第12話 木を隠すなら
あれ、レイモンがいる。
ロテールへの出発の日。迎えに来た馬車の馭者台を見上げると、レイモンと私との目が合った。
「やあ、ミルテ」
彼は気さくに手を上げて挨拶を寄こす。
隣に座っていたポールが慌てて降りて来て言う。
「すみません、もっとちゃんとした馭者を連れてくるつもりだったのですが」
「失敬な、こんなに目のいい馭者はそうはいないぞ」
遅れてレイモンも馭者席から降りる。
ポールはレイモンに釘をさす。
「そう言って、いつも側道にはまっているのは誰だ。くれぐれも脇見はするなよ」
「ちっ……」
確かに、私たちが知り合ったのも、レイモンの荷馬車が車道から落ちていたせいだった。
一瞬だけ黙ったレイモンだったが、すぐに反撃を開始する。
「聞いてくれよミルテお嬢さん、こいつが、いかに薄情な男なのかを」
「何のことだ」
ポールは不審の目でレイモンを見る。
「ずいぶんと楽しそうに旅支度をしていると思ったら、若いお嬢さんの同行をするというじゃないか。一人だけ楽しい旅行に出かけようなんて」
「楽しい旅行と知って、わざわざ邪魔をしに来たのか」
「いいや、そうじゃない。楽しい旅ならば友人を誘うべきだし、もしつまらない旅ならば、付き合ってやる、それが友のすることだろう」
「どうあっても付いて来るつもりだな」
二人のやり取りを聞いていたローラが笑う。
「旅は大勢の方が楽しゅうございますしね。よろしくお頼み申しますよ、おふた方とも」
「もちろんです」
二人とも、真面目くさった顔で答えた。
後から来たフィリップと下男が私たちの旅の荷物を示し、ポールとレイモンは慣れた様子でそれを馬車に積み込んむ。
「これで終わりか?」
「はい、全部です」
荷物の積み込みを終えるとポールとフィリップが話し始める。その隣で私はレイモンに話しかけた。
「あなたもロテールへ?」
「そう」
「領主館の部屋の絵が完成して、暇になったの?」
「まだだけど、こっちが優先だ。あの港町は油絵具の本拠地だからな。一度行ってみたかった」
「へえ……」
私が感心しているとポールが口をはさんだ。
「都合のいい口実だ」
「お前のやり口を見習っただけさ。今は仲良くしておこうぜ、親友」
レイモンはポールの肩を軽く叩くとさっさと馭者席に戻る。ポールがむっとしたようにレイモンの姿を目で追う。
「ポール」
私が呼ぶと彼は振り返った。
「あなたの方こそ、出かけて、領主の仕事はいいの?」
「ウィリアムとフィリップがいる」
「フィリップは領主館の人間じゃないわよ?」
「これは個人的な信頼に基づくものです、ミルテお嬢さま」
フィリップがかしこまって言い、私たちの方に向かって一礼する。
『個人的な信頼』? はて、どういうことなんだろう。
でもフィリップが納得しているなら、それでいいか。
「どうか留守中のことはご心配なく。よい旅をなさってください」
引き続き馭者席にはレイモンとポールが座り、私とローラは箱馬車の中に座ることとなった。
***
そうやって始まったロテール行きの旅だけど、なかなか村を出るまでに至らない。
馬車がしょっちゅう止まるのだけど、それはローラの顔が広いせいだ。
畑の間を行く馬車からローラが手を振ると、作業に出ている女たちが馬車の方に駆け寄って来る。
世間話が始まって、港町にでるならついでにお願いと、ローラは用を頼まれる。それを私が紙に書き留める。
所用の手間賃ではないだろうけれど、畑の野菜や果物、この季節ならではの自家製キイチゴ酒、パンにケーキがどんどん馬車に積み込まれていく。
これがずっと続いているわけで、三度目の時に私は謝ったのだ。
「すみません、なかなか進まなくて。本当にすみません……」
「いいですよ、あなたの旅ですし、別に僕らに急ぐ用があるでもなし」
道案内の二人は、のん気なものだった。
度々、レイモンは絵を描いている。風景画のようだ。
「ここをああして、こうして……」
絵筆を動かしながらレイモンがつぶやくと、それをポールが覗き込んで指さす。
「ここが違っているんじゃないのか」
「いや、それでいい。そこは、こうあるべきと思って描いたんだ」
何のことなのか。私が絵を見ようとすると、レイモンはわざとらしく絵を隠す。
「おっと。見るなら雇い主の許可をもらってください」
「雇い主……?」
私たちの視線を受けてポールはあきれたように肩をすくめる。
「ミルテ、領主さま、画家さん」
不意に呼び声がかかった。ローラと農婦が話しながら、手を振って私たちを招き寄せる。
農婦の名前はリーズ。いわゆるやり手の豪農で気のいい女主人。使用人を使ってかなり広い農地を耕作している。人手のある分、麦の刈り入れ時などには他家の手伝いも買って出ていて、人々の尊敬を集めていた。
「おかげさまで水車小屋はすっかり調子よくなってねえ……」
リーズはまず水車屋について、ポールにお礼の言葉を言う。
リーズとポールが話している横では、レイモンが私に耳打ちした。
「言っておくが、水車小屋の図面を引き直したのは俺だ」
そんなこともできるの?
驚いて私がレイモンの顔を見ると、レイモンは素知らぬ顔をして横を向いてしまう。
水車小屋は主に粉ひきに使っているのだけど、村に二つあるうちの一つは長らく動かないままになっていた。それをポールが聞きつけ、人を手配して修繕させたらしい。そして、元からあった水車屋の分と合わせて、今後使用料はとらないと宣言したと聞いた。がっちりと使用税をかけていた前の領主とは違う。
これについてはフィリップも言った。
『本業の商売の方でかなり儲かっていると聞きますから、こんな農村からは搾り取る必要がないのかもしれません。鷹揚な領主で、我々は幸運でしたな』
次に、リーズは私の方をみて言った。
「ねえ領主さま、ミルテはいい子でしょう。美人だし」
「……」
リーズは何を言い出すつもりだろう?
「……こんな農村にいるなんて、どこかの美人女優の隠し子なんかじゃないかとね、そういう話もあるのよ」
どきり。
実際に、美人女優ではなくて歌手の隠し子なのだけど……。ポールはこんな話を真に受ける?
ポールは私の方を見ずに、にっこりと笑ってリーズに答えた。
「そうですね、理由が分かる気がします」
「?」
「木を隠すなら森の中というでしょう。この村にいれば、どんな美貌も目立ちませんね」
リーズとローラは一瞬考え込んで、意味が分かって大笑い。
リーズはさらに言った。
「画家さん、今度、あたしのことも絵に描いてちょうだいよ、お上手なんでしょう?」
「はい、上手は上手ですよ。でも領主さまから頼まれた仕事が山のようにあって……」
レイモンはわざとらしくポールの方を振りかぶって見る。ポールもレイモンを睨み返して言う。
「そんな横暴な領主というのは、どこの領主のことかな」
「俺の目の前にいる」
「それは気づかなかった」
リーズは大いに笑う。
「あらあら、それじゃあ大変ね、気長に待ってますわ」
案の定、リーズもパンと野菜、木の実などを私たちの馬車に積み込んだ。
「こんなものを差し上げたら、よくない気をおこすかしら?」
リーズの心配に、ポールは満面の笑みで応える。
「ありがたくいただきます。これまで通り、麦と豆以外には税はかけませんからご安心を」
これまでも、野菜や果物はそのまま農家の取り分だった。リーズは大げさに喜び、手を振って私たちの馬車を見送る。
ようやく馬車は村を出て街道に入った。
***
街道の道行きは順調。ポールたちはまだ日が高いうちに馬車を止めた。
「今日はここまでにしましょう。明日、リーニュ河と並んで進んで、それで昼過ぎにはロテール港に出られると思います」
そう言って、ポールはローラが馬車から降りるのに手を貸す。
街道を進んできたとはいえ、馬車は揺れた。特に、若くないローラにとっては疲れの色が見え始めた頃だった。
道の側に大きな二階建ての家が二軒。そのうちの一軒は、一階が馬屋。看板はないが、二軒とも旅の宿だという。
「主に僕らのような商売人が使う宿ですが、清潔で快適ですよ。行きましょう」




