9話
すると、後ろから声が聞こえる。いや、正しくは上から。それは普段耳にする声と同じ低い声だった。でも、知り合いでは無い。それなのに、その声に緊張が解けて、上を見上げる。
そこには、身長が二メートルは余裕であるであろう人がいた。
「おっさん。この子困ってるんでやめてあげてください」
「おっさ…おっさんだと?俺はそんなに年取ってないぞ」
「それでも、俺らからしたらおっさんはおっさんなんで」
キレそうになる男性に軽いノリで答える彼。先程止めた時に男性の手から私の手首を解いていたようで、気がつけば私の手首は彼の手の中にあった。おっさんと言われた男性は彼からの返しが効いたらしく、顔を真っ赤にして帰って行った。
「えーっと…ごめんね?」
先程の対応とは打って変わって、探るような優しい声色で謝ってくる彼。ただ謝られた側としてはなぜ謝られたのかが、よく分からなかった。助けられたのに謝られてしまったということもあり、罪悪感も凄かった。だからといって、私は彼に対してなんと声をかけたらいいのかすら分からない。こういう時にいつも私は自分のことを呪いたくなる。必要な時にかける言葉すら知らない自分を。だから、色んなところで聞く言葉をそのまま口に出す。
「助けてくださったんですから、謝らないでください。こちらこそご迷惑をお掛けして、申し訳ないです」
大体の人はこれでいえいえと言って去っていく。けど、彼もまたこちらを見つめていた。その目に何もかもを見透かされている気がした。この気持ち悪い感覚が嫌で逃げようと思うのに、先程の男性とは違って逃げてはいけないという圧を感じる。だが、会話を試みる気にもなれない。だからただ気持ち悪さに耐え、彼の目を見つめ返すことにした。
「……いつまで見つめてればいいですか…」
そう言って、彼は目を逸らす。やっと視線が外れたことでやっと体が動くようになったので、彼に感謝を伝えて私はこの場を去ることにした。
「あ…ごめんなさい…。あと、助けて頂きありがとうございました…!」
「いえ、何か困ってたようだったから、お役に立てて良かった」
彼の言葉をしっかり最後まで聞いて、それではと言って横を通り過ぎようとすると、いきなり声をかけられた。
「あの…」
「……はい…」
いい加減にして欲しい。私はもうここを立ち去って帰りたいのに。なんて思っていると、彼は意味の分からないことを言い始めた。
「お名前を知りたいのと…出来れば…連絡先を交換したいなと…」
「……はい…?」
新手のナンパだろうか。勘弁して頂きたい。私はナンパされるだけの容姿を持ち合わせてなんていないし、彼と連絡先を交換したいとも特に思わない。その上名前を教えろだなんて怪しいにも程がある。私はやばい男ホイホイか何かなのだろうか。それくらい、最近やばい男を寄せ付けてばかりだ。いや、最近と言っても今日の話だが。出来るなら、交換なんかしたくない。だが、交換できない理由を探す方がだるいことに気が付いたので、仕方なく連絡先だけを教えることにした。
「名前は嫌です。でも、連絡先だけならいいですよ」
「ほんと…ですか…!」
そう言って満面の笑みでケータイを取り出す彼。そろそろ、彼呼びが面倒くさくなってきた頃ではあるが、私が名前を教えていない手前彼に名前を聞くのは失礼な気がして、聞くのはやめておくことにした。
「そしたら、何で交換しましょう…。リンネでいいですか?」
「あ、はい。それじゃあリンネで!」
そう言って、リンネを交換する。リンネはチャットや通話が無料でできるアプリで、ほとんどの人のケータイに入ってるイメージがある。実際、ネットに疎いと言われる私のスマホにも入っていて、今の時代では必需アプリのようになっている。
交換した連絡先の名前を見てみると、名前の欄に英語で〝かなと〟と書かれていた。
「かな…と…?」
「はい、どうされました?」
「いえ…」
聞き覚えのある名前だった、昔どこかで聞いたことがあるような。でも、その人と彼はどこも似ていない。あの子はこんな子ではなかったはずだから。姿や声が変わったにしても変わるには早すぎるし変わりすぎている。だから、思い違いだと思うことにした。
「流々…ルルって呼べばいい…?」
「あ…えと…はい」
「了解。よろしくねルル」
自分の名前が流里なのであだ名で呼ばれることに少し違和感を覚える。けれど、いきなり会った人に名前を教えるのも嫌で多少の気持ち悪さからは目をそらすことにした。
「んで、ルルちゃんみたいな真面目そうな子がなんでこんな時間にここに居るの?」
「うっ…。それは…言えないです…」
「ふーん」
さっきのあの男性のように深堀されるのかと思ったのに彼は深堀してこないため、身構えていた私は拍子抜けしてしまった。
「え、理由聞かないんですか?」
「まぁ、聞いても意味ないし、てかタメ口で話してよ。なんか違和感あるから」
その地味な潔さノリの良さにやはり私は驚きを覚える他なかった。
「い、いや、タメ口は…」
「え?同級生だろうに、なんでタメ口ダメなの?」
「初対面ですし…」
遠回しにタメ口は嫌だということを伝える。だが彼は少し笑みを浮かべてこう言った。
「本当に初対面だと思ってるの?」
「…どういうこと…?」
「えぇ、忘れたなんてひどいなぁ…ねぇ、流里ちゃん?」
「名前…なんで…」
独特のイントネーション。里の字の読みが上がる、周りとは違う呼び方。過去に私のことをそのイントネーションで呼ぶ人が一人だけいた。でも、その人とは何もかもが違う。彼の特徴とは名前以外似通ってないからこその気持ち悪さがすごかった。
「やっぱりかなとってあの奏斗…?」
「そうそう。気付かなかった?」
「だって…奏斗にしては変わりすぎじゃ…」
これは本心だった。昔偶然この橋の上で会った同い年の少年はもっとやんちゃで身長も小さくてこんなに声も低くなかった。成長期に一気に変わるとはよく聞くがあまりにも変わりすぎている気がしてならなかった。
「なんだそれ…」
そう言って笑った彼の顔を見てやっとすべてが確信に変わった。どれだけ成長して変わっていても笑った顔は変わらないままだった。
「信じきれないけど奏斗なんだね…」
「だからそう言ってるって」
そう言って困ったような笑顔で彼はこちらを見ていた。
「久しぶり奏斗」
「懐かしいよな、この橋。昔ここでよく遊んだ」
「ね…。途中で奏斗から消えちゃったけど」
「ハハハッ、その都度はすいませんでした。てか、タメ口になったな」
「まぁ、知り合いになら別に。その上奏斗になら今更敬語を使う必要もないでしょ」
「流石流里だな」
そんな軽口を叩いている高校生二人がこんな時間帯にこんな場所に居るのがおかしいのだろう。周りにいる大人たちがこちらをいぶかしげに見てくる。まぁ、周りから見たら私たちはただの不登校か不良だろうから、あの表情も分からなくはない。私自身もこんな時間帯に私たちみたいな人が居たら流石に驚くだろうし、少し怪しく思うだろう。
「さて、そろそろ人通りも増えてきたし、どこかに移動しようか」
「そーだね」




