ふるさと
地元に戻るのは10年振りだ。
この町の雰囲気はあの頃のままで、つい口元が緩くなる。
スーパー銭湯の看板が見える。
いつか行ってみたいと思いながら終ぞ足を運ばなかったな。
小さな郵便局だ。
幼稚園児の頃、カウンターに置いてある飴を全部持っていこうとしたら
親から「恥ずかしいからやめなさい」と怒られたのを覚えている。
“ご自由にどうぞ”との事だったが、次に来た時には“お一人様1個まで”
の注意書きが貼ってあった。あれはきっと僕のせいなのだろう。
墓石が立ち並ぶ敷地のそばを通り過ぎる。
昔は寺か霊園だと思っていたが、実は墓石を加工している会社だった。
いつだったか小学校の同級生がこの場所で「幽霊を見た」と騒いでいたが、
もしそれが本当の話だとしたら誰の霊魂だったのか気になるところだ。
コモディイイダ、まだあったんだ。
店先に焼き鳥の屋台があった頃、買い物の帰りに母が必ず「何がいい?」
と尋ねてくるので、僕はその度に大好物のつくねを頼んでいた。
24時間営業じゃないコンビニ、寂れたスナック、模型店、急な坂……。
つい先日までこの町の思い出などひとかけらも頭になかったのに、
こうして現地を歩いていると次から次へと記憶が蘇ってくる。
ああ、ここへ来たのは正解だ。
というのも最近の僕は仕事で行き詰まっていて、心の休養というか、
新しいアイディアが欲しくてわざわざこんな田舎までやってきたのだ。
まだ解決策は思い浮かばないけれど、少なくとも昨日よりは気分が軽い。
僕は音楽関係の仕事をしていて、まあ、作曲家だ。
高校卒業後、ギター1本を手に上京した僕はインディーズバンドを転々とし、
メジャーデビューを目指して何度も大手レーベルにデモテープを送った。
しかし結果は惨敗。
その主たる原因は、僕の演奏には華がないという点にあった。
まあ演奏技術だけではなく、存在そのものに華がないのを自覚している。
どこにでもいる平凡な顔立ちに平凡な頭脳と平凡な肉体。
彼女が出来た事もなく、壮絶なドラマを味わった経験もない。
とどのつまり、僕という人間は地味な男なのだ。
音楽の道に進んだのは、そんな自分を変えたかったからかもしれない。
幸運にも僕には音を組み合わせる才能だけはあったようで、
「プレイヤーではなく裏方として働いてみないか?」と誘われたので、
なんやかんやで国内最大手のレコード会社で働かせてもらっている。
望んでいた形ではないが、音楽に携わる仕事に就けたのだから御の字だ。
それに、ここに入社したくてもできなかった人たちもいるのだ。
僕にはその枠を勝ち取った者として果たすべき責務がある。
それが今、まずい状況に直面している。
僕の曲は売れすぎた。
それは本来喜ばしい事ではあるのだが、
二番煎じを狙って僕の作風を真似するフォロワーが後を絶たず、
新曲を書いても“フォロワーの曲調に似ている”という逆転現象が起こり、
会社側がパクリ疑惑を恐れて作品を世に送り出せないのである。
我ながら贅沢な悩みだとは思うが、曲を作れない作曲家に価値はない。
僕らしい作風、それでいてフォロワーの曲調と被らない新曲。
上の者たちはそういう作品を求めているのだ。
時計を見ると正午を過ぎており、空腹を満たそうと思い立った僕は
とりあえず目についた個人経営の中華料理店に入った。
ここへは中学の部活帰りに何度か通った記憶があり、
味はまあ、まずくはなかったと思う。
たしか500円玉1枚でラーメンと半チャーハンを食べられたはずだ。
空いている席、というか僕以外に客がいないので全部空席だが、
そこへ着くなり高齢の女性店員が注文を取りにやってくる。
ああ、この人まだ働いてたんだな。
15年ほど前の時点で白髪だらけだったので相当な年齢だろうに、
ヨボヨボの足取りで懸命に働いている姿はなんだか心が痛くなる。
それにしても、髪を紫色に染めるお婆さんが多いのはなぜだろう。
「あらあんた、あの時の!」
「え?」
「ほら、学校の帰りに寄ってくれたでしょ」
「ああ、はい」
「あの時は胡椒の蓋が緩かったせいで大変な事になってごめんなさいね」
「あ、いえいえ よく覚えてましたね」
「そりゃ覚えてるわよ〜 あんた、あの頃とちっとも変わってないから」
「そうですかね……?」
自分では結構変わったつもりなんだけどな。
当時の面影など微塵もないと思うのだが、早速見抜かれてしまった。
こんな僕が誰かの記憶に残っていたのは嬉しいが、少し複雑な気分だ。
ちなみにラーメンと半チャーハンのセットは650円に値上がりしていた。
記憶にあるより狭い公園で寛いでいると、
後からやってきたピンク色の髪の女性が声を掛けてきた。
彼女はおそらく僕と同年代であり、白髪染めが目的ではなさそうだ。
ただ単にファッションでそうしているのだろう。
「あれ、君、もしかして同級生の……名前なんだっけ?」
「え、いや、そんな髪色の知り合いは……って、あれ?」
一瞬マルチ商法の勧誘かもしれないと警戒したが、
彼女の顔には見覚えがあり、たしかに同級生の気がする。
「あ、高校の……」
そこまで言うと彼女はパアッと明るい笑顔を見せ、
お互い名前を思い出せないまま再会を喜んだ。
「やっぱりそうだと思った! あの頃とちっとも変わってないし!」
「ええ、またそれ? ラーメン屋のババアからも同じ事言われたよ」
「そりゃそうでしょー、君って昔から地味だったもんねえ」
「地味という特徴で覚えられてるのは複雑な気分だよ」
「それより東京から帰ってきたんだね 仕事クビになった?」
「失礼な質問をするね 連休貰ったからふらっと立ち寄っただけだよ」
まあ本当は新曲作りのアイディアを得るためだけど、
僕の正体が有名な作曲家であるという事実は隠しておきたい。
僕が自分の趣味を全開にして生み出した楽曲は運良く世間に受け入れられ、
日本では今、空前のデスメタルブームが巻き起こっている。
学校の教師でさえも髪を腰まで伸ばして派手な色に染め上げたり、
サラリーマンがスーツの下にメタルTシャツを着るのがマナーになったりと、
人間の常識というのは、いとも簡単に上書きされてしまうものだと痛感する。
「ああ、それでか」
いくら髪を伸ばしてカラフルに染めようが、
常にトゲ付きの黒い革ジャンを着ていようが、
コープスペイントを施そうが、どうりで地味扱いされるわけだ。
みんな同じような格好をしているのだ。ボロいラーメン屋のババアでさえも。
元から地味だった僕がどれだけ派手なファッションに身を包もうと、
他の人たちもそうしているのだから相対的に評価が変わらないのである。
「こうなったら新しいムーブメントを作り出すしかないな」
僕は難しく考えすぎていた。
思い返せば僕はもうデスメタルで表現したい事は全て出し切ったはずで、
これ以上無理に続けても、結局出来上がるのは過去作の焼き直しでしかない。
そんな僕らしい曲をリリースし続ければファンもうんざりするし、
いずれパクったパクられたの応酬になるのは目に見えている。
それは最初から決定されていた未来だったのだ。
それならいっそ別のジャンルに挑戦してみてはどうか。
その結果、コケてしまったとしても構わない。
もしキャリアを失っても、また最初からやり直せばいい。
入社できなかった人たちへの責務とか正直どうでもいい。
そいつらは実力が足りないから採用されなかっただけだ。
僕はギター1本で戦う方法を知っている。
それを実践すればいいだけの話だったのだ。
そして僕は名曲『ふるさと』を世に送り出し、
空前のバラードブームが巻き起こったのである。