第66話「ある兄妹に起こった悲劇と奇跡」
夏休みに入ってすぐのことだ。
俺と沙希、それから両親の家族四人で近所のデパートに買い物に出かけた。
当時、俺は七歳で沙希は六歳だった。
俺達は昔から仲が良くて、出掛けるときはいつも一緒だった。
デパートの中はどこもかしこも人だらけで、迷子にならないようにって、ずっと父さんたちの後ろをついて回ってた。
でもまだ小さかった俺と沙希はすぐに飽きてしまって……店の中を走り回っては父さんに『大人しくしてろ』って叱られて……。
だから俺と沙希は、店の外にあった階段で遊ぶことにした。
ジャンケンをして、勝った方が出した手に応じて階段を上がるっていうよくある遊びだ。
階段の段数はそれなりに多かったと思う。
店の目の前だったし、その時は特に危ないことをしてるつもりはなかった。
……最初はただ楽しく遊んでるだけだったんだ。ほんとうに。
俺はあと少しで階段を上りきるってところで、なぜかジャンケンに勝てなくなった。
もちろん沙希がズルをしてるワケじゃない。ただ単に、俺が何回か連続でジャンケンに負けただけ。
運の勝負だし、そんなこともあるって、今はわかってる。
だけど、その時は悔しかったんだ。多分その頃の俺は、ちょっとだけ負けず嫌いだったと思うから。
沙希はジャンケンに勝つたびに、嬉しそうに階段を上がってき、気が付けばあと一段差だった。
そして、次のジャンケンでも俺は負けた。
もうてっぺんは目と鼻の先だった。
妹に負けるのが悔しくて、腹いせにちょっとだけイタズラをしてやろうと思った。
階段を上る沙希の肩を、横から軽く押したんだ。
――とん、って。
突き飛ばすとか、そんなんじゃない。
そんなつもりは一切なかった。
ただちょっと驚かせてやろうって……そう、思ってた。
でも、階段を上がろうとちょうど片足を上げた沙希の体は、俺が思った以上に簡単にフラついて――。
「え――」
「――あ」
沙希はあっけなく階段から足を踏み外した。
二十段くらい上ってきた階段に体を何度も打ち付けながら転がり落ちて、最後には床に頭を強く打った。
俺はその様子をずっと見てた。
転がり落ちる沙希を、他人事のように呆然と眺めてたんだ。
その時の光景は、いまでもはっきりと覚えてる。
「……さき?」
頭を切ったのか、血がどんどんあふれてて……倒れたまま動かない沙希の体が、まるで血の海に沈んでいくみたいだった。
俺は全然なんともなかったのに視界が狭くなって、周りが騒いでる声とか、自分の呼吸とかまで、なにも聞こえなくなった。
気が付いたら、母さんが沙希の名前を必死に呼んでて、父さんも珍しく血相を変えてた。
結局、俺は沙希が担架で運ばれていくまでずっと、その場から動くことができなかった。
――それから一週間後。
沙希は病室のベッドの上で、静かに息を引き取った。
†
マクスウェルの襲撃から数時間後。
外はすっかり暗くなり、いつしか雨が降り出していた。
あの後、遅れて現れたフィルフィーネが悠真を担ぎ、悠真たちは逃げるように帰宅した。
あの場に残ったところでできることはないし、フィルフィーネやフラートがいてはむしろややこしくなる。
そう判断した杏子がみんなを先に帰したのだ。
ようやく連絡がついた澪依奈の到着を待って、悠真はみんなにすべてを話した。
過去の自分が沙希に何をしてしまったのか。
沙希の身に一体、何が起こったのかを――。
その語り口調はどこか客観的で現実味がなかった。
まるで罪人が自らの罪を自白するかのように。
話を聞いた各々の反応は様々だ。
驚く者、同情する者、共感する者……。
気まずそうに誰もが口を閉ざす。
だけどここで話をやめるわけにはいかない。
言いにくいことも言わなければいけないし、聞きにくいことも聞かなければならない。
澪依奈が代表して確認する。
「――その時ですね。沙希さんの中に聖女の魂が宿ったのは」
「あぁ、多分そうだと思う。あいつは魂が混ざったって言ってたけど……詳細はどうであれ、沙希は一度死んで生き返った。それは間違いない」
「――で、聖女になって〈協会〉に狙われ、挙句の果てにキモい魔術師にさらわれちゃったってワケか。サッキーもついてないね」
「ちょっとフラート……! あなたねぇ、言い方ってもんがあるでしょ!」
「だって事実じゃん。あたしが言うなよって話ではあるけど……ユッキーが悪いかどうかはともかくとして、あいつはサッキーが聖女だから連れてったんでしょ? これって重要な情報じゃん」
「それはそうだけど……そういうことじゃなくて!」
「いいんだフィーネ。フラートの言うとおり、俺のせいでこんなことになっちまった……。こればっかりは否定できないし、言い訳するつもりもない」
「……すみません、私がすぐに藤代くんからの連絡に気づいていれば、こんなことには……」
「それを言うなら私だって……。肝心な時にそばにいてあげられなかった。ごめんなさい、ユーマ……」
「ふたりは悪くないだろ。悪いのは俺だ。沙希を守るって言っておきながら、結局何もできなかった。全部俺がわる――」
「――いい加減にしてくれない?」
ソファに寝転びながら話をしていたフラートが体を起こし、このお通夜ムードに痺れを切らした。
「帰って来てからずーっと思ってたけど、どいつもこいつも『私がわるい』だの『俺のせい』だの……何回同じことで謝ってるワケ? あたしには『許してほしい』って言ってるようにしか聞こえないんだけど」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「じゃあどういうつもりなのよ。サッキーがいまどこにいるのかもわからないのに、いつまでもそんな萎れた顔して謝って……。そんなことしてる場合? サッキーを助けに行くために、これからどうすべきかを話し合うべきなんじゃないの?」
フラートの言葉に三人は顔を見合せた。
全面的に彼女が正しい。
いまここで責任の所在を明らかにすることになんの意もない。
……そんな当然のことを、まさか最年少の彼女に諭されるとは――。
「……私もまだまた未熟ですね。たしかに、いまは沙希さんの居場所を突き止めることが最優先。ありがとうございます、フラートさん。おかげで目が覚めました」
「ふん、当然のことを言ったまでよ」
「ふふふ、そうですね。えらいえらいです」
「あ、頭を撫でるんじゃないわよ! ひっかくわよ!」
がるるるぅ、と威嚇するフラートの頭を澪依奈は微笑みながら撫で続けた。
フラートは怒っている素振りを見せるが、その手を払うことはしなかった。
口を開けば直ぐに悪口が飛び出すフラートだが、これはこれで澪依奈のことを認めていると言えなくもない。
なんだかんだ、ふたりはいいコンビなのかもしれなかった。
「――それじゃあ、まずは現状を整理しましょう。マクスウェルと名乗る魔術師が沙希を連れてどこかに転移した。それはたしかなのよね、フラート」
「そうよ。あれは間違いなく《転移門》と同じ術式だった。規模が小さかったから、おそらくこの世界のどこか……それもかなり近くに飛んだだけとは思うんだけど……」
「それがどこかはわからない、と」
フラートは頷く。
「杏子先輩の話では、すでに魔法陣の痕跡は残っておらず、足取りを追跡することは困難だそうです。良い報せといえば、眠らされていた生徒たちが全員無事に帰宅できたことくらいでしょうか」
「……そういえば健児と胡桃坂先輩は?」
「おふたりとも無事です。ケガひとつありませんでした。フィルフィーネさんと合流するまで藤代くんに付き添ってくださってたんですけど、覚えてませんか?」
「……わるい。正直、あの時はかなり気が動転してたから……」
「いえ、仕方ないと思います。でも、あとで連絡してあげてください。特に棚町くんはとても心配してましたから」
「わかった、そうするよ」
これで抱えていた心配事が一つ減った。
しかし、問題はまだまだ山積みだ。
「メルセイムに逃げられてないことがわかっただけマシ……と言いたいところだけど、なんの目星もなくこの周辺を探し回ってたんじゃ時間がいくらあっても足りないわ。その間、サキが無事である保証もないし……」
「奴の言ってた復讐が何なのかわかれば、もう少し予測が立てられると思うんだけど……」
「せめてあいつの正体がわからないと厳しいよねー……」
うーん、と首をひねらせる。
知恵を振り絞ろうにも、現状まだとっかかりがない。
……何か手掛かりはないのか。
壁に掛かった時計の針を見つめながら、悠真はもどかしそうに唇を噛んだ。
――コツコツ……。
その時、何かが窓ガラスを叩く音がした。
振り返って見てみれば、窓の外に一匹の大型犬がちょこんと座ってこっちを見ていた。
雨に濡れたのか、体毛から水が滴り落ちている。見たところ首輪もしていないし、飼い犬ではなさそうだ。
……でも野良犬にしてはやけに綺麗な毛並みをしてるような……。
「えっ、まさかアサネなの⁉」
フィルフィーネが勢いよく立ち上がって、窓に駆け寄った。
大型犬に見える狼……志摩朝音は両前足を上げて鎮座する。
俗にいう、ちんちんのポーズである。




