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底辺女の走馬灯  作者: 人生から降りるボタン
30/50

30)狭すぎたプロへの道、甘すぎた自分の意志

専門学校では、あらゆる事を学んだ。


最初は漫画家が使用する専用のペン、”Gペン”や”丸ペン”等を使いこなす練習から始まった。インクを持ち歩くので、早速私は鞄の中でインクをこぼした。


デッサンの授業では一人ずつモデルになって、数分単位でひたすらクロッキー帳にデッサンしていった。雑誌のモデルを模写するなんてこともやった。


4コマ漫画を描いたり、2頭身キャラを10体作ったり、カラーイラストを描いたり、パーース(物体の遠近感や立体感を作画する作業)を学んだり、Photoshopの使い方の基礎を学んだり、本当に思ったよりも授業内容は多岐に渡った。


座学もあった。座学で、閃いた時の電球マークは手塚治虫が作った、という事を知った。





徐々に課題は増えていき、描くのが遅い私はバイトもやりつつ課題に追われる毎日になった。


あまりにも期日に間に合わな過ぎて、段々提出物が適当になっていった。優秀作品は壁に掲示されるのだが、高校までの美術の授業では毎回私の作品は掲示されていたのに、専門では殆ど掲示される事は無かった。





学校に着ていく衣服や携帯代、画材代、交際費等はバイト代で賄わなければならなかったのでバイトを減らすわけにもいかず、専門での平均睡眠時間は4時間にも満たなかったと思う。ロングスリーパーの私は、ほぼ限界を超えていた。





実際に本格的に漫画を描くのは2年生になってからだった。


卒業制作では、8ページだったか16ページだったか忘れたのだが、漫画を提出する事になっていた。プロットと言われる、ストーリーの大枠を決める所から全て自分で作成する。


8~16ページというと短く感じるかもしれないが、これを作り上げるまでに素人の私は1か月ほど掛かった。


この頃には私は殆ど学校には行かず、とにかく卒業制作を完成させるために家に籠ってひたすら漫画を描いていた。提出さえすれば卒業出来たからだ。





いつの間にか私の中でのゴールは卒業制作を完成させることになっており、卒業してからの事は全く考えていなかった。


学校には各出版社の編集者が作品を見に来る機会があったのだが、私はまともに見せられる作品を作り上げる事すら出来ていなかったので、それには参加しなかった。


専門の2年間は、本当に一瞬だった。みんなこの先どの道へ進むのか、話を聞く機会すら無かった。





まともな作品は作っていない。作家のアシスタントをするアテも実力も勇気も無い。学校に求人情報はあったが、スタジオジブリからの求人があり見てみると、指定の箇所に指定の色を塗るという内容で、給料は月給15万円程度だった。ジブリの求人用紙には、「夢や希望を持って来られても正直困ります。甘い世界ではないです。それでも良ければ来て下さい」的な事が書いてあった。





私は就職活動を一切せず、専門学校を卒業した。

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