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ブラック労働に疲れて魔術師を辞めたのに美少女秘書が全力で引き戻しにくる〜今更戻ってきてとか言うなら初めからホワイト待遇にしとけ〜

作者: はむ丸



世界は平和に保たれている。

そう感じられているのは平和に保とうとする者達がいるからだ。

例えば犯罪を取り締まる警察や、罪の線引きをする法律などそれに当たるが、それだけで世界平和なんかができるほど世の中は甘くない。

第一に法律なんぞの抜け穴くらいいくらでも存在している。


「ポイントA。異常なし……って本当に来るんですかね例の奴ら」


黒いコートを羽織り、24時を回った東京都心の高層ビルの屋上に突っ立っている青年は手元の携帯電話への上司への悪態と理不尽をこぼす。

こんな真夜中の酔っ払いとチンピラしかいない時間帯で、本来ならベッドでぐっすりの時間帯に叩き起こされては仕事があるからと連れ出される。本来なら労基に訴えてやろうかとでも言いたいが、彼らはそんなことができる立場の人間ではない。


『黙って仕事をしろ。俺たち魔術師は世界平和なんて大層な者に興味はないが、魔術が一般社会に漏洩することだけは死んでも阻止しろ。それに今回のブツは第一級霊装、街一個は吹っ飛ばせる』


魔術師は魔術師によって裁かれなければならない。

通常の法律も、警察機関も彼らの前では等しく赤子に成り下がる。

銃弾など効きはしない、手錠などなんの拘束力もない。檻に入れらられても魔法さえ使えればいつでも脱獄できる。ましてや国家転覆など容易にできてしまう。

だから魔術師は魔術師が裁く、同じ力も持つものが抑止力になる。


「だからって俺たちがやる必要あります? だって日本には世界最強の魔術師、水篠真冬がいるんですよね?」


『……そいつなら今しがた辞めた』


「はい? 今なんて」


『魔術師を引退したらしい……』



東京都内の高層マンションの上階、随分と金持ちが住むような立派な建造物で、さぞ会社での地位が高いのだろうと嫌味を言われる人たちが住んでいるだろうマンションの一室。

大手会社の年増部長クラスがなんとか見栄を張って住めるかどうかという値段の4LDKにて、内装と似つかわしくない段ボールで埋まっている部屋があった。


ちょうど季節は春、新生活を始めようとする新社会人や田舎から出てきたばかりの学生が荷解きを終えていないのではないか? と思うだろうが、あいにくとここは金持ちマンション。


道端で合えばもれなくツバを吐き捨てられる者たちの住処であるため、そんなクソガキは存在しないはずだが、


「昨日も徹夜でゲームしてやった……ああ、誰にも注意されないってのは最高だ!」


深夜テンションでゲームをできるほど若々しい。

ジジイになれば嫌でもそんな事はできない、なんせ歳だもの。

その部屋の主人は段ボールに囲まれながら手に持っていたゲーム機をほっぽり出し、床に引いていた布団に寝転がる。


そして寝返りを打つように転がると、すぐ横の段ボールから学校の制服がはみ出ているのを目にし、それを見るやすぐに引っ張り出して自身の前に合わせる。


「明日から学校か……」


鏡もないのに服を持っている場違いなクソ野郎は手に持っていた制服を放り投げ、もう一度ゲームを再開するべく背筋を伸ばそうとするが、自身の目の前に黒い影が覆い始める。

雲でも太陽が遮られたのかと思い、後ろを振り向くと、

窓ガラスへ、まるでハリウッドのアクション映画化のワンシーンのごとく突っ込んでくる謎の少女に新居の窓ガラスを破壊される。

相当な力とスピードで飛んできたのか、破壊された窓ガラスが四方八方に散らばって部屋の主の顔面にもいくつか突き刺さっている。


「な……んで……」


状況が理解できないまま部屋の主は突き刺さった窓ガラスの破片を引っこ抜き、ノールックでゴミ箱に放り投げる。

だが破壊した張本人である金髪の少女はなんの申し訳なさも見せず、部屋の主である少年を視界に収めるとすぐさま言い放つ。


「ようやく見つけましたよ水篠真冬。私はソニア=ケインクルス、魔術結社としてあなたに新しい任務をお届けに参りました」



水篠真冬、16歳。

身なりと美容には無頓着、実際に「そこまで気を使う必要がどこにある」とさえ思っている今時の若者。

そしてそれを物語るように東京都内という田舎者の憧れであり、イケてる街なのに安物のパーカーを羽織っているだけの適当な服で済ませている。

全国の東京に憧れを持っている者達からバッシングを受け、地獄の底に落とされるのも時間の問題だろうが、そう遠くない未来なので誰も何も言わない。

そう、誰も何も言わない。

たとえ財布を忘れた事にお昼時になって気づき、お腹を空かせて彷徨っていても誰も何かを恵んでくれる事はないのだ。

彼の住んでいた田舎の地方なら気のいいオバちゃんが美味しいご飯を恵んでくれるだろうが、こんな都会にそんなものはいない。都会人の心の冷たさはドライアイスを超えている。


「うっう……おうち帰りたい」


美味しそうなキッチンカーを前にして、ただ膝を抱えてベンチに座るしかできない自らを真冬は呪い続ける。

どうして財布を忘れてしまったのだろうか、そんな少し前の出来事を遡ってみると、


『……俺一応魔術結社やめたんだけど』


いきなり窓ガラスを突き破って侵入、そのうえ魔術結社からお仕事という名の面倒ごとを運んできたソニアに「窓弁償しろ」と言いたかったが、気が動転してパニクっていた真冬はその場でつまらない返事しかできなかった。


『それは知っていますが、そう簡単にやめられるわけないじゃないですか』


『そうだけどさぁ』


一応正規の手続きで退職を申し出て、しっかり受理されているはずだ。

そのおかげで念願の漫画で見たことのある普通の青春を謳歌できるとやってきたというのに、また魔術師としてのお仕事に追われる毎日は死んでも嫌だ。


『勘違いしているのであればの話ですが、あなたが取ったのは退職ではなく一時的な休業、そしてその物差しは結社が決める。名ばかりの休日とおんなじですね』


むしろ今までお給料が出ていた分あっちの方がマシ。

これからはサービス精神で頑張ってくれ、お前は休みだろ? という上役のクソっぷり。

ソニアから渡された上司達の「まぁ頑張れ、そいつ監視役にしたからサボんなよ」という腹の立つお手紙を全力で破り捨てる。


『っても俺が何かするまでもなく国の首都なんだから警備はしっかりしてんだろ。国家直属の魔術師達もいるし、いつでもどこでも目を光らせてるんだからそうそう……』


魔術師達が外に研究資料やブツを持ち出されるのはブチ切れる話。

しかも魔術の犯罪なんてもので世間に魔術の存在が明らかになるのは絶対に避けたいはず。

だから都市部の人が多い街ほど魔術師の警備は硬くなり、絶対にぶっ殺す体制が整っているはずなのだが、


『第一級霊装が持ち出されました』


それを全て掻い潜り、魔術を犯罪に使おうとする輩がこの街にいる。


『事件があったのは一昨日。本部に輸送するはずの霊装を盗み、それが東京に持ち込まれました。持ち込まれてからは結界を貼り、外へ出られなくしましたが未だ見つからないまま。そして霊装の破壊力は街一つは軽く吹き飛ばせる』


『………………手伝いたくないと言ったら?』


『その時は結社から預かった伝言として「お前のゲームコレクション全部ぶっ壊すけどいいな」だそうです』


と、絶対に逆らえない条件を提示され、無理やり承諾させられるとすぐに首根っこ掴まれて割れた窓からダイブ。

飯を食べている時間はないと捜索舞台に合流させられ、霊装を持ち出した犯人を取り押さえるために街をブラブラと今に至る。


財布を用意している時間もなく、家に帰ろうにも鍵は室内に取り残されたまま。

犯人を見つけ出して事件の解決が終わるか、ソニアに迎えにきてもらう意外に彼が飯を食べる事はできない。

他の魔術師は顔が怖くてダメ。


「……お腹すいた」


汚い大人達はいつもこうだ。

絶対的に優位な立場にいることをいい事に面倒事を押し付ける。しかも福利厚生などという言葉は知らないらしい。

魔術結社はどこの国にも属さない秘密結社のため、国の法律や国際的な規律は無視できる。その分結社のルールががんじがらめになってはいるが、それでも日本は社会福祉を充実させているんだから魔術結社もしてほしい。


膝を抱えて空腹の音を我慢していると、


「これあげる。さっきからずっとお腹鳴ってたでしょ」


捨てられた犬のようになっていた真冬の前に見ず知らずの少女はホットドッグを差し出していた。


「いいの? もらうよ、知らない人だけど食べるよ」


見ず知らずの相手にご飯を奢ってくれる人がいるとは、世の中捨てたものではないと思いながら貰ったホットドッグを共食いのように食べている真冬の横に、優しい優しい少女は腰を下ろして口に頬張る。


「なんかありがとう。絶対どっかでお礼するから」


「そんなのいいよ、私がしたくてやったことだから」


ただ困っている人を見過ごせなかった。そう言いながら手を振り、お礼など要らないと言っている少女だったが、実際のところ今の真冬に何か返せるわけではない。

一文なしの彼が何かしてやれるとしたらそれは魔術での話になる。だがそんなことをすれば魔術を一般社会に漏洩させた罪人として罰せられてしまう。


犯罪を犯した者と違って執行対象にはならないだろうが、それでも彼をただ働きさせたい魔術師は多く、突けるところがあるなら突き刺してボコボコにしたかろう。


「このお金は必ず後で返すからメール、メアドの交換! あと名前」


あまり普通の人に慣れていない彼はぎこちない言い方になり、使い慣れていない携帯電話をどうにか動かして相手の少女に話しかける。

そんな田舎者くさいと言われてもしょうがないような彼の言動に笑って流す少女は快く承諾。


「私の名前は七瀬由紀。あなたは?」


「俺は水篠真冬、東京の高校に通うためにこっちまできた」


「それなら……私と同じで新入生。少し早いけど友達第一号ってところかな?」


「友達……ともだち」


そうやって聞いた言葉を反復しながら、食べ終えたゴミに視線を落として頬を少し釣り上げる。


「じゃあ何かなんか困ったことがあったら言ってくれ、友達の頼みだから俺がなんとかしてやる」


いきなり立ち上がると任せろとばかりに胸を叩く真冬。


事実として魔術師として殺伐とした世界を生きてきた彼に同年代の友と呼べる人間はいない。任務での仲間や、彼が何かをしでかさないかを監視する者などは数多くおり、監視役に至っては今までに何人もいた。


だが同世代の友達となると由紀が初めてで、それも魔術とは関係のない人間。

魔術師の上役やその気持ちを代弁する機械のような人間達の中でしか生きてこなかった彼には新鮮以外何物でもない。


「その時は頼むね」



初めての友達に最初にしてもらった事が落としたペンを拾ってもらうでもなく、次の授業を聞くでもなく、昼飯を奢ってもらうというとんでもない出会い方をした真冬。

食事を終えてた彼は由紀と別れ、ソニアから指定された霊装の捜索隊と合流する事になった。


「それであなたは何をやっていたと」


「友達ができたんだ。あいつも高校の新入生らしくて来週から同じ学校にかよ……」


「馬鹿なこと言ってないで仕事をしてください。東京に押しとどめて他国や他の県への被害は防いだとはいえ、霊装を見つけない限りこの街に安全はないんですから」


他の県や他国への持ち出しを封じたとはいえ未だに消息が不明である以上安心はできない。

それにこの結界も腕のいい魔術師なら解析し、破壊せずに通り抜ける術を編み出す可能性もないわけじゃない。


ただそれをするには膨大な時間が必要になるためあまり現実的ではないが、それでもここから別の場所に持ち出す事ができるだけで十分脅威。


一刻も早く取り返さなければ東京一帯が破壊されるか、他国に流れてより被害を出す可能性も考えられるというのに、この男は一体何をしていたのだろうかと、ソニアはため息を堪える。


「いいですか? 奴らから霊装を取り返さないとあなたの友達とやらにも被害が及ぶ、そこんところしっかり理解してくださいよ」


ここら一帯が吹き飛べば真冬の望む青春などできるはずもない。

ましてや友達づくりなど夢のまた夢。

魔術を嗜む魔術達なら生き残れるかもしれないが、そうでない一般人は皆死亡する。

そして今の彼には自分だけが生き残ればいいという考えはもうない。

大切な友達ができたのだから



七瀬由紀は新学期で必要になるであろう物品を購入するために街に出てみると、捨てられた子犬のように蹲り、腹を鳴らし続けている真冬に出会った。

最初に見た時はなぜ彼は何も買わないのだろうかと、目の前に店があるというのに何も買わない辺り財布でも忘れてしまったのだろうか? と思うが、全くの見ず知らずの相手に飯を奢ってやるほど彼女の財布はゆるくない。


これから高校生である以上、バイトができるはずもなく。毎月両親からもらう少ないお小遣いをもとに買い物をする由紀。しかもこれから新学期に物入りになるだろう文房具やオシャレな普段着でもと考えていた彼女にとって、知らない人間に飯を奢ってやるなどというのは憚られる。


金の無駄、絶対にしたくない。

そう頭ではわかっているはずなのに、今にも死にそうな顔をしている真冬を放置していくことはできなかった。

目を逸らして立ち去ってやろうとするも、胸の奥に突っかかりを感じて戻ってきてしまい、気づいたら飯を奢っていた。


彼は絶対に礼をすると言っていたが本当かどうかはわからない。

男女の友情などというのもは成立しにくく、学校で友達になったとしてもすぐに別の人間によっていき自然消滅するのが世の常だ。

だからそこまでの期待はしていない、ただか顔見知りが増えただけ。


そんな風に打算を捨てて買い物を終えた由紀は日が落ちる前に家に帰ろうと足を動かす。

新学期前の春と言えど冬が終わるかどうかの時期なので日が落ちるのは早い。

暗くなれば色々と面倒なのと、帰宅ラッシュに引っかかると帰りの電車が悲惨なことになるからと駆け足で、近道をしながら民家の通りを走っていると、


「お前……赤色は好きか?」


すぐ横の電信柱に黒いローブを着た人間が立っていた。


だが全く人の気配はしなかった。

目の前に人がいれば嫌でもわかる、それがたとえ電信柱の陰にいたとしても分からないはずはない。

けれどこの人物には全くと言ってそれがない。

今の今まで、声をかけられるこの時まで存在に気づかなかった、

それが由紀の奥底の生存的な恐怖を震え上がらせる。


「……っ!」


「いやぁ、別に。素朴な疑問ってやつだよ。俺はさぁほら? 素朴な疑問ってやつを放って置けないタチなんだよ」


知らない相手、見たこともない相手。

それがどこか親しげに、全くの見ず知らずの相手がまるで知り合いのように話しかけてくる。

自身に好意的な声音で、久しぶりに出会ったからハグしようぜとでも言いたげな風に近づいてくる。


だが見ず知らずの不審者相手に気をゆるすほど日本の教育は馬鹿ではない。

すぐさま危険を察知した由紀は持っているカバンを抱き抱えて走り出した。

この知らない男から逃げ切るために、この男の恐怖から逃れるために。


「初めて会った人がどんな人物か? ものすごく重要でさ、俺たちこれから仲良くする人間なわけで……俺はコミ症だからまず好きな色から、って行きたいの、分かってよ」


けれど逃れることはできない。

ただの人が、魔術師に敵う道理はない。

それだけは天地がひっくり返ろうともあり得ることのないこの世の人理である。


逃げた先に現れる黒ローブの男。

先に走っていたはずの由紀が回り込まれている。

このままでは捕まってしまうとすぐさま方向を変えて走り、警察に電話をかけようとケータイを取り出すも一向に出ない。

向こうで何かの対応に追われているのか、何度コールをしようが出てこない。


何のために税金を払っているのか悪態をつくだろうが、今の彼女にそんな余裕はない。

警察が出ないなら両親に、友達に、ひたすら電話をかけ続けるも誰も出ない。

まるで電話自体が封じられているように、外部から邪魔でもされているように一向に繋がらない。


このままではこの不審者に捕まってしまう。

奇妙な男に殺されでもするのではないか、未知という恐怖に押し潰されそうになった由紀の目に最後に交わした少年の名前があった。


「鬼ごっこが好きなのか、意外と体育会系?」


だがその時にはもう遅く、黒ローブの男は背後に立っていた。


『なんか困ったことがあったら言ってよ、友達の頼みだから俺が何とかしてやる』





今まで壊したケータイ電話は数知れず、常に新品のケータイ電話を持つことでその界隈では有名人と化している真冬は新品の、音質の良い着信音に反応してポケットから取り出す。


「任務中なので切っててもらえます?」


魔術の使用形跡を追っているソニアと鑑識たちを横に、少し待てとばかりに手を前に出した真冬は今方届いたメールボックスを開く。

すると先程連絡先を交換したばかりの少女、由紀からのメールだった。


一体何のメールなのか、要件の欄が空欄で出されているのでなんだろうと開いてみると、


『たすけ』


その三文字だけが書かれていた。


「ソニア」


「今鑑識の結果が出るので少し待ってて……」


「ここは任せる」


「ちょっと何言って!」


「頼む」


いつになく真面目な顔で、助けを請うかのように懇願する真冬の顔に何も言えなくなり立ち尽くすソニア。

だが彼はそれに「恩に着る」とだけ言い残して姿を消した。



「目が覚めたか」


由紀が目を覚ますとそこは捨てられた廃ビルの中。

前の持ち主が使っていただろう物が散乱しており、コンクリートの中から鉄筋が半ば見えている辺り随分と荒れている。

そして日が落ちて暗くなった廃ビルの中に黒いローブに身を包んだ不審者たちが複数人。


その中でも一際存在感を放つ物が前に出てきては、


「言いたいことはあるとしても、これはお前のためだから受け入れろ。そしてそれが回り回って俺たちのためになるだけで、元はお前のためだ。だからこれは正義なのだよ」


意味のわからない妄言を垂れ流し、お前のためだと熱血教師のような言葉を発してくる。

今時そんなことを口走るのはDV男くらいな物で、世間なら大バッシングの末にMに目覚める。死ねばいい人種だ。


「こんなことをしてタダで済むと思って?」


「お前のためだと言っているだろう。感謝すれど非難される覚えはない」


全く話が通じない。

聞く耳を持たないとはこのことだろうと由紀は思いながら、この状況をどうにかするべく視線を動かす。

場所は知らない廃ビルで、窓の外にはまた知らたい廃ビル。

東京の中でも廃れた地区なのか外の音はほとんど聞こえず、ここで大声を出して助けを呼んでも聞き入れてくれる人間はおそらくいない。


なによりここにいる人間の一人から逃げきれなかった由紀が複数人を相手に目の前から逃げおせるなどということはありえない。


「お前はこの霊装の適合者。霊装に選ばれた本来の担い手。霊装の力を100%引き出すことのできる選ばれしもの。だからお前にはこの霊装と一体になって俺たちの力になってもらう。喜べ」


そう言って取り出したのは棒状の謎の物体。

先端に宝石のような物がついているが、それはどこか禍々しく嫌悪感を抱く物。


ただそれだけならまだ良かった。


あろうことか男は由紀の腕に魔道具を接続、起動と共に血液が吸われる激痛が走る。


「大丈夫。霊装と一体化すれば痛みなんかない。お前は俺たちの道具になるんだから意思も言葉も何もいらない。この助けを呼ぼうとしたケータイも二度と使わなくて済む」


何も残らない。

完全に意識を奪われて一生道具として生きていく。

それを強制的に強いる彼らに恐怖より、絶望より、怒りの感情が増した。


今すぐ殺してやりたい、絶対に許してなるものか。

だがそれをするだけの力はすでにない、

魔道具によって吸い取られていく意識と、肉体的な力。もう由紀という人間は抜け殻のようになっていく。


「ハッピーバースデイ。俺たちの道具」


「おい」


消えてしまいそうな意識の中、この場に存在する全ての知らない声の中に知っている声が一つ。

最後の最後に間に合わなったそれがここにいた。

助けにくるはずのない人物が、来れるはずのない人物が。

一番助けて欲しい時にそこにいた。


「邪魔すんなよいいところだろうが」


人間の意識を完全に消滅させ、霊装を起動させるためだけの道具にしようとする儀式に入り込んできたネズミ。否、ネズミよりもカスな少年一人。

道に迷ってきたのか、それとも一丁前に助けに来たのか。

だが助けに来たのだとしたら可哀想な物だ。魔術相手に一般人が勝てるわけがない。


そう思って男は惜しげもなく少年に向かって魔術を放つ。

中位魔法フレイムランス。

人間一人証拠隠滅と同時に消し炭にできる魔法。


少年の人体に直撃し、大量の煙を発するその光景に頬を釣り上げようとするが、


煙の中から腕が伸び、


「……真冬」


男の顔面を掴んでいた。


「何で……お前、死んでない。魔術を食らって生きていられるわけが」


だが真冬はこれ以上喋るなと言わんばかりに男を壁に向かって投げつけ、コンクリートの壁を突き破って隣の部屋まで吹っ飛ばす。


「今助ける」


(その魔道具は一度起動したら二度と停止することはできない。お前には……)


真冬は由紀の腕に接続された魔道具に手を触れると、瞬時に魔道具が破裂。

まるで最初から壊れていたかのように崩れ落ち、今まで発揮していた効果がなかったかのように消え失せる。


「な、なんで」


「お前ら……俺の友達に手を出したって事は死ぬ覚悟は出来てるって事でいいんだよな?」


10代の少年とは思えない殺気。

人を何人殺して、どれだけの修羅場を潜ればこれだけ濃密な殺気が放てるのか。

真冬の倍は生きてるだろう魔術をたちが心臓を締め付けられる恐怖に陥る。


「俺はお前のことが嫌いだな」


真冬の背後から魔術を展開して襲いかかる黒ローブ。

由紀を恐怖に追い詰めた彼はだが、真冬の前には全くの無力。

背後にいるからなんだ、殺せば全てが片付く。


圧倒的な実力差の前に何をされたかも理解できないまま、全身に合計数十発もの魔術痕わ残して吹っ飛び、建物を貫通して地面に叩きつけられて気絶。


それが1秒にも満たない出来事である。


「まさか、お前」


残りの黒ローブたちは迫ってくる真冬を前にある男の話を思い出す。


魔術師を管理する魔術結社には最終兵器が存在する。

むしろそれがあるからこそ魔術結社は世界最強の魔術団体でいられると。


そしてその人物は世界に5人しかいないとされる第零級魔術師、第一席。


水篠真冬。


世界最強の魔術師であり、この世界に彼に敵う人間は絶対に存在しない。


「俺の友達に手を出したお前は死んでも文句は言わせない」


死んでたまるものか。

目眩しのつもりで魔術を放ち、その隙に撤退しようとするが腕を掴まれ、腕だけを残して全身を吹っ飛ばされる。


最強の魔術師には全ての攻撃が無効化される。

魔術は彼に向けて放たれた時点で消滅を意味し、肉体は戦意を持った人で死亡する。


たった一つの傲慢が、魔術霊装を使用するために人を連れ去ったことが彼の地雷を踏んだ。

この人間に対峙して生きて帰ったものはいない。


「さよならだ」




「今回の事件を解決した功績で任務中の単独行動については不問としますが、次はこうならないように」


「はい」


由紀が囚われていた廃ビルで一方的に殲滅させられたテロリストたちの捕獲が行われていた。

彼が今回起こした事件についてどんな処分が下るかは魔術結社が決め、回収された霊装はすでに運送されている。


ただここでやる事は事件の後始末。

幸い近くに近隣住民はおらず、目撃者もいない。

運が良かったといえばそこまでだが、事故処理が少なくていい。


だがないわけではない。


「その……助けてくれてありがとう」


ソニアに説教をされている真冬に由紀は礼を伝える。


「どうせ助けに来てくれないとか、ダメなんじゃないかとか、全く期待してなかったけど、助けに来てくれて嬉しかった。あのまま来てくれなかったら私」


「友達だから当たり前、それに約束しただろう。なんかあったら助けてやるって」


ただの口約束だと思っていた。

すぐに忘れてしまうような儚いものだと勝手に決めつけてきた。

だが彼はそのために助けに来てくれた。


「新学期、よろしくな」


当たり前だと笑う真冬に由紀は頷いた。


人気があったら続編というか、連載する。


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