13話
そんな状況が一変したのは、ある日の昼頃のことだった。教室はいつも通り大荒れだし、クラス内の気持ち悪さも何ら変わらないはずだった。それなのに、今日は確実に何かが違った。いつもの騒がしい環境がそこからは消えていて、私の気持ち悪さの要因も消えていた。そう、今日はクラスメイトが居ないのだ。もう時間なのに誰もクラスに来ていない。違和感の正体は多分きっと、いや確実にそこだった。そうで無ければ納得がいかなかった。
「私一人のクラスか…。クラスメイト達はどこ行ったんだろう…?」
そこまで分かったところで思った。先生も来ていない。その上、いつもは騒がしい教室も嫌に静かだった。確実にいつもと違う。何もかもが。
「あれ、今日の曜日は…火曜日…そうだよね…校門も開いてたし、校舎にも入れたし…じゃあなんで…?」
そこにガタンと椅子の動く音がした。そう、私以外誰もいない教室でひとりでに椅子が動き出した。その音に少しの恐怖を覚える。動いた椅子を探す。だが、またも不思議なことに動いた椅子はどこにも見当たらなかった。その様子もまた不気味に思えて、私の体は硬直してしまっていた。
「なに…なんで…?」
そうつぶやくも理由は分からない。人のいない教室で、ただ動けなくなった私がそこにあった。そこへ、次はクジラの声が聞こえてくる。本当に不気味で気持ちが悪かった。誰でもいいから連絡が通じてほしい。そう思いながら、連絡先で一番上に電話をかけた。
『もしもし?』
昨晩も聞いた彼の声が聞こえてくる。昨晩は気持ち悪く聞こえた声が、今は安心できる声に聞こえた。聞こえたまではいいが、この後、私はどうすればいいのだろうと迷う。その末に出された声は、とても弱弱しくてかすれていた。
「た…すけ…て…」
とても弱弱しくか細いかすれた声だったが、彼は聞き取ってくれたようで、画面の向こうから心配をする声が聞こえた。
『どうしたの?大丈夫?』
心配する声が電話越しに聞こえる。その声だけで私の心はある程度落ち着いた。彼は大学生だっただろうか。もしも授業の入ってる時間だったらどうしよう。そんな考えがやっと冷静になった頭の中をグルグルと回っていた。迷惑をかけたくなくて平気なふりをする。動揺を隠すように、そして何もなかったかのように。
「ううん!大丈夫!ちょっといたずらしたかっただけ!」
もしかしたらとある羊飼いの少年のように助けてもらえなくなるかもしれない。それでも、迷惑をかけないためにはこうして取り繕うしかなかった。
『……本当に大丈夫なんだよね?』
少し疑って探るような声。声が震えそうになるのを精一杯抑えて何とか「大丈夫だよ」と答えるしか私にはできなかった。それでも電話を切ることはできない。今しているこの電話に安心を求めてしまっていた。
『そっか…でも、切らないんだね』
「あ…えと…ごめん…」
彼に指摘されるが言い返すことも口実も見つからない。どういえばいいのか、私には分からなかった。
『まぁ、謝らなくていいよ。とりあえず、あと一時間くらいは暇だし』
きっとこれも彼の気遣いだ。本来彼はこの時間帯は授業が入っている。昔聞いたこともあり、私は知っていた。それを隠してくれているのは彼の優しさや気遣い以外の何物でもない気がした。
「いやいや、今日は授業があるでしょ?そっち優先しなよ」
『…今日の授業はさっさと終わったし、この後は10時くらいまで無いから大丈夫だよ。気を使ってくれてありがと』
そういうことだったのかと腑に落ちるが、最後の言葉は私にはもったいない気がした。
「ありがとうって言われるようなことしてないよ。何なら感謝を伝えるのはこっちの方だし…」
彼は納得がいかないのかあーとかうーと母音だけ吐いている。その様子に困らせてしまったかなという念だけが心に残っていた。
電話を切ろうにも体がこわばって切ることすらできない。そんな臆病な自分に心底嫌気がさした。彼に対しての申し訳ないという気持ちが大きくなっていく。それでも私にはどうすることもできなかった。
『とりあえず大丈夫なんだね?』
「う、うん」
詰めるような言い方に私は押されそうになりながらもなんとか答える。そうすると彼は、後ろから聞こえてくるクジラの鳴き声は何?と聞いてきた。私には聞こえないのに彼には聞こえているようだった。
「な、き、聞こえるの」
『聞こえるって何のこと?普通に奥から聞こえてくるじゃん』
その言葉に驚く以外の反応を示せなかった。私以外の人たちの大体はクジラの声が聞こえる。その状況に私は疑問しか覚えなかった。
「私には聞こえないよ?」
『え?ほんと?なんか、俺、流里が話してる間ずっと聞こえてくるんだけど…幻聴かな』
「う、うん、本当だよ。背後から音なんてしないよ」
そうすると、向こう側で考える声が聞こえた。『クジラさん』が関係しているのだろうかと私なりに思考を巡らせてはみるがあっている気は少しもしていない。
『とりあえず、俺も今から流里の学校向かうからちょっと待っててくれる?』
その問いにどう返そうかと迷う。彼に学校の場所を教えた覚えは無いし、電話越しでは安心するとは言えど現実であったらまた怯んでしまうかもしれない。そうすると、安易に頷くことも難しかった。
「そこまでしなくていいよ……!ほんとにちょっとイタズラしたかっただけだから!」
『それでもなんか不安だから向かうよ』
本格的に頭を抱え始める。この今現在私しかいない教室にあの人が来る。それだけで恐怖を感じさせるには十分だった。
「いやいや、本当に大丈夫だから……!」
少し大きめの声が出てしまう。そうすると後ろから久しぶりに独特の低い声が聞こえてきて、地面が揺れ始めた。
『うわっ…!』
画面の向こうから驚く彼の声が聞こえる。向こうでももしかしたら地鳴りが起きているのだろう。その状態に罪悪感を覚える。また、私のせいで被害が出た。画面の向こうからは物が倒れる音がする。その音が、向こう側で大きな地震が起きたことを私に知らせた。
「奏斗…大丈夫…?」
『う、うん。大丈夫だから安心して』
少し動揺交じりの声が向こうから聞こえてくる。
「何か倒れたりしてない?」
『何か倒れてきてたりはしてないよ、机の上のものはちょっと落ちてきちゃったけど…!』
先ほどの自分の発言と行動を後悔し始める。私のせいで彼の家のものが壊れてしまったのではないか、と思っているうちに、時刻はすでに十時を回っていた。
『それより流里は大丈夫?ケガしてない?』
「う、うん。大丈夫だよ」
『そっちに向かうのも難しくなっちゃったし、仕方ないから部屋かたずけておくわ。でも、一応電話は繋いでおくね?きっとその方がいいでしょ?』
「う、うん…」
さすがに昔ほとんどの時間を一緒に過ごしていただけあって私の扱いには慣れているなと思う。普通なんの接点もなかったら、電話なんて切られてしまうだろうから。そう思うと、彼は本当に私の扱いがうまいなと心から。
『辛くなったらすぐ言ってよ?そのために電話繋ぎっぱなしなんだし』
「う、うん…。ありがとう」
彼の善意が感じられるからこそ、やはり先程起こしてしまった地震が申し訳なく感じた。どれだけ不安に感じる声でも、どれだけ昨晩の夢の中で怖かった人だったとしても。それでも、今ここで私を助けてくれているのは紛れもない彼なのだ。そう思うとやはり申し訳ない。でも、償うことも私にはできない。その不甲斐なさに私は頭を抱えるしかできなかった。
『大丈夫?さっきから、上の空みたいだけど』
「大丈夫だよ!さっきの地震でちょっと動揺してただけ!」
『…ならいいけど。』
ごめんなんて思いながらも、相談することはできないし、それでも頼らないこともできない。それが私の性に合っているのだ。そして、彼もそれを分かっているのか変に深入りしてくるも無かった。そうこうしているうちに目の前が暗転する。
目覚めたときにはベッドの上だった。




