5/力の差
夜が明けたと同時に俺達は町へ降りることにした。瑞葉はねずみ色のローブをすっぽりと被り顔を隠して先頭を歩き、俺はそのすぐ後ろを歩いていく。ぎゅるとお腹が鳴いている、思い出せば一日何も食べてないのだ。腹も減る。
瑞葉に至ってはここ二日、何も食べていないらしい。水だけで過ごしているとか、そりゃあんなに痩せてしまうのも納得だった。彼女から聞いた話だが、この世界には魔物がいるらしい。俺が昨日襲われた狼も魔物だという、野生動物というイメージでいいだろう。ありがちな瘴気などいうものはなく、自然の中で独自の生態系を築いているらしい。人の手が入っていない山奥などには危険なのもいるから、多くの親は子を町の外へ出したがらないのだとか。
時々狼が飛び出してくるが、瑞葉の扱う炎の魔術と、俺の無詠唱魔術に次々と蹴散らされていく。ヌルゲーにもほどがあるといいたいレベルだった
山道を下ること二時間ほど、ようやく俺達は町の外壁を確認することが出来た。そこそこ大きい都市のようで、堅牢な灰色の外壁が重々しい威圧感を放っている。
「これでもこの世界では辺境と言える方だよね。自然素材を主要都市に運ぶ、まぁ商人達にとっては重要な拠点か。それじゃあ入るよ、結界も安定して起動できてるし、あたしの方に問題はないね」
「ああ、分かった。俺の方も大丈夫、入ろうか……。ところで瑞葉、お前って何歳なんだ?」
「多分二十はいってないかしらね。自分の誕生日は覚えてるけど、逃げ出してから何年過ぎたか覚えてないのよ。多分、あなたと同じくらいじゃない?」
「お、そんな若く見える?」
「あたしから見れば十代の後半ね。……その年でよくも無詠唱なんてぽんぽん出せるものだわ、記憶を取り戻したらせめて生まれくらいは教えてね?」
「わかった、もし思い出せたら言うよ」
・・・
すんなりと外壁から町に入る検問所にいた兵士は俺達のことを通してくれた。
町に入ってから気づいたことがある。お金がまったくといっていいほど無いのだ。瑞葉に聞くと、どうやらギルドのようなものが各町にあるらしく、冒険者や定職についてないものはそこで魔物の討伐以来や時給換算での護衛などに就くらしい。討伐任務に関しては顔を見せなくても成果さえあげれば問題ないらしく、フードを被っていかにも妖しい人に見える瑞葉でも受注できるとか。対して、護衛任務は素性の分からないものを雇うことはできず、受けられない。
そこそこに賑わっている町の中、瑞葉の先導で道を歩いている傍らで冒険者らしき人たちのステータスを覗き見する。このウィンドウは俺以外には見えないようで、はたから見たら俺は左手をせわしなく動かす変な人に見えること間違いなし。
……あんまり特記するような人はいない。あっても剣術才能の一レベルや魔術才能の一レベル程度だった。まぁ彼らはいわば平民と呼ばれる人たちだろう、妥当なものか。
ふと目の前から歩いてきた二人組みに目が向く。一人は黒の学ランのような衣装に身を包んだ男、髪はざんばらに切られたダークブラウンの色だった。もう一人は並んで歩く、髪緩く外に跳ねてるセミロング程度の茶髪の女。衣装はどこぞの民族衣装か、と疑問に思うようなものだった。
ここで気づくべきだったのだ。瑞葉が息を止めて足を止めたことに。
気づかない俺は興味本位でステータスを視認しようとし――男のデータを開示しようとしたところで。きっとその男の瞳が鋭く俺を睨みつけている事に気づいた。
「……今おれの事を覗いたな、お前」
え、気づかれた?
その男が目の前から消えたと認識したと同時に、すさまじい衝撃を受けて景色が前方へすっとんでいく。何かで吹き飛ばされた、と認識するまでに時間がかかる。恐らく腹の辺りを思いっきり蹴っ飛ばされたのだ、吐き気と共に無様に地面を転がっていく。
「……あ、あんた何したのよ! いきなり喧嘩でも振ったわけ!?」
「い、いや……ちょっと探知をしようとしたんだけどさ」
駆け寄ってきてくれた瑞葉に抱きかかえられ、何とか起き上がった。ステータス視認といってもあまり通じないだろう。探知と言葉を置き換えて説明した。しかし、今のは一体なんだ。オートで発動するはずの魔術が発動しなかったぞ。
騒動はいつものことなのだろうか、周りにいた人たちはため息を零しながら何も見なかったかのようにして日常へと帰っていく。
「高位の魔術師か、防御の術に慢心でもしたか? それともおれがそんな見え見えの開示に気づかないとでも思ったのか。いずれにせよ、その隣にいる女にも用事があったところだ。手荒な真似はしたくないんだ、降伏してくれ」
ざっと学ラン男が俺の目の前に立つ。瑞葉はそいつを見て震えていた。
誰だ、この男は。横目でウィンドウを視認する――名前は篠原誠。指先だけでスクロールさせてスキルを見た。そこには――魔眼・流、殺人技能五、身体技能四、など街中で見かけることは有り得ないようなスキルが数多くあった。どういうことだよ、これは。ステータス開示は相手に感知されるようなものだったのか。
「篠原誠、そして向こうの女は坂本麗。事実上、聖堂の戦闘部隊のトップ達よ、あたしたちじゃどうにもならない、もう本当に……運がない、なんでこんなのがこの土地にいるのよ……」
暗い声。絶望しかない声だった。かみ締める口元、握った拳。
どうにかしてやりたいと思った。
「その女の言うとおりだ、矢島でも、お前でもおれには勝てないよ、大人しく降参してくれないか? 別に捕まえて殺すわけでもないからさ」
「……俺の名前は京介ってのがある、お前なんて言うな。それと、大人しく捕まるのも断る」
「ああ、なら決闘でもしようか。京介、君みたいなのはよくいるからな。そういうときは力を見せ付けるのが一番早い――」
奴はポケットに両手を突っ込んだまま無防備にたっている。どうする、と自問するまでもなく俺の答えは決まっていた。逃げるだ、あいつから放たれてる威圧感は尋常じゃない。闘えば間違いなく俺は負けて殺されるか、半死にあうだろう。
相手を打ち抜く細い、そして威力は極大の雷撃をイメージする。一撃であいつを殺すか、戦闘不能に陥れさせなければ俺達は間違いなくここで終わる。だめだ、そんなのは早すぎる、終わるのは嫌だ!
「麗はいい。下がってろ」
篠原が忽然と告げた。雷撃を読まれたか?
しかしやつは動かない。平然と冷たい目で俺達を見下ろし続けていた。
「おい、逃げるぞ!」
刹那、凄まじい雷鳴が轟く。向けた手のひらから雷撃が迸り、衝撃と暴風が奔る。座り込んでいた瑞葉の手を取り、震える足で一目散に入ってきた入り口まで駆け抜ける。あいつはどうなった? さすがにあの極大の一撃をまともに受ければ死ぬだろう、でも魔眼やら殺人技能やらのスキルを持っていた、簡単に死ぬわけが無い!
音が鳴り止んだと同時に俺は振り返り追撃の雷を放つ。極力民家に当たるのは避けて、やつがいた箇所目掛けてだ。そんなことを繰り返しながら、出口まで息を切らしながら辿り着く。
そして兵士を突き飛ばし瑞葉と外にでた瞬間だった。背後から、あまりにも暴力的な殺意を感じ、振り返ってしまった――。そこには無傷で、ポケットに両手を突っ込んだままの、篠原の姿があった。
「いや、凄い雷撃だったよ。君はどこの生まれだ? 無詠唱でこんなのぶっ放せるだなんて、それこそ名家に生まれ英才教育でも受けても千人に一人くらいだと思うんだけどさ。……まぁ、いいか。悪いけど先に殺意を向けたのはそっちだ、切らせてもらうよ」
逃げ切れない、そう直感した俺は再度雷撃を放つ。今度は一本ではなく二本の多重雷撃。寸分違わぬ位置に迸り、それがやつに当たると確信を抱いた時の事だった。目の前まで迫っていたそれが霧散したのだ――。
「……っな、何が」
「いいって言ったろ麗、お前は下がってろ。久しぶりに当たりを引いたんだ、おれに楽しませてくれ」
「そうやって誠はいつもいつも……うん、でもいいよ、私は見てるだけにするよ。――この程度、被弾する誠じゃないでしょ、頑張って~」
背後からついてきた坂本麗という女が掲げていた手を下げた。鼻歌を歌いながら適当に腰掛けてこっちを視ている。にこっと笑うと、ひらひらと手を振ってきた。これは馬鹿にでもされているのか――頭が熱くなったのを感じる。
「おれはね、こうして強いやつと戦うのも好きなんだ。大体はおれの名前を聞くとすぐに降参してくるから最近はめっきりつまんなくてね。ちょっと前はいっぱいいたんだけどなぁ、君みたいに突っ込んでくるやつ。……そういうわけだから、限界まで君の力を見せてくれ」
逃げても確実に回り込まれるだろう。
闘う以外の選択肢は残っていなかった。
・・・
奴の武器は何かから考える。先ほどの魔術無効化は、恐らく坂本麗という女の力だ。かといって、篠原が無効化できないとは限らない。魔術に頼るのはダメだ、接近戦も視野にいれなくてはいけない。ポケットに手を突っ込んでいるのはそこから何か武器でも出すのか、あるいは俺と同じ無詠唱で魔術を扱えるのか。想像しろ、想像は得意だっただろう、勝ち筋を想像してそれをなぞればいいんだ。
小さな雷撃をいくつか生み出し、タイミングをずらして打ち込む。低いドンという音がして迸るそれは、奴の前まで迫ると霧散した。
「……組み立てが速いね。いい魔術師だ、まだあるだろ?」
奴は両手を抜いていない。まだだ、今度は大地が尖り奴を穿ち貫くのを想像する。右手を地面に当て、心の底から深く念じる。ぼこぼこと奴の真下の大地が蠢き、想像通りの巨大な石槍が生まれるが、それをやつは予め知っていたかのように右手に飛んでよける。その着地の瞬間を狙って雷撃を放つが、やはりそれは奴の手前で霧散した。
……魔術はどれもダメ、なら接近戦だ。両足に力をこめて跳ねるように飛び出した。景色が高速で後ろへ流れていく。
「お、接近も出来るのか。技があっていいね。最近、魔術師はバックアップ、遠距離に徹せなんて風潮があって嫌なんだよね」
よく喋る口だ。心臓目掛けて放つ右手を篠原はすっと避けた。ぎりぎりで回避されたのか、完全に見切られている――。そう感じても俺には他にできる事は無い、愚直に拳や足蹴りを放つが全てが紙一重で避けられていた。
なら。ゼロ距離で巻き込み覚悟の雷撃を打ち込む! イメージを収束させ弾けるような雷を想像、奴の眼前目掛けて放つ――が。
篠原の蒼い目が一際深く煌いたと同時に、集まっていた力が霧散した。そうか魔眼――恐らくそれが全てを無効化していたのか。
「面白いね、君に決めたよ。成長を祈って一つ、いいのを見せてやる」
笑みを深くした奴に、底知れぬ何かを感じ飛びのいた。なんだ、この嫌な予感は。これから背筋が凍るような、得体の知れない何かが始まろうとしている。抵抗して風圧段や雷撃を打ち込むがやはり霧散してしまう――。
「……虚構投影“栄光と虚栄”」
奴が告げたその瞬間、あたり一面を暴風が駆け抜けた。思わず目を閉じてしまう。虚構投影だと、それは瑞葉から聞いた話じゃ一つの境地のはずじゃないのか。無理だ、俺には虚構投影は仕えない。奴の作りあげた世界に飲み込まれた時点で、もう勝機も何も無い。
目を見開くと、そこには相変わらず両手を突っ込んだまま立ち尽くす奴の姿。そして俺と同時に飲まれたであろう、瑞葉の姿が後ろにあった。
周りの景色は何も変わらないが、俺の身体は異変を告げている。凄まじく重いのだ。重力が普段の二倍以上かかっているかのように。
「君は見るのが初めてだろう。一つの境地に達したものだけが行使できる、世界すら塗り替える超現象、それがこの虚構投影だ。ほら、お得意の魔術でおれを撃ってみろ」
くそ。最大出力の雷を放とうとしたところで俺は気づいた。魔術が出ないのだ。想像も問題なくできている、なのに放てない。先ほどまで出来ていたことが出来ないというのは、俺の不安をいっそう掻き立てた。
「この世界は単純だよ、栄光が反転した先は虚栄だ。要するに、いいところだけをかき集めておれのものにする栄光、残りの残滓だけが集まった虚栄。それを体現させたのがこの虚構投影」
篠原が右手を空へ向けた。するとその先から、低い音を響かせて雷の柱が生まれ雲を突き抜ける。見間違いが無い、先ほどまで俺が扱っていた雷の魔術。推測だが、おおよそ俺のプラスとも言える魔術の部分と身体能力が全て奴の元へいってしまい、強化されてるのだろう。そして俺に残ったのは普通の人間である部分だけ。……なんだよそれ、ずるいにも程があるだろ。
唇をかみ締めるがもうどうにも出来はしない。
「それじゃあ、お仕舞いだ。じゃあな」
雷が俺の身体を打ち抜く。衝撃が全身を掛け抜け、意識は刈り取られた。