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底辺女の走馬灯  作者: 人生から降りるボタン
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26)生活保護の生活

母は父が入院してからも働きに出ず、それは千葉に来てからも続いた。


中学生まではあまり深く考えていなかったが、高校生にもなると我が家はどうやら”生活保護”というもので生活しているという事を知った。


母はいつも何も説明をしてくれなかったのだが、高1の時に虫歯がどうしても痛くなったことがあった。母はこれまで一度も歯医者に連れて行ってくれた事が無かった。


耳鼻科や皮膚科には連れて行ってくれていたのだが、母は歯医者が大嫌いだったらしい。


自分が治療するわけでもないんだから連れて行ってくれても良かったのに、私が歯医者に行きたいと言っても母は最初は渋った。





15年放置してきた虫歯は激痛を伴い、私は泣きながら母に懇願した。そんな私の惨状を見て母も折れ、一緒に初めて近所の歯医者を訪れた。


その時に、母は保険証ではなく生活保護受給者証を受付に提示した。


私はそれを見て、うちは生活保護というものを受けているんだ、と知った。


だが、当時はそれがどういった制度なのかよく知らなかったので、治療費を一切支払わない母を見て、払わなくて大丈夫なの?としきりに聞いた。母は大丈夫、とだけ答えた。





貧乏には違いなかったと思う。でも、私はどの程度貧乏なのか知らずに育ってしまった。


我儘も沢山言ってしまった。小6の時のクリスマスに、小学生向けの高級ブランド”ANGELBLUE”のニットがどうしても欲しくて、母にしつこく強請ってしまった。


母は小学生が着る服にしては高すぎる値段にビックリしていたが、結局クリスマスだからと言って買ってくれた。誕生日もクリスマスも、家族に祝って貰ったのはこれが最後になった。





中学で部活を辞めろと言ってきたのも、もしかしたら金銭的な問題だったのかもしれない。私は、本当に何も状況が分かっていなくて、暢気だった。


ただ、友達にボロアパートに住んでいる事を知られるのは恥ずかしくて、父が居た時は東京のマンションで何不自由なく生活できていたのに、父が不在になった途端この貧乏生活を強いられ、且つ一切働きに出ようともしない母の事が理解出来ず、元々会話は少なかったが更に距離が出来始めていた。

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