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底辺女の走馬灯  作者: 人生から降りるボタン
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6)人生の転換期の幕開け

自宅警備員はそれなりに長い期間やっていたと思う。


本当は学校に行きたいという気持ちはあったのだが、生活習慣は乱れ、昼夜が逆転しつつあり、朝になるとどうしても起きれず「今日も休む~」を繰り返していた。母は何も言わなかった。





ある日、家にセールスマンらしきスーツを着た男がやってきた。


高級羽毛布団を買わせようとしている様子だった。しかし、当時の私はセールスマンというものを初めて見たので、不信に思いつつもそいつが警備対象になるとは思っていなかった(その人は普通に仕事してただけだと思うが)。


母は羽毛布団を気に入り、買おうとしていた。てか多分買ってた。そこら辺は記憶に無い。


セールスマンは不審な目で見つめる私を見て、「学校行かなくて良いの?」と至極全うな問いを投げかけてきた。猛烈に恥ずかしい気持ちになった。そして一瞬でそいつの事が嫌いになった。


私は何も返事をせず、母もこれといって特にフォローもせず、とにかく私はとっとと出ていきやがれ!!とセールスマンに念を送り続けていた。


だが、この恥がきっかけで、私はまた学校に行こうと思い始める事になった。





この辺から更に記憶の時系列が曖昧になってきている。今の自分なりに順を追って書こうと思う。


ある日、父が帰宅するなり、「入院する事になった」と言ってきた。


母は「え!?」と驚いていた。私も驚いていたが、言葉は何も発せなかった。


父は大丈夫大丈夫、と言っていたので、そこまで大きな病気でもないのだろうと楽観視していた。





お見舞いは、母に一度だけ連れて行って貰ったきりだった。


病室に着くなり、母は泣き出した。それを見た私もつられて泣いた。父は困ったように笑って「泣くなよ~」と慰めていた。


その後父とどんな会話をしたかは覚えていない。これから何度もお見舞いに行けると思っていたので、あまり気にしていなかったのもあるかもしれない。


母はそれ以降、お見舞いに行くよとは一度も言ってこなくなった。


難しい性格の母と会話をするのが苦手だった私は、「何で行かないの?」と一度だけ聞いた。スルーされて終わった。何度も言ったところで母の気が変わるとも思えなかった。一度だけ電車に乗って行った大学病院だったので、病院の名前も行き方も分からず、どうしようもなかった。





だいぶ月日が経ったと思う。私は徐々に学校に通えるようになっていた。


小学5年生の頃は、担任の先生の勧めでミニバスをやっていた。運動が得意だからではなく、苦手過ぎたのでどんどん運動させよう、というのが目的だったようだ。


バッシュやら揃えるのにはお金が掛かる。母はミニバスをやる事を止めなかった。


父が入院してからも母は専業主婦のままだった。何で母は働かないのだろう。貯金を切り崩して生活しているのかな、と生ぬるい頭の私はぼんやり考えていた。家計簿と睨めっこする母をよく見るようになっていた。

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