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底辺女の走馬灯  作者: 人生から降りるボタン
42/50

42)苦しい生活の日々

私の労働環境はとてもホワイトとは言い難いものであった。


それでもどうにかこうにか耐えてこられた(一度辞めてるけど)のは、家族を養わなければいけないという使命感からだった。





私が就職するまで受給していた生活保護は、就職すると同時に打ち切られた。


当時どれくらいの金額受給されていたのかは分からないのだが、ネットで自動計算出来るサイトがあったので、私が中学生、兄が高校生、母は身体障害3級・精神障害2級に該当という設定にして検索してみると、約27万円という計算になった。





私の初任給の手取りは16万5千円だった。兄は神戸大学までは1人暮らしをしていたが、一橋大学院に進学するタイミングで実家に戻ってきた。私は薄給ながら、一家の大黒柱となった。


当時の家賃は4万円台だったと聞いている。キャッシュカードと通帳は母に預け、私はお昼代込みのお小遣い4万円を毎月受け取り、それ以外は全て生活費として渡していた。


母はその時には酒とパチンコはほぼ辞めており、趣味はタバコだけとなっていた。全くお金を使わない人だったが、それでも生活は苦しかった。





私はお昼、コンビニ弁当を買うお金が無かったので、毎食カップ麺とパンorおにぎり1個という食生活を送っていた。営業の責任者に「お前毎日それだな」とよく言われていた。


毎月月末が繁忙期で、その時期はおにぎりなどの差し入れをよく頂いていたので、それを食べていた。





貯金なんて一切出来る状態ではなかった。


私の会社は年功序列ではなくコミット制で、達成したら昇給するという仕組みだったので、積極的に取り組んでいた。


初めて昇給した時は嬉しくて家族に報告した。いくら上がったの?と聞かれたので、5千円!と答えたら、たったの5千円かよと母と兄に爆笑された。


月5千円はとても大きいのに、頑張って昇給したのに、笑われたのが悔しくて悲しかった。


ボーナスも少なく、夏は2~3万円、冬は10万円程度だった。





それでも私は地道に努力を積み重ね、少しずつではあるが昇給していった。


やがて兄が就職すると、生活費を折半出来るようになり、各段に生活が楽になった。


半年で貯金が80万円まで貯まった。





私は、母が家電や家具等であれが壊れた、これが壊れたという度に買い替えた。


今実家で使っている冷蔵庫、電子レンジ、LEDライト、食器棚は私が買ったものだ。母が使っている携帯、バッグ、服、財布も私がプレゼントしたものだ。





兄は半年ほど経った時から、私には何も言わずに家にお金を入れなくなった。


何故入れないのかと後から聞くと、奨学金の返済があるからと答えた。事前に伝えて欲しかった。





母は兄からはお金を徴収しようとはせず、私にだけお金が足りない、お金が足りないとしきりに言ってくるようになった。


私は、家族からたった一言「ありがとう」という言葉があればいくらでも頑張れると思っていた。でも一度も言ってくれる事は無かった。





ある日、いつものようにお金をせがんでくる母を見て、私の心の糸はプツンと切れ、そのままの勢いで私は実家を出て1人暮らしを始めた。私は25歳になっていた。

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