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底辺女の走馬灯  作者: 人生から降りるボタン
18/50

18)卒業、入学、セーラー服

6年生は、それなりに楽しかった。


授業は相変わらずついていけない事も多かったが、東京の頃と違って宿題は忘れずに提出出来るようになった。記憶が断片的になる現象は殆ど無くなっていたからだ。


漢字の小テストなんて今まではまともに受けられた事も無かったのだが、少しずつ事前に予習するという事が出来るようになり、最後の方は満点が取れるようになっていた。


これがみんなにとっての普通なんだ、と実感した。何とも言えない感情になった。とにかく普通に勉強が出来る事が嬉しかった。


そうは言っても能力的にはまだまだ低かったので、学力はクラスでも下の方であった。





勉強も運動も出来ない転入生というのは、それだけでも下手したらいじめの対象になり得るかもしれなかったが、幸運にも6年生は平和に過ごせた。





こうして、私の小学生時代は幕を閉じた。


卒業アルバムは6年生の1年間のみの写真しか残っていなかったのが悲しかったが、それでも楽しい思い出は沢山残った。


私はこのまま小学校の近くの中学校へと進学した。兄は中学3年生に上がったので、同じ学校に通学する事になった。一緒に歩いた事は一度も無かったが。





中学はセーラー服だった。制服に憧れていたので最初こそ喜んで着ていたが、段々制服のダサさに気付くようになった。世の中にはもっと可愛くてお洒落な制服が沢山ある。高校は可愛い制服の学校に行きたいな、とぼんやり思っていた。


中一ではバドミントン部に入った。本当はテニス部に入ろうと思っていたのだが、ラケットがバドミントンラケットの方が軽かったのと、安かったのでじゃあバドミントンにする、と一瞬で軌道修正した。


部活は思いのほか過酷だった。特に、真夏に体育館の窓を閉め切っての運動がサウナ状態で辛かった。でも体力はグンと付いた。





中一は楽しかった。クラスメイトとも仲良かった。合唱祭では指揮者を名乗り出て、一学年7クラスのマンモス校だったのだが、各学年に1名しか選ばれない指揮者賞に選ばれた。初めて全校生徒の前で壇上に上がり、表彰された。





中二になってすぐ部活を辞めた。母から部活を辞めろと言われたのがきっかけだった。だが、部活がしんどくて辛くて、勉強がおろそかになっていたのもあるし、結局は母の言葉と自分自身の両方がきっかけだったと思う。


スポーツテストの50m走で思いがけず好タイムを叩き出した。部活で体力が付いて、シャトルランも部活に入る前は40回台でギブだったのに71回を記録した。これは女子の中でもかなりの好成績だった。


体育祭ではスポーツテストのタイム順でリレーの選手を決める事になっていたのだが、私はギリギリリレーの選手に選ばれる事になった。これがきっかけで、また私の学生生活は転落していく事になる。

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