第九話 幸福
五時間セリフを悩みました……。
「君ってすごい有名人だったんだね。知らなかったよ」
町までの道を自転車ではしりながら、僕は言った。もう現実逃避はやめました。うん、吹っ切れましたよ。
「自分から望んでこうなったわけではない。勝手になってしまったんだ」
心外だというように皆川が答えた。声から察するに、顔は見えないが、きっと口をとがらせているに違いない。
「有名だとすごく不便だぞ。どこに行っても注目されてしまうんだ……。容易に外を歩くこともできないんだぞ」
有名すぎるっていうのも大変なんだな。
「しかも、いろんな奴に初対面だっていうのに告白されたりしてな……。ありえないだろう! 」
たしかに、それはありえないな。すごく返答に困りそうだ。というか、告白した人たちは、よくそんな勇気が出せるよなとあきれを通り越して、逆に感心してしまった。
「しかも策にはまって、私に勝ったものと付き合うと言わされてしまってな。今度は、ところ構わず果たし合いを頼まれるようになってしまった……」
なんというか、ここまでくると不幸としか言いようがない。
「……すまんな。私の愚痴ばかりで」
「別にいいよ」
「……変わらずに話してくれるんだな」
皆川が嬉しそうに言った。
「当り前でしょ。有名人だからってそうそう変わるものじゃないよ」
「ははっ、……ありがとう」
そんなに嬉しそうに言われるとてれる。
「そ、それより話は元に戻るけど、結局その果たし合いでは一度も負けてないんだよね? 」
僕はごまかすように話題を変えた。
「いや、一度負けたぞ」
「えっ! 」
あまりの驚きに、僕は思わず振り返ってしまった。必然的に自転車が大きく揺れる。
「こ、こら!前を見ろ、前を!! 」
皆川が叫んだ。両腕がぎゅっと僕の腰を強くしめつけた。
「ご、ごめん!! 」
僕は急いで自転車を安定させた。
「ごめん。二人乗りって慣れてないんだ」
「まったく、君が二人乗りがいいといったからそうしてやってるんだぞ」
いや、それ言ったのあなたです。
「……それより、誰に負けたの? 」
「決まっているだろう」
何をいまさらというように皆川が言った。
「君に、だよ」
「あーいや、あれはノーカウントでしょ」
そもそも、僕と君とでは土俵からすでに違うんだから。
「いや、あれも立派な負けだ。……たしかに君の言ったとおり、偶然も重なったのかもしれない。だが、運も実力のうち、というだろう? 」
「いや、たしかにそうだけど、でも――――」
「ええい、君は私に勝った! 私は君に負けた! それでいいだろう!? ぐちゃぐちゃ言うのは男らしくないぞ! 」
いや、ここで君に勝ったことを認めたら、もう後戻りができなくなるような気がするんだけど。まあでも、いまさら何を言ったとしても、現状が変わることはないんだろうな。だったら……、
「……わかったよ。それでいいよ、もう」
「うん、物分かりのいい男は好きだぞ」
心底嬉しそうに皆川は言った。負けたことを認めてなにが嬉しいんだろう。
「はー、……私は君に負けたのか」
そう言った後、皆川は黙りこんでしまった。僕も、なぜか話しかけてはいけないような気がして黙っていた。
「……負けるのが怖かったんだ」
しばらく沈黙が続いた後、皆川がつぶやいた。
「え? 」
「もし、負ければその相手と付き合わなくてはいけない。たとえ、どんなに嫌な奴だったとしても、そいつの女にならないといけない。……そんなのは嫌だったんだ」
「じ、自分の意思で言った事じゃないんでしょ? だったら、そんなに間に受けることは――――」
「私はな、嘘をつく奴が一番嫌いなんだ……」
静かな声だったが、その声にはすさまじい怒りが込められていた。僕は、何も言わずに彼女が話すのを待った。
「だから、もちろん私も嘘をつくわけにはいかないんだ。たとえそれが、冗談で言ったことだとしてもだ」
その言葉から、彼女の決意がひしひしと感じられた。
「後悔した。なぜ、私はあんなことを言ってしまったのだろうかと! 言わされたそいつを恨みさえもした! ……しかし、過去を嘆いていてもしょうがない。今をなんとかしなくてはいけなかった」
皆川は少しだけ間をおいた。
「その話はすぐに広まった。次の日には、祢鵡市のほとんどの人に知れ渡っていた。私は、死に物狂いで戦った。毎日が戦場のようだった。一対一ではないこともざらにあった。三十対一、それ以上というときもあった。武器も、しだいに使われるようになっていった。パイプ、スタンガン、モデルガン、催涙スプレー……いろいろ使われた。だまし打ちや、闇討ち、待ち伏せがあったことも、一度や二度ではない。だが、私は負けなかった。勝ち続けた。勝たなくてはいけなかった。……私の自由のために」
僕は、何も言わなかった。いや、言えなかった。前に、人が倒れている様子を見慣れていると言っていたが、これで理解した。たしかに、そんな過酷な日常をおくっていれば、嫌でも見慣れてしまうだろう。
「でも、今は負けてよかったと思っている」
「へ? 」
先ほどとは打って変わった優しい声とまさかの発言に、思わず変な声をあげてしまった。
「だって、こんなにも……」
皆川はそうつぶやいた後に、僕の背中に顔をうずめた。さらに、きゅっと体を密着させてくる。
「ちょ、みみみみ皆川!? 」
「なんだ、嫌なのか? 」
「嫌じゃないけど、その、僕も男であって、その、あたってると――――」
「はははは」
皆川は僕がうろたえている様子をみて笑った。それから、僕の耳元に口を寄せてきてつぶやいた。
「あったってるんじゃない」
「あててるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、顔が沸騰したように熱くなるのを感じた。さらに、すさまじく動揺したせいで、自転車がさっきよりもさらに大きく揺れた。
「こ、こら! ちゃんと運転しろと……」
「皆川が変なこと言うからでしょ!! 」
ギャーギャーと言い合いながらも、僕は一人の女の子に幸福を与えられたことに、これまでにない優越感を感じていた。
なんか、皆川が可愛いキャラになってきましたね。