61/2つの誓い
沙汰を待つ咎人のように、薄明かりが包む室内で、メアはそっと私を見つめていた。神妙な輝きを湛える二つの赤が、視界の中で鮮やかに目立っている。
私は、まるで美しい絵画を見ているようだと思いながら、一瞬目を伏せた。
――メアが、ルートによってはラスボスとなる準神メディオディアだった。
その事実は、思っていたよりも落ち着いて受け止めることが出来た。考えないようにしていたけれど、何となく、察するところがあったお陰かもしれない。
例えば、薄紅の集団のアジトに1人だけ残されていたことだったり。
例えば、薄紅の集団相手に1人で対抗することが出来ていたり。
例えば、時折普通の人には姿が見えないはずのパトラが見えているような動きをしていたり。
例えば、メディオディアが創ったと思われる人々に、姿が似ていたり。
今思い返してみれば、寧ろ気が付かない方がおかしい程のヒントがあった。
でも、もっと早い段階で気付いてしまっていれば、こうして向き合うことは出来なかったかもしれない。
メアの話は、ゲームには出て来なかったから殆ど初耳だ。
第一王子の中から弾き出されるなんてエピソード、考えもしなかった。
けれど、聞いてみれば納得することも多い。これもこの世界が、極めてゲームに近いけれど、現実であることの証拠なのかもしれない。
私はそっとそれだけを考えて、目を開く。
メアは、私によって裁かれることを望んでいるようだけれど、私の下す沙汰は既に決まっている。とは言え、それよりも先に、細かいところで確認し足りないことがある。私はゆっくりと口を開いた。
「幾つか確認したいことがあるんだけど、聞いても良い?」
「何なりと」
薄っすらと微笑みを浮かべながら頷くメアに、私は重ねて問いかける。
「メアの話で大体の経緯は分かったけど、まだ聞いていないことがあるよね」
「……邪神について、でしょうか」
「うん」
私の質問に、聞かれると思っていたというようにメアは表情を変えることなく答えた。私が同意すると、メアは謝罪を口にした。
「ぼく自身のことを話さなければと思って、少々説明に足りないところが生じてしまっていましたね。申し訳ありません」
「それで、邪神は薄紅の集団にどう関わって来るの?」
既に聞いているのは、確かまったく別の組織と思っていたこの2つの存在が繋がっていた、ということだ。戦いの最中にそれだけしか聞いていないから、殆ど何も分かっていないと言っても良い。
私が首を傾げると、メアは説明を始めた。
「ぼくの持つ記憶が不完全であるということは既に申し上げた通りですが、邪神が正確には何を狙っているのかがその曖昧な記憶の部分に当たります。ただ、今の時点では邪神はこの世界の崩壊、或いは支配を狙っていると捉えた上でお話させてもらいます」
「少なくとも、メアはそう考えているってことだね」
「ええ」
邪神の狙いは、この世界を滅ぼすこと。
ゲームでもそうなっていたし、そこに文句はない。
「以前のぼくの狙いは、アウローラお嬢様の復活でした。その動機については思い出せない部分に当たるので飛ばします」
「うん」
「神々は邪神の攻撃よりこの世界を守る為に、自身を組み込んだ結界を施し、邪神を封印しました。結界を構成するエネルギーの中でも大きな割合を占めていたアウローラお嬢様を解放しようとすれば、自ずと結界は解けることになります。それは、邪神側からすれば望ましい展開と言えます」
アウローラを解放したいメディオディア。
この世界に手を出す為には結界が邪魔な邪神。
つまり、最終目標についてはともかくとして、この一点については狙いが一致している、と言える訳だ。
「恐らくは、邪神側が薄紅の集団の設立目的と自身の目的の一致に気付き、接触を図ったものと思われます」
「いつ接触を図ったかとか、そもそも接触したかどうかは覚えていないってこと?」
「お恥ずかしながら、仰る通りです」
悔しげに目を伏せるメア。
神様と言えど、意志がある以上完全ではないんだろう。
責めるつもりは私にはない。でも、メアは責任感が強いから、何を言っても気にするだろう。……フォローしたいけれど、それは後回しだ。私は口を噤む。
「……何故、具体的な記憶がないにも関わらず、薄紅の集団と邪神との間に関わりが持たれたと確信しているかと申しますと、連絡が行われていたことは記憶にあるからです」
「連絡?」
「はい。邪神の一派には、人の身の内に潜み、操る術を持つ者が存在するのです。これはご存知ですか?」
「……うん」
それは、昔エルガーを操つろうとしたアレと、最近だと神殿跡で襲い掛かって来たアレのことだろう。前者と後者では、少し違う意味を持って居そうだけど、広く言えば同じようなものだ。
私が頷くのを確認すると、メアは続ける。
「事あるごとに、いつも違う人の肉体でぼくの前に現れていました。告げられる言葉は、いつも違いました。例えば、アウローラお嬢様の守護者の位置であったり、例えば、提供する情報に対する見返りを求める内容であったり……」
「そうして協力し合っていたんだ」
「はい。そうは言っても、邪神側には積極的に動かせる戦力はいなかったようで、武力を借り受けた記憶はありません。曖昧な部分にそうした事実がある可能性もありますが……ハッキリしている記憶と照らし合わせた場合、あまり現実的とは言えませんので、ぼくはなかったものと考えております」
こうして見ると、結構浅い関わりなのかな。
……いや、そんなこともないか。きっと、彼らにとってはそれで十分な関わり方だったんだろうから。
「戦力がない……邪神は、封印されてるから自分で動くことが出来なくて、手駒として薄紅の集団を利用していたということ?」
「ええ、恐らくは」
邪神は、アウローラたちの手によって封印されていた。
これは、ゲームでもそうなってたから、間違いないだろう。
そして、簡単に出られないように結界を施し……邪神陣営は世界の外にもあったから、それを防ぐ意味もあって……。
あああ、こんがらがって来た。どれがいつ聞いた情報だっけ??
「えーっと、邪神は自分を封印する結界から逃れる為に、結界の隙間を縫って人を操って薄紅の集団に接触。暗躍させていた。薄紅の集団としては、協力することでアウローラを解放する目的が果たせるならと考えていた、って感じ?」
「その通りです。というよりも、現時点で断言出来るのはその程度です、と言った方が正確でしょうか」
ああ、難しい。要するに邪神は1柱の存在を示す言葉じゃないってことだっけ。
ゲームではそんな風に説明してなかったような気がするんですけど!
いや、もしかしたら説明されてたけど、アタシがちゃんと読んでいなかっただけかもしれない。もしそうなら、アタシには言いたいことがたくさんある。会える人じゃないけど。
「……どうすれば邪神を完全に沈黙させることが出来るかなどは、今のぼくではお答えすることが出来ません。申し訳ございません」
小さく肩を落としたメアに、私は首を横に振ってみせる。
「ううん。そもそも「邪神を完全に沈黙」なんて離れ業が出来るのなら、最初っからアウローラたちがやってるでしょ。メアが1人で気にすることじゃないよ」
「……申し訳ございません」
まぁ、やっぱり気にするよね。
私は細く長く溜息をつくと、そっと黙ったままのパトラを見上げた。
パトラは、訳知り顔で大仰に頷いてみせる。最初に会った時からの、一番の味方で、一番厄介な存在。黄昏の女神クレプスクロ。
彼女の記憶が完全になれば、こんな風に悩む必要なんて一つもないのだ。
でも、そうも言っていられない。
今のパトラは、きっと何か重要なことを思い出している。
それでも、口を挟もうとはしなかった。相も変わらず、厄介な存在と言える。
……でも、私はパトラを信じている。そして、パトラはそれを理解している。なら、私に出来るのは、ただこのまま、彼女を信じて、自分の道を突き進むだけだ。
だから私は、敢えて何も聞かずに、視線をメアの方へと戻す。それが、最善であると信じて。
「メア」
「はい、ご主人様」
「私はね、メアに、ずっと側にいてもらいたい」
真っ直ぐ見つめて、決して目をそらさずに。私は、ハッキリとそう告げた。するとメアは、信じがたいとでも言うように、目を瞬いた。
珍しい表情だな、と呑気なことを思う私に、メアは少し苛立ったように口を開く。
「……失礼ながら、ご主人様は今までの話を聞いてらっしゃいましたか?」
「勿論」
「では、何故」
邪神の息さえかかっている自分を、何故罰しないのか。放逐しないのか。
もっと言えば、始末しようとしないのか。
メアが言わんとしていることは、多分私はちゃんと理解していた。
でも、それを受け入れる訳にはいかない。ううん、絶対にしたくはない。
間違っているのだろう。甘いのだろう。
だけど、それをしてしまえば、私が私足り得る根拠を、失ってしまう。
だからこそ、絶対に選んではいけない選択肢だった。
「私で、居られなくなってしまうから」
「……は?」
気の抜けたような声が、メアの形の良い唇から漏れた。
素っ頓狂な呟きは、彼と出会って初めて聞いたかもしれない。
ささやかに口角を上げた私に気付いたのか、メアはキュッと眉を寄せた。
「……ご主人様はお気付きでしょうが、ぼくは貴女の事情についても盗み聞いて存じ上げております。そのような者を手元に置いておくなど、正気の沙汰とは思えません」
私が前世の……アタシの記憶を持っていることは、メアには言っていない。
でも、メアは知っている。話の流れから、多分そうだろうとは思っていたけど、どうやらあっていたようだ。
だけど、だからどうしたと思う。
勿論隠してはいたけれど、ずっと隠しきれるなんて思っていなかったし、メアが悪用するとも思っていない。
悪用するのなら、とっくに幾らでも出来ているだろう。
「それ以前に、ぼくは世界の敵ですよ。信じがたい愚行と言えましょう」
「そうだね。私は多分、最低最悪の自分勝手な選択をしていると思うよ。ワガママだ」
「ならば、何故」
「だから、言ったでしょう? 私はね、私の周りのみんなを、まとめて幸せにしてやるって決めてるの。そうするのが、私なの。アタシじゃない、私なの」
「……ご主人様」
私にしか分からない、私足り得る根拠。
お父様に認めてもらって、皆に友だちだって言ってもらって、私は、私である自信を手に入れた。
それでも、失えなかった。
皆を私の手で幸せにしたいという、身に過ぎた願いを。
「メアは、私の使用人。側仕え。私からは、絶対に手を離さないよ。例え、何があっても」
「世界と天秤にかけても、ぼくを手元に置いておくことを選ぶと仰るのですか?」
メアの問いに、首を横に振って答える。
「天秤にかけたりする必要はないよ。メアは……私のメアは、世界を危険に晒すような存在じゃないから。何の問題もない」
「貴女という人は……」
あまりにも、断定的な物言いだったからか。
メアは呆れたように口を開いて、ややあって俯いた。
顔が見えなくなる。ただ、細い肩が震えているのだけが見えた。
「……ぼくを、捨てないでいてくれるんですか?」
声も、肩と同じように震えていた。
それに気づかない振りをして、私は力強く同意する。
「捨てたりなんてしない。捨てたりなんて、するものですか」
「……貴女は……お人好し、ですねぇ」
少しの間を置いて、顔が上がる。
泣きそうな顔で、微笑みを浮かべるメア。
いつかしたようなやり取りだけど、何だかあの時よりもずっと、心が触れ合っているような気がした。
「そんな貴女だから、ぼくは、誠心誠意お仕えしたいと思ったんです」
「それは何というか……ありがとう」
真っ直ぐ褒められると、困ってしまう。
ただ、ワガママなだけだ。子どもの、幼いワガママ。
周囲の人全員を、自分の手で幸せにしようだなんて、それ以外になんて言えるだろう。
傲慢? それとも、身の程知らず?
いずれにしても、良い言葉で表現出来るような感情じゃない。
メアを捨てたりしないというのも、そんな感情に基づいたものだ。
だから、そんな風に嬉しそうに笑ってもらえる資格なんてないと思う。……だけど。
「私にとってメアは、昼の準神メディオディアじゃない。私の側仕えのメアだから。……それをどうか、忘れないで」
「はい……」
メアが、座っていた椅子から腰を浮かす。
それから、床に膝をついて、恭しく頭を下げた。
「……はい、ぼくのご主人様。ぼくの忠誠は、すべて貴女に捧げます。誓って、貴女の信頼を裏切るようなことは致しません。ですからどうぞ……最後の最後まで、ぼくをお使いください」
微かな月明りが差す。
メアの、作り物みたいに美しい全身を、柔らかく包み込む。
現実味の感じられない、すべてが止まってしまったように感じられる時間の中で、私は彼の誓いを受け止めることにした。
きっと、それが幼い傲慢な願いを根本に据えた私の、責任なのだと思った。
「はい、許します」
それこそ、傲慢な言葉。
普段なら絶対言えないようなその言葉を受けて顔を上げたメアは、だけど、見たこともないくらい嬉しそうに顔を綻ばせていた。
……物語は刻一刻と変わって行っている。
今日も、明日も、アタシの知る通りに進むとは限らない。
未来は、どうなるか誰にも分からない。
ならば、きっと私の望む未来だってつかみ取ることも出来るだろう。
ううん、つかみ取ってみせよう。
静かで強い、私自身への誓いを胸に、私はそっとメアへ手を伸ばした。




