2/矢島という女(1)
迫るナイフを持った黒い影に対して、俺は非常に緩く思考していた。
初めに貰った各種チートスキルのおかげか、凶器を向けられていても恐怖はあまりない。問題はどうやって制圧するかだ。あの女の子のステータスはまだ除いていない、とりあえず目を通しておくか。
俺は女に右手を向けイメージする。大きく吹き飛ばす風、魔術だ。無詠唱のスキルも取得済みだ、もし不発でも自動防衛、そして飛びぬけた身体能力という二重の保険がある。
「詠唱なんてさせないわよ、大人しく倒――っ、うわ……!?」
風が吹き荒れる。イメージ通りの風の大砲は完成し、放たれたそれをノーガードで受けた女は吹き飛ばされ、十メートルほど後方へ吹き飛んでいくのが見えた。この隙にさっとステータスウィンドウを開いて、慌しく左手で操作。名前やらスキルやらを見ていく。
名前、矢島瑞葉。スキルは炎魔法適正、五。身体強化や高速詠唱、結界術など、多種に渡り数値が三程度はあった。あれ、もしかしてこれって俺やばい?
「……あんた、魔術を無詠唱で使えるのね。首都に行けば王宮直属の魔術師にでもなれて、不自由の無い生活ができるだろうに。……大金に毒された? こんな偏狭の地まで聖堂に使われてくるだなんて、正気じゃない」
「いや、だからさ。俺は君のことも分からないし、そもそも敵対なんてする気もないんだよ」
「そうやって刺そうとしてきた奴が何人いたか覚えてないわ。甘言には裏があるのも、必ずね。信じたら信じた分だけ裏切られて痛い目をみるの、常識よ」
「何をいっても信じてくれないなら――そうだな、悪いけど力ずくで吐かせてやる」
「ま、そんなものよね。でも次でおしまいにするから意味な――」
「町の場所を、お前から絶対に吐かせてやる!」
……ぽかーんと、矢島という女が気の抜けた顔でこちらを見ている。本心だから仕方ないだろう、ソレを聞かないとおれは動きようがないのだ。
「いや、あんた……まあ、いいわ。面白いやつね、初めてよ……でもそれはないかな――“《かげろう》陽炎”」
姿が霞む。まるで蜃気楼に溶けていくように彼女の姿は無くなって――俺の背後でバジン! という痛そうな音と共に小さな悲鳴と、どさっと地面に何かが倒れる音が聞こえた。凄まじい移動速度だった。陽炎という名から察するにいつの間からか俺が目の前に見ていた矢島は幻影だったのだろう。油断させておいて、後ろから刺す。または焔の槍で貫く。ああ、怖い。……まぁ俺にはあまり聞かなかったけど。
死にそうな兵士に小さい雷魔法を撃つ。イメージのとおりのサイズで出てきたそれは寸分も違わなかった。意識を奪ったところで、傷が塞がるイメージをする。
「ヒール」
ぽっと口に出してテンプレートのような回復魔法の呪文を言うと、真っ青だった男たちの顔に生気が戻った。これで死ぬことはないだろう。
倒れたままの矢島を軽く背負い、とりあえず兵士たちと距離を置くことにした。
矢島を抱えて森を走る。ふと、目に違和感を感じて空いてる方の手で軽くこすると、僅かに湿ったあとが付いた。これは涙か?
「……矢島、瑞葉。なんか引っかかるなぁ、俺はこいつとどこかで会っているのか?」
有り得もしないことを呟くが答えはでない。もしかして俺の妄想の住人だったりするのか? ああ、それなら有り得るか。だが俺の記憶にそれらしき名前は見当たらない。他人の空似というやつか――。
・・・
瑞葉を抱えて隠れられそうな場所を探していると、切り立った崖の下に小さな洞窟があったので、俺はそこで休息を取ることにした。矢島は適当に葉を集めて作った天然の布団の上に寝かせてある。黒い髪は一つにまとめてあってばさばさだ。頬は痩せこけて、とても人間らしい生活を送ってきたとは考えられなかった――。追われているのだから当然かもしれないが。
黒い布のようなもの一枚の服の下は生傷だらけで見るに耐えなかったので、ヒールを掛けてある。特に左足の裂傷と左腕に残っていた擦り傷のようなものは、見ただけで吐き気を催すような状態だった。ヒールを掛けた今、そこには傷跡すら見当たらないが。
抱えて移動してきた際に思っていたことだが、ピンク色な気分になることもなかった。痩せすぎていて、骨の感覚しか伝わってこなかったのだ。むにゅ、とかそんなものはなかった。どんな生活をしていたんだ、と考えると胸が痛む。
……おそらくだが、あの傷跡を放置していたら近いうちにこの子は死んでいただろう。化膿し、腐り落ちていたかもしれない。助けられてよかった。改めて安堵の息をつく。
がさ、と矢島がわずかに身じろぎした。どうやら目覚めたようだ。
「……どこよ、ここ。聖堂の中なの」
「違う。さっきの森の中にあった洞窟の中だよ。地理に疎いもんでな、ちゃんとした町まで運べなかった。許してくれ」
「ほんとにあんた、町の場所も知らなかったのね。……あれ、左足」
「それは治しておいた、そんなグロテスクな傷口を見てる趣味はないからな」
動きを確かめるかのよう二、起き上がった矢島は地面をぐりぐり踏んでいる。身体をくまなく動かして異常がないことを確かめると、黒真珠のように黒い瞳で真っ直ぐこちらを向いて正座した。
「……なんだよ」
「あ、ありがとう……助かったわ。それといきなり襲う形になってごめんなさい。助けてもらったお礼も言えないほど、馬鹿じゃないつもり」
「構わないさ、たまたま出くわしただけだ」
「それにしてもあんたって何者? 無詠唱魔術に自動防御、おまけに治癒魔術まで万能って……どこにいっても職には困らないわよ。こんな僻地で何してるの?」
「あー、それはだけどさ……」
・・・
記憶喪失、ということで話を通した。
乱暴な性格かと思いきや、以外にも彼女は相槌を返しながら話を聞いてくれた。途中で、追手の心配をしたが彼女は軽く笑い、「常時結界張れるから大丈夫よ、それこそ意識をなくしてる間でも、ね」と教えてくれた。何だよこの女、マジモノのチートではないかと思った。