第6話 確信犯
ポールが帰って行ったあと、私はフィリップに聞いた。
「昨日の領主館のこと、何か聞いてる? 新しい領主の評判はどう?」
「上々のようです。話によると、この辺りが長らく領主様の憧れの土地だったそうで、ここの領主になれて大変うれしいと……そう言っていたそうです」
「そう……」
「それに、押し寄せた農民たちも残らず領主館の中に招き入れ、酒と料理をふるまったそうで……気前のいい話ですな」
フィリップの話を聞いて改めて思う。彼は嫌な人ではないのだ。
でも、『憧れの土地』? ここは何の特徴もない農村なのに。
私たちの農村は麦と豆を作っている。幸運なことに水で苦労したことはない。
運河と河に挟まれた場所にあって、東に行けばリーニュ河。河の北はロテール港へ注ぎ、南へ行けば王都につながる。王都から先は陸路がミロワという南の主要都市まで続く。
運河の方は、北上すれば内海に出てロテールに行くことができる。少し前に、アンリエットは運河から帰って行った。
ああそうか。交通の便がよい場所だ。商人をしている彼にとっては魅力的な土地なのかもしれない。
***
またその翌朝。今度はポールとレイモンが訪ねて来た。
ポールは昨日の絵のことを少しも持ち出さなかった。私は安堵した。
彼はにこやかに宣言した。
「レイモンは絵描きなので、彼にあなたの絵を描いてもらおうと思っています」
「それは構いませんが、収穫作業があるので、絵を描く間、私はじっとしていませんよ?」
「大丈夫です、問題ありません」
レイモンが元気よく答えた。
「代わりに、私があなたの行く所、付いて行きます。もし煩わしいと思ったら、その時は遠慮なく言って下さいよ、一時退散しますから」
そう言うレイモンは人懐こい、憎めない男だった。私は彼を断り切れなかった。
レイモンとともにポールも屋敷にとどまった。
絵を描くのがレイモンならば、ポールはここにいる必要ないのでは?
私の心中を見透かすようにポールは言った。
「『農業大全』を読ませていただきたいのです」
「わざわざお越しにならなくても。貸しましょうか?」
「あなたの友人が贈ってくださった、大事な本でしょう。そんなことをしては申し訳ない」
そんなわけで、私が薬草園と土間を往復している間、レイモンは画板をかかえて私の後ろを歩き、ポールは応接間で『農業大全』の読書に励んでいた。私は二人のお客様に対して、家で一番苦いお茶を出すようにと、ローラに言いつけた。
次の日も、そのまた次の日もポールとレイモンは毎日やって来て、それぞれの仕事、絵を描いたり本を読んだりをしていた。
薬草摘み取りの作業をしながら、私はレイモンと話した。ポールのことを聞き出そうとしたのだ。
いつのまにか私とレイモンは、くだけた口調で話すようになっていた。
「ポールはここに来るまで、何をしていたの?」
「商売だよ。なんでも、爺さんが始めた行商が大きくなって、軌道に乗ったのが親父さんの代で……自分には三代目の役割があるとか言っていた」
「何を売ってるの?」
「何でも買って売るよ。……奴の商売の方法、知ってるか?」
「知らない」
「『余っている所から足りない所に運ぶ。ないなら作る。それだけだ』って、それで商売ができたら苦労しないよなあ……」
「本当にね」
確かに、ポールにはどこか、天才肌のようなところがある。
「ポールは結婚の予定はないの?」
「おや、あんたも気になるのか。奴は、性格はともかく、顔もいいし、金持ちだし。悪くない選択肢だな」
「……」
そういう意味で気にしてるわけじゃない。
もし彼が結婚してしまえば、父親の再婚の妨げにならないはずだし、アンリエットとの婚約もないはず。だから、その可能性がないかと探りをいれたいだけ。
でも、誤解されないようにと、私は話の方向性を変えた。
「一人の領民としてね、心配しているの。ここの所、領主は頻繁に替わっていたから……もしポール結婚したら、この土地に落ち着いてくれるんじゃないかと期待するでしょう?」
「それはないと思う」
「どうして?」
「奴は商売が本業だし、この土地だって、何かを調べるために来てるみたいだったし、こっちが足かけなんじゃないかと」
「ふうん……」
じゃあ、用が済んだら、いずれ去って行くわけだ。その時にはまた、別の領主に、この辺りの土地を売って?
ポールが本を読んでいる応接間を見ると、広い窓越しに彼の姿が見えた。腕を組んだまま行ったり来たりして、何か考え事をしているようだ。
再度私はレイモンに聞いた。
「で、恋人もいないの?」
「いないね。興味ないみたいだ。でもそれは、あんたと同じじゃないのかい?」
「そうね、そしてそれはあなたも同じでしょう」
「ちぇっ、俺たち三人は、そろいもそろって、若さという最大の資質を無駄にしてるぜ……」
レイモンが笑ったので私もつられて笑った。
この時、ポールが窓の向こうから私たちを見ているのがわかった。
レイモンが手をふる。ポールも片手を上げて応じる。そしてすぐに窓の奥に消えた。
きっと本を読みに戻ったのだろう。
ポールだけでなく、レイモン自身のことも聞いた。
「あなた、ポールの友達?」
「そう。子供の頃、同じ学校で学んでて、でもいったん別れて別々の道を行った」
「それから?」
「二年前、借金取りに追われて俺が船乗りをやっている時に奴と再会した」
「借金? それは画家が、もうからない仕事だから?」
「違う、違うよ、俺は博打でさ……ポールは借金を返済してやるから代わりに自分の所で働けと言って……それで俺は奴に身売りしたんだ」
レイモンはそう言ったけど、二人の関係は、主従というよりも友人同士なのは明らかだった。
「風景を映しとったり、図面を描いたり、借金分はもう働いたと思うんだけどなあ……」
「そして今は人物画。なんでも画けるのね」
「絵の才能は天才ってわけじゃあないが、俺は筆が早いのだけが取り柄で……」
そこで、はたと私は気づく。レイモンは、しまった、という顔をする。
筆が早い? 彼が私の後を追って絵を描き始めてから、すでに十日経っている。
「絵はもう出来てるんでしょ? 何を描いたか、見せてよ」
「ばれたか。でも、だめです。雇い主の許可があるまで見せられません」
「今までずっと、描き続けてるふりをしてたのね。ずるい、見せてってば」
私がレイモンの絵を奪い取ろうとすると、ポールがやって来て横から画板ごと取り上げた。
「本が終わったから、来たんだ」
「それはよかった。ちょうどこっちも描き終わった所なんだ。どうぞ、ご高覧を」
そんなわけないでしょう。なんてわざとらしい。
レイモンはポールにだけ絵を見せた。悔しかったけれど私は手が出せなかった。
「これがいい」
何枚かの絵を見てすぐにポールは言った。レイモンも真面目ぶってうなずき、宣言した。
「三日で完成させます。その時には完成した肖像画をお見せします。今しばしお待ちを」