第8話 秘密を探して
領主館を一通り回った後、ポールと私は領主の書斎に戻った。
壁一面の本棚の、すぐ近くにあるのが領主の仕事机。その手前のテーブルと椅子は来客に応対するため。
椅子をすすめられて座っていると、使用人が飲み物を運んできた。お茶と、お皿にのった小さな白い物は、おそらく砂糖菓子。アーモンドと砂糖を使って丸めたもので、王都でしか手に入らないような高級品。
この砂糖菓子は私も一度だけ口にしたことがある。手に入れたのはアンリエットで、二人で『世の中にはこんなに甘いものがあるのか』と大はしゃぎした。まさかこんな農村で再び出くわすとは。
ポールが持ち込んだのかな。どこで手に入れたのか聞いたら、失礼かしら?
ポールがお茶を手に取ったので私もそれに倣う。私がお茶のカップに口をつけ、まさに飲もうとした時にポールが言った。
「領主館で一番苦いお茶です」
その一言で私は思わずお茶を吹き出すところだった。……が。
あれ。苦くない。どういうこと?
不審に思って横目でポールを見ると、彼は平然として続きを言った。
「……というのは、もちろん冗談で、一番いいお茶のはずです」
そして自分自身がお茶を飲むと、納得したように言う。
「間違いない」
「……!」
私の家で苦いお茶を出したことへの、仕返しだった。
彼は私の反応を面白そうに笑うと、さらに言った。
「本当に、あなたの家で出されたお茶はすごかった。これまでの中で一番苦かった。もっとも、それも初回だけのことで、あとは大変おいしいお茶をいただきましたが……」
「おいしかった?」
「もちろんです、ご馳走さま」
ポールたちが家に来ていた時、私はローラに毎回苦いお茶をだすように言いつけ、ローラはそれに従った。なのに、『苦いのは初回だけ』だった?
ポールが嘘をついているのか。それともローラが?
「どうしました? こちらのお茶は口に合いませんでしたか?」
「いえ、おいしいです、いただきます」
そう言われてお茶を口にしたけど、これは本当においしいお茶だった。今までにないくらい。
ポールは頬杖をついて私の様子を見つめている。彼の視線が痛い。まだ何か言うことがあるの?
「よかったら、こっちのお菓子も……」
ポールがそう言いかけた時、壁を叩いて先触れを知らせる音がして、使用人が書斎に飛び込んできた。使用人は、
「旦那様、急ぎの知らせが……」
とポールに呼び掛けてから私に気づき、
「奥様もご一緒でしたか、失礼しました」
と言った。
また『奥様』と呼ばれてしまった。どうにも落ち着かない。
使用人の前でポールが私のことを気にする素振りを見せたので、私は言った。
「急ぎの件なのでしょう? どうぞ行ってらしてください」
「すみません、すぐに戻ります」
ポールは席を立つと、知らせを持ってきた使用人とともに書斎を出て行った。
***
しばらくしても、ポールは戻って来ない。手持無沙汰になった私は席を立って本棚を見に行く。
ポールはどんな本を読んでいるのかな? 私はあまり読まないから、本の題名を見たところで分からないだろうけど。
並んだ本の背表紙を順に目で追う。すぐ目につく位置に『農業大全』がある。そうか、『農業大全』なら、彼も持ってたんだ。有名な本なのかな。
……ちょっと待った、持っているなら、わざわざ人の家に来て、読む必要があった? どういうこと?
私が必死に考えをまとめていると、飲み物を運んできた使用人が戻って来て言った。
「もっとお茶を、召し上がりますか?」
「いえ、結構です。おいしいお茶をありがとうございました」
「それはようございました。どうぞお菓子も召し上がってください」
「お菓子?」
「その白いお菓子は、砂糖をたくさん使っているのですよ……」
使用人は期待を込めた眼差しで私を見る。私は砂糖菓子を指でつまんで口に入れた。思った通り、砂糖とアーモンドの味がする。
「甘い……とてもおいしいです」
口の中に広がる甘さ。とても甘い。多分、前に食べたのよりも、こっちの方がおいしい。
私が感想を言うと、使用人は心底ほっとしたような顔になった。
「ああ、それは本当によかった。私たちもこんなお菓子を作るのは初めてだったもので……」
後片付けをしながら使用人はうれしそうに言う。お茶のカップは下げられたが、まだ砂糖菓子の残っているお皿は机の上に出されたままだ。
使用人はうきうきと上機嫌で話を続ける。
「旦那様は少し前に、画家さんと毎日お出かけになっていたことがあって、どこへ行っているのかとお聞き申し上げても『大事な仕事だから、絶対に邪魔しないように』と言うばかりでした」
これはレイモンと私の家に来ていた頃に違いない。
「でもお出かけの時はいつも楽しそうだっただから、使用人一同、何をしているのかと不思議に思っていました。画家さんに聞いても何も教えてくださらなくてねえ」
意外とレイモンは口が堅かった。
「ところが今度はお客様が来るから、とびきりいいお茶をお出しするようにと、その上、私たちが見たこともないようなお菓子を作るようにともお言いつけになって……」
砂糖菓子はポールが領主館で作らせたものだった。さすが、世情をよく知る商人は王都での流行もよく知っている。
使用人は満面の笑みで私を見て言う。
「そうやって、奥様をお連れになったでしょう?」
なんだか話の雲行きがおかしくなって来たような。
「私たち使用人一同、もう、奥様が来てくださってうれしくてたまらないのです……」
うれしい?! なんで?!
「ああ、旦那様が戻って見えました」
ポールが書斎に入って来る。入れ替わりで、片づけを終えた使用人が書斎を出る。
「ポール、あなたは……」
私は早速ポールに詰め寄る。彼に向かって本棚を指し示す。自分でも少し頭に血が上っている気がする。
「あなたも『農業大全』、持ってたのよね。人の家に来て、読む必要あったの?」
「おかげさまで、よい仕事が出来たけど」
「仕事?!」
「邪魔が入らずにね」
ポールは、さも当然のように言う。
私は今さっき、彼が急の要件で呼ばれて出て行ったことを思い出す。
単に、邪魔ざれずに本を読む時間が欲しかったの? それだけ?
私は少し平常心に戻ってポールを見つめた。ポールも微笑んで私を見つめ返した。
「僕はあなたをだました? 怒っている?」
「いいえ……」
「じゃあよかった。座って。僕がなぜここの領主になりたかったのかお話しします」
私は椅子に腰かけた。彼は本棚から『農業大全』を取り出すとテーブルの上に置いた。
「僕はずっとここの土地の秘密を知りたかった。それを知ることができるのは、領主だけだと思っていた」
「秘密?」
「麦の商いをしていると、毎年、どこかで『麦の悪夢』に出会う。それが発生した場所は壊滅的な打撃を受ける」
『麦の悪夢』。聞いたことはある。
麦の穂が黒く変色する病気で、黒くなった麦を食べると中毒症状を起こす。麦の実が使い物にならないだけでなく、黒い麦が落ちた土も汚染されて、数年間は使い物にならないと聞く。恐ろしい病気。
「ところが、ここの土地だけは長年にわたって『麦の悪夢』が発生していない。なぜか?」
「それが、分かったの?」
ポールは力強くうなずく。
「だいたい、合っていると思う。理由は、塩、伝承、収穫税。そしてあなたの作ったネズミよけも、無関係ではない」
「……?」