【絶氷の女帝】の異名を持つ氷海さんは、ガチャ運が死ぬほど悪い。でも、僕は異様にガチャ運が良く……。
「ひ、氷海さん、好きです! 俺と付き合ってください!」
「……死ねばいいのに」
「ガハァ!?」
とある高校の昼休み。
二階の教室の窓からふと裏庭を見下ろすと、今日もクラスメイトの氷海さんにこっぴどくフラれた男子生徒が、地面に倒れて天を仰いでいた。
これで今月だけで何人目だろうか……。
だが、倒れた彼はどこか恍惚とした表情をしていることから、そっちの趣味がある人種なのかもしれない。
だとしたらむしろご褒美なの、か……?
氷海さんは氷のように冷たい威圧感のある言動と、世界三大美女を彷彿とさせるその容姿から、【絶氷の女帝】の異名を持つ、雲の上の存在だ。
同じクラスというだけで僕とは神様とミジンコくらい住む世界が違うので、僕が氷海さんと関わり合うことは生涯ないと、この時は思っていた――。
「あ」
その日の放課後の帰り道。
たまたま前を歩いていた氷海さんが何かを落とした。
「……死ねばいいのに」
僕が拾うよりも先に氷海さんはそれを素早く拾い上げると、「……死ねばいいのに」を残して足早に去ってしまった。
……うわあ、僕は初めて「……死ねばいいのに」を喰らったけど、思いの外心がエグられるな。
ましてあんな鋭利な氷柱みたいな瞳で言われたら尚更だ。
僕にそっちの趣味があったら、間違いなく昇天していたことだろう。
それにしても、今氷海さんが落としたのは二足歩行の犬みたいなオモチャに見えたけれど、あれは何だったんだろう?
「あ」
エグられた心を癒すためにゲームセンターへ行くと、人目を避けるように辺りを気にしながらガチャガチャのコーナーを歩く氷海さんを見かけた。
氷海さんは今人気絶頂のゲーム【闘犬男爵】のガチャガチャの前で立ち止まると、小銭入れを開けて百円玉を取り出し始めた。
僕の妹も闘犬男爵にハマっていて、事あるたびに『レア闘犬が当たった』とか『ランキング入りした』とか自慢されるけど、僕自身はやってないから別に何とも……。
しかし、あの冷徹で人の血が通っていないと言われている氷海さんがガチャガチャを……!?
気になり過ぎてこっそりと近くまで寄ってみた。
見つからないように死角から忍び寄る。
傍からはストーカーにしか見えないだろうが、氷海さんの意外な行動から目が離せない。
氷海さんはガチャガチャを一度回してカプセルを開けると、少し間を置いてもう一度小銭入れを開けた。
再度ガチャガチャを回しカプセルを開けると、おでこの横を掻く。
そして眉間に皺を寄せながら小銭入れをもう一度開けた。
その手にはチワワらしきフィギュアが二つ。
どうやら被ってしまったらしい。
絶氷の女帝の異名を持つ彼女でさえ、被りの悲劇からは逃げられないようだ。
ちょっとだけ親近感が湧いた。
三度目のガチャガチャを回した氷海さんの手にはまたしてもチワワが……。
氷海さんガチャ運なさ過ぎるでしょ!?
ある意味強運とも言えるけどさ。
「あ」
氷海さんは素早く去ってしまった。
どうやら諦めたらしい。
ガチャの闇は深い、程々が一番だ(どうでもいいけどここまで僕、「あ」しか喋ってないな)。
「さて、と」
そっと闘犬男爵のガチャガチャの前へ。
一回三百円、全二十種類……多くない?
「……三百円、か」
氷海さんはこのガチャガチャに九百円も使ったのか……ガチャって怖い。
たまには妹に買ってやるかと思い、一度だけ回してみることに。
出てきたのは片膝を立てて屈み待ちをしているスコティッシュテリア。
付属のちっちゃい説明書を開くと、すぐにシークレットだとわかった。
おっ、ラッキー。
「──!!」
と、背中に突き刺すような視線を感じたので慌てて振り返ると、物影からこちらを凝視している氷海さんと目が合った。
手には大量の百円玉が……。
どうやら帰ったのではなく、両替に行っていたらしい。
「……死ねばいいのに」
僕の持っていたスコティッシュテリアを見て、氷海さんは絶対零度の視線を向けた。
そして有無を言わさず背中を向け、去ってしまった。
……僕の心には、荒れ狂うブリザードが吹き荒れていた。
「妹よ、ほれ」
からがら帰ってきた僕は、戦利品を妹に渡す。
「アニィ、何これ!? 闘犬男爵ガチャガチャコレクション第二弾のシークレット、スコティッシュテリアじゃん!! 欲しいマンガあるから転売するね!」
「ヒドい!」
「あ」
その翌日の土曜日。
家から近い本屋のガチャガチャコーナーでまた氷海さんを見かけた。
またしても人目を避けるように、誰かが来るたびにそそくさと通り過ぎては戻って来てを繰り返している。
よっぽどガチャガチャが好きなんだな。
でもそれを人に見られるのは、プライドが許さないってところかな?
ふふ、意外と氷海さんにも人間っぽいところがあるんだな。
しばらくすると、ようやくガチャガチャの前で小銭入れを広げた氷海さん。
お目当てはまたしても闘犬男爵だ。
だが、今日も何度引いても出てくるのはチワワオンリー。
氷海さんはチワワしか引けない呪いにでもかかっているのだろうか?
握り拳をプルプルさせ、ドス黒いオーラを立ち昇らせながら氷海さんは立ち去った。
「……ふむ」
また妹のために一回くらいやるか。
そっとガチャガチャの前に立つ。
「一回四百円……だと!?」
第三弾、全二十種類と銘打たれた闘犬男爵のオモチャは、もうガチャガチャの値段としてはかなり高くなっているが、他のガチャガチャを見ても三百円とかざらなので、これが普通なのかもしれない。
何ともボロい商売である。
百円玉を四枚入れ、ぐりっと回すと出たのは、腕組み姿がやけに悪の総帥染みたビションフリーゼ。
付属の説明書によるとまたしてもシークレットだ。
その時僕に電流走る――!
「あ」
アルコールスプレーの陰からこちらを凝視している氷海さんが見えた。
あれで隠れているつもりなのだろうか……。
目が合い、フィヨルドみたいに冷たい空気が流れる。
「……死ねばいいのに」
冷たく鋭利な視線は相変わらず。
すぐに氷海さんは立ち去ってしまった。
いったい僕は、前世でどんな重い罪を犯したというのだろう……。
「妹よ」
例によって戦利品を妹に渡す。
「えっ!? これ闘犬男爵ガチャガチャコレクション第三弾のシークレット、総帥ビションフリーゼじゃん! アニィ気が利くぅ! これで欲しいバッグが買えるね!」
「お、おう……」
やっぱり売るのね……。
「あ」
更に翌日の日曜日。
ふらっと立ち寄ったコンビニに氷海さんが居た。
ここまで偶然が重なると逆に怖くなるな……。
氷海さんはレジ横の闘犬男爵のクジをジッと見ては財布と睨めっこしていた。
箱買いはできないが、欲しい物が出るまでやるには辛い、そんな所だろうか。
心なしか女性の店員さんが氷海さんの視線に怯えているように見える。
まあ、気持ちはよくわかりますよ。
「……コレ、三回分お願いします」
「に、二千百円になります」
一回七百円か……ちょっと気軽に買える値段じゃないな。
氷海さんはお小遣いのほとんどを闘犬男爵に使っているのではないだろうか?
ゆっくりと箱に手を入れクジを三つ引いた氷海さんの前に置かれたのは、見るまでもなくチワワのキーホルダーが三つ……。
「……死ねばいいのに」
「ヒィッ!?」
同情の余地しかない氷海さんは、ボソリと呪詛を吐きながらキーホルダーを強く握り締め、肩を落としてコンビニから出て行った(可哀想に店員さんは、大蛇に睨まれたオタマジャクシみたいにプルプル震えている)。
去り際にA賞の、赤い鉢巻を巻いたドデカイ柴犬のぬいぐるみのほうを見た気がした。
あれが欲しかったのだろうか……?
どれ、試しに僕も引いてみるかな。
「すみません、コレ一つ」
「あ、はい、七百円になります」
おもむろにクジを引き、それを店員さんに渡す。
「あっ! おめでとうございます、A賞です!」
「――!」
店員さんがニコニコしながら、ドデカイ柴犬のぬいぐるみを持ってきた。
自分のクジ運が怖い……。
「あ」
ぬいぐるみを抱えコンビニから出た僕の背中に、過去最恐の悪寒が走った。
振り返ると、案の定のぼりの陰からこちらを凝視していた氷海さんと目が合う。
「こ、これは一回引いたら当たっちゃって……!!」
ダメだ! これじゃ逆にイヤミっぽくて印象が悪い!
氷海さんはメッチャ冷たい視線で僕を睨みつつ、物欲しそうな顔で柴犬にもチラチラと視線を向けている。
「コレ、大きくて持って帰れないから、よかったらあげます……!」
大きくて持って帰れないなら、氷海さんも困るだろ! そう気が付いても後の祭りだ。
柴犬を地面に置き、ズサズサと後ずさり、氷海さんと距離を取った。
「……死ねばいいのに」
卑劣な犯罪者を見るかのような、人に向けてするものではないその眼差しはとても冷たく、心に穴が空きそうだ。
「……くたばればいいのに」
陰に満ちたその瞳は、まるで人を人と思っていない程に冷徹で、今すぐに自害しないといけないのではと思わせるものがあった。
「……絶命すればいいのに」
下唇を噛み、屈辱的な表情を浮かべた彼女は、苦渋の決断とも言えるゆっくりとした手つきで、柴犬のぬいぐるみを抱き締め立ち上がった。
「……私なんて、死ねばいいのに」
「――!!」
氷海さん!?
「……私なんて、くたばればいいのに」
「……」
まさか……。
「……私なんて、絶命すればいいのに」
「……氷海さん」
もしかして、今まで氷海さんが「……死ねばいいのに」と言っていたのは、全部自分に向けて……?
「……いっそ死んでしまいたーいッ!!!」
「氷海さん!?」
立ち去る際の捨て台詞は、絶氷の女帝とは思えないほどに熱い叫びだった。
そんな氷海さんの背中を眺めていたら、僕の胸にじんわりと暖かいものが広がっていくような気がした。
「……死ねばいいのに」
そして週明けの月曜日。
これでもかと目を泳がせながら、氷海さんが僕の席まで来た。
な、何か御用でしょうか?
周りの男子生徒たちから、「何でお前なんかに氷海さんが!?」という殺気の籠った視線を感じる。
いや、僕が訊きたいくらいなんですが……。
「……死ねばいいのに」
氷海さんは震える手で、僕の机にチワワのキーホルダーを十五個置いた。
あ、ひょっとして昨日のお礼?
でも、いくら何でも被り過ぎじゃないかな?
氷海さんは、チワワの神にストーカーでもされているのだろうか。
「ありがとう、氷海さん」
できるだけにこやかな笑顔を向ける僕。
「っ! し、死ねばいいのにッ!!」
途端、茹でダコみたいに真っ赤になった氷海さんは、スタスタと自席に戻っていった。
僕、何かやっちゃったかな?
「妹よ」
「これだけあればアイスが買えるね」
即転売されたキーホルダー。
だけど一つだけは残しておいた。
僕はおこぼれとしてバニラアイスのフタを貰った。
「私が舐めたやつだけどね!」
「ヒドい!」
「あ、氷海さん、そういえば闘犬男爵のアニメ化が決まったらしいね」
「死ねばいいのに!」
「アニメ化記念で、ゲームのほうにも新キャラが追加されるって妹が言ってたよ」
「死ねばいいのにッ!!」
あれ以来、僕と氷海さんは何故か毎日一緒に下校するような間柄になった。
僕の鞄には、氷海さんからもらったチワワのキーホルダーが揺れている。
氷海さんの会話の八割は「死ねばいいのに」だが、最近はそれでも何となく言いたいことがわかってきた。
「あ」
「――!」
その時だった。
通りすがりのガチャガチャコーナーに、『闘犬男爵ガチャガチャコレクション第四弾』の文字が――。
しかも値段は一回五百円。
遂に最高額硬貨を要求してくるまでになったか――!
「し、死ねばいいのに……!」
誘蛾灯に導かれる蛾の如く、五百円玉を握りしめながらガチャガチャにふらふらと歩み寄る氷海さん。
まあ、闘犬男爵ガチャガチャコレクションを目にした以上、回さないという選択肢はないのだろう。
――が、いざ五百円玉を入れる段になると、今までのトラウマが蘇ったのか、途端にプルプル震えながら手が止まってしまった。
……さもありなん。
「大丈夫、氷海さん?」
いたたまれなくなり、声を掛ける。
「し、ししししし死ねばいいのに……!!」
縋るような上目遣いを向けられる。
やれやれ。
「氷海さんさえよかったら、僕が代わりに回してもいいけど?」
「――!」
氷海さんの瞳が、ダイヤモンドダストみたいに煌めいた。
「どうする?」
これでもかと目を泳がせる氷海さん。
大分葛藤しているようだが、やがて――。
「…………お」
「?」
お?
「…………お願い、します」
「――!」
頬をほんのりと染め、涙目になりながら五百円玉を差し出してきたのであった。
――あ、可愛い。
この瞬間、僕は恋に落ちた。