第2話 母親の恋人
アランは目を丸くして私とマーゴとを見比べる。
「これは驚いた……貴女に似て大変お美しいお嬢さんだ」
マーゴはにっこりとほほ笑むと、そっとアランの腕に触れる。
「会わせることができて良かったわ。だって私たち、もうすぐ結婚するんですものね」
マーゴは再びアランと腕を組み、近くに寄り添う。とたん、アランは思案顔になった。
私もマーゴの言った意味を必死に考える。結婚?
今まで一度も結婚したことのないマーゴ。恋人はたくさんいたけれど、結婚したいなんて、聞いたこともなかった。
ポールは冷ややかに自分の父親とその恋人とを見つめている。
「おめでとうを申し上げます。父上が結婚なさるのはご自由に。でもそれと僕の結婚とは話が別です」
ポールの『結婚』は、アンリエットとのことだ。機を逃すまいと私はポールに聞いた。
「ご結婚なさるの、あなたも?」
「だから、しませんって」
「しない?」
ポールはため息をつく。そして私の質問に答えた。
どちらかというと、私に聞かせると言うより、彼の父親に向かって説得を試みているようだった。
「誤解のないようにいいますが、相手が悪いんじゃなくて、時期が悪い……むしろ僕らの方が嫌われているでしょう。今は結婚なんかしてないで、事態の解決をはかるべきなんです……」
息子の方は親がとりまとめた婚約に否定的。それに、相手から嫌われているとの自覚もある。
これはアンリエットにとって、よい知らせ?
「……それに、必要なのはただちに弁済することじゃなくて猶予と免除なんです。僕らがそれを主導したらいいし、その方が得になると、皆、頭では分かっている」
そして、続く一言が、彼の父親を逆上させた。
「あなたらしくもない。今回に限って、なぜ調査もせずに援助を申し出たのですか。我々に非があったから? 父上、あなたは誰をかばっているのですか……?」
アランは苛立ち、持っていた杖で床を叩いた。大きな音が響く。
息子は動じることなく言葉を続ける。
「僕はロテールに行きます。重ねて言いますが、現地に用があるからであって結婚しに行くのではありません。僕が言いたいのはそれだけです」
ロテールというのは北方の港町の名前。海洋貿易の拠点。そこで事故が起きたのだと、アンリエットも言っていた。
彼はそこに行って事態の収拾をはかるつもりらしい。そうする自信があるのだ。
父子の話し合いは終わった。
「分かった。では、お前は行け」
アランは短く言い、もう息子の方は顧みない。マーゴの腰に手を回すと、出口の方へと誘う。
二人は並んで歩き去り、ポールは頭を下げて二人を見送った。
私は一瞬迷った末、このまま部屋にとどまることにした。
***
「あの……」
二人だけになって、私は彼に話しかけた。ポールは無言のままで私を見ている。
私は恐る恐る尋ねる。
「すぐに出発を……? 舞踏会には、おいでになりませんか……?」
「僕は招待されていませんので」
「そう……」
明らかに本題ではないと、聞く方も答える方もお互いに分かっている。再び沈黙が訪れる。
この沈黙は彼の方が破った。
「あなたは、お母上の結婚に反対を?」
「まさか、まさか」
私は大袈裟に首を横に振った。
「……むしろ大賛成だし、何をしようとお母様の自由だし……」
「それならばよかった。僕も二人を祝福しています」
少しほっとしたようにポールは微笑んだ。さっきまでは見せなかった優しい表情。
しかし、目線はすぐに遠くへ、何かを考え込んでいる。
私は尋ねる。
「なにかご心配事が?」
「……気になっていることがあって……それは僕のせいなのですが……」
自分自身に言い聞かせるように彼は言葉を続けた。
「父は亡き母に義理立てして、……子供が成人するまでは再婚しないと決めているようなのです」
「でも、あなたはとっくに成人なさっておいででしょう?」
「どうでしょうね」
ポールは肩をすくめる。
「……結婚して初めて成人で、それまでは、まだ子の養育に専念すべしと……父がそう思っている節があります。僕の存在が二人の結婚の妨げになっていないといいのですが」
親が取り決めた結婚を断ったことを、彼なりに気にかけているらしい。
ここでポールは突然表情をあらため、私に向き直った。
「申し遅れました、僕はポールといいます」
「私はミルテ」
「伺っております」
ポールは真面目な顔をしてうなずいた。さっきお母様が私を紹介したから、知っているのだ。
そして私は心の中で苦笑い。私はあなたの名前を、先にアンリエットから聞いて、知っていた。でもそんなことは言ええない。
「ではミルテ、今後、もし、一家団欒の機会があれば、またお会いしましょう」
一家団欒? 何て、聞きなれない言葉。
もしあなたのお父様と私のお母様が結婚したら、あなたは私の義兄弟で、私たちは家族になるの?
皆で和気あいあい、語り合える日が来るの? 想像するだけで目の前がくらくらする。
そうしている間にも彼は一礼し、用は済んだとばかり、さっさと部屋を出る。
あっという間の出来事。
ポールは嫌な人ではなかった。会話したのは短い時間だったけれど、彼は悪い人ではないのだ、との印象を持った。アンリエットの婚約者でなければ彼のことを応援してあげたいくらい。
ポールとアンリエットの二人も、もっとよい形で出会っていれば、理解し合えたかもしれないのに。
今聞いたことも含めて、全部アンリエットに話さないと。
***
それにしても、ここは気味の悪い部屋だ。三方の壁いっぱいの肖像画と、並んだ胸像がぎょろりと人を睨みつける。
これらはみな、ドリス公爵家の歴代の当主なのだろう。
部屋を出ようとした時、先に出て行ったマーゴが戻って来て、私は部屋の中に押し戻された。
彼女は恋人と一緒ではなく、一人。そして、ものすごい形相をしている。
「お前……」
マーゴは両手を私の首元に置く。強い力で締めつける。一瞬息がつまる。
抵抗する間もなく私の身体は後ろに突き飛ばされ、居並ぶ胸像のうちの一人にぶつかる。
「……!」
胸像の台石に寄りかかった後、ゆっくりと私の身体は滑り落ちて床に横たわる。
マーゴが近づいて来て、私の顔を上からのぞき込む。そしてつぶやく。
「お前が悪いの……だってお前の顔を見るなりアランが言ったのよ、結婚はできなくなった、って。『あなたに結婚を申し込んだのは時期尚早だった、結婚するにはまだ障害がある、それはあなたが人の親だから分かるはず』だって……」
お母様は『結婚の障害』が、私のことだと思ったらしい。子連れの女とは結婚できないと、そう言われたと思ったのだろう。
しかし、ポールの言ったことが正しければ、障害となっているのは私ではなくて、相手の息子の方だ。ポールは、自分が結婚しないと宣言したことで、アランが再婚を断念するのではないかと心配していて、その心配が当たったのではないだろうか。
つまり、アランが言ったことの真意は、息子が結婚しないのに、父親が結婚しようとするのが『時期尚早』。結婚の障害とはポールが独身であること。マーゴが娘の親ならば、自分がいまだ独身の子を案ずることを分かってもらえるはずだ、と。
お母様は多分、誤解している……。
私の訴えは声にならず、代わりに聞こえるのはマーゴが私に向けた憎しみ。
「またもやお前が邪魔をするの……どうして、どうしてお前の名前がミルテなんだろう……」
言い捨ててマーゴは私の元から立ち去る。最後に見えた彼女の顔は醜い。
横たわっている私の頭上で胸像がぐらりと揺れる。もう一度大きな音。衝撃。私の目の前が一瞬暗転。
力が抜けていく。寒い、寒い、寒さを感じる……助けて……。
誰かが部屋の前を通る。倒れている私と目が合う。慌てて目をそらす。彼はそのまま行ってしまって戻って来ない。……求婚までしてくれたのに。
私は目を閉じる。すうっと眠りに落ちる。誰かの声が聞こえる。
「ミルテ……ミルテ!」
誰? 私を呼んでくれるのは誰?