれの下に付いてくれない?」