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底辺女の走馬灯  作者: 人生から降りるボタン
16/50

16)新居地の住環境

新しい家は、千葉県にあるボロアパートのB棟だった。


木造2階建てで我が家は2階だったが、ボロすぎて住んでいるのは私たち一家だけだった。


隣接されている同じアパートA棟には、大家さん一家が住んでいた。


何故千葉だったのかというと、正式に聞いた事は無いが、伯母の住居が千葉にあった為、近くに住んだ方が良いだろうという話し合いがあったのだと思われる。


東京のマンションは3DKだったが、ここは2Kだった。片方の部屋は段ボールで埋め尽くされていて、人が住む状況ではなかった。天井までそびえ立つ段ボールの山々は、見るだけで気が滅入り誰も手を付けようとはせず、衣類等自分が必要な分のみ箱から取り出し、結果的に最後までそのまま段ボールに埋もれて生活する事になる。





寝る時は一部屋に布団を2枚敷き、3人川の字で寝ていた。


元々東京の時も和室に布団を敷いて家族4人並んで寝ていたので、川の字になる事自体は苦ではなかったのだが、箪笥やら家具を置いているとどうしても敷布団を2枚平らに敷く事は出来ず、中心が重なるように敷く事になった。私は真ん中だったので、ボコボコと寝心地の悪い姿勢で寝る事になった。


掛け布団も2枚を3人で使っていたので、真ん中の私は布団を取られて寒くて目が覚める事もよくあった。兄が修学旅行で不在の時は布団を1人で使える事が幸せだった。





お風呂は、”バランス釜”といわれるタイプのものだった。


初めて見たし、使い方も分からず、母に教わって使えるようになった。


火を起こしてシャワーが温まるまで時間が掛かる為、冬は地獄だった。


浴槽は狭いのは置いといて、それよりも深すぎて、普通に座ると溺れてしまうので(湯量調節が下手だった)いつも正座かお尻を浮かせてしゃがんで浸かっていた。温まりはしたが、リラックスとはほど遠かった。だが私は元々お風呂は好きではなかったので、さして問題ではなかった。





自分の部屋なんて勿論無い。それは東京の頃からだったので贅沢は言えない。


元々兄も私も学習机は買い与えて貰っておらず、東京の時はダイニングテーブルで勉強をしていたのだが、千葉の家はダイニングテーブルなんて置く場所は勿論無かったので、ちゃぶ台で勉強していた。


兄はやがて、10歳以上年の離れたいとこが使わなくなった学習机を譲り受けた。それを段ボールまみれの一室の襖付近に置いた。兄が机に向かうと、後ろは全て段ボールの山。本当の意味で勉強だけをする学習部屋が出来た。


私も学習机に長年憧れていたので母に我儘を良い、ニトリで安い学習机を買って貰った。そこで勉強はぼちぼち、大体は自由帳に絵を描いて過ごしていた。





洗濯機は外に設置する構造だった。元々二層式の洗濯機を使っていたので妙にしっくりきた。ベランダは無いため、物干し竿は1階の駐車場にあった。一度、私のお気に入りのズボンが盗まれた事があった。





家に着いた初日は、母はイチゴジャムを付けたトーストを作ってくれてそれを食べた。


施設に居た間当番制で家事をしていたので、私はこれからは当番制でやっていこうよ!と家族に提案した。兄に、うるせぇ黙れと怒られた。兄はずっと不機嫌だった。多分、私の何も分かっていない能天気さからくるポジティブが鬱陶しかったのだと思う。でも、当時の私は何で協力し合おうと思わないの?と兄の態度が気に入らなかった。

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