06/声の正体
『ふむぅ……女童よ。そなた、思うていたよりも随分と身分の高き娘御であったようじゃの。驚きじゃ』
テオのお母様のフェミラさん、フェミラさんの看病をしている薬師のセレンさんと知り合って家に帰って来た私。
その日は早めに就寝して、ぐっすり眠って翌朝スッキリ! となるはずが……。
『今までは夢うつつで分からなんだ。改めて見てみると、大きい屋敷じゃな。好ましいぞ』
目覚めてみると、幻聴が幻覚を伴って現れていた。
しかも、我が物顔で私の部屋の中をウロウロしている。
声の主は、妙齢の女性だった。
攻略対象であるテオも既に今の時点で整った顔をしているし、メアも作り物みたいに美しい顔をしているし、セレンさんも種族の影響か神秘的な顔をしている。でも、目の前の彼女の姿は彼らに見慣れて尚美しく、彼らとは根本的に違うのだとひと目で分かる完璧さを持っていた。
床にひきずるくらい長く艶やかな黄昏色の髪。昼と夜の境目をそのまま閉じ込めたような色の瞳。真っ赤に引かれたルージュ。きつく吊り上がった目元は紫に染まっていて、白い肌がより目立つ。豊満な肉体を覆うのは、頼りない薄絹のドレス。露出している部分は少ないのに、却ってその色香が際立っている。
黄金比という言葉は、まさに彼女を指すのだと思うくらいの神がかった美しさに、思わず閉口してしまう。
ただ、私が見惚れるというよりも呆れの感情に苛まれているのは、そんな美しい女性が、子どもみたいに無邪気な表情で、室内を歩き回っているからだ。
まったく見た目の雰囲気に合っていない行動を取ってくれてるお陰で冷静でいられるのだから、寧ろ感謝したいくらいだけど。
「……あのー、どちら様ですか?」
『ん? 誰か、じゃと? 問われても困るのぅ』
女性は、私が思い切って尋ねると、まったく困っていないような微笑を浮かべながら、勝手に私の机の上に座った。そこが彼女の玉座でもあろうかというくらい自然な動きで足を組むと、メリハリのあるスラリとしたおみ足が晒された。ちょっと。はしたないですよ。
『妾はのう、気が付いたらそなたの中に居ったのじゃ。いつから居ったのかは分からぬ。自由に動けるようになったのもつい先ごろのことじゃ。それ以前のことを聞かれても、答えようなどないのよ』
ほほほ、と楽しそうに笑う女性。一体何が楽しいのか。
私は溜息をつきたい気持ちになったのを、必死で抑える。
彼女と出会ってしまった以上、仕方がない。いかに彼女に記憶がないとは言え、この姿を見てしまえば、おのずと正体は分かって来る。
「名前も思い出せませんか?」
『名……名か。確かに、誰かに何とかと呼ばれておったような気はするがのぅ……思い出せんのぅ……』
この質問には、本気で悩んでいるように見えた。秀麗な眉をむむむと寄せる姿でさえ絵になるのだから、本当に外見って重要ですよね。
「……クレプスクロ様、なのでは?」
『む?』
私が、この女性の正体として半ば確信しているのは、クレプスクロ――黄昏の女神だ。つまりは、ミリアム・ルナリスという少女は、主人公であるシャーナと同じように、黄昏の守護者だったのではないか、と考えているのだ。
じっと女性の反応を窺っていると、彼女はポンと手を打った。
『そのように呼ばれておった気もするのぅ』
「それじゃあ……」
『じゃが、しっくり来ぬ。女童よ。そなた、もっと可愛らしい名は思いつかぬのかえ?』
「はい?」
『気に入らぬ、と言っておるのじゃ。何度も言わせるでない』
「……えーっと」
麗しいお声で、何て不遜な物言い。女王様然としたその様子は、物凄くマッチしているけれど、言われた側としては複雑だ。
アタシ的には、ご褒美です! って感じだけど、わたくしと混じった今の私にとっては微妙なところだ。
『さぁ、妾にこそ相応しき名を早う』
会話を始めた以上、早く話を進めたいんだけど、この調子じゃ難しそうだ。
しかも、下手な名前を提案したが最後、神罰とかが下りそうな気さえする。
私は真面目に考えることにした。
彼女の正体が、黄昏の女神クレプスクロである、ということは私の中では決定事項だ。だからこそ、その意識が邪魔をして、なかなか良い案が浮かばない。
クレプとか、スクロとか付けたら怒られるよね。えーと、クレプスクロ……クレプスクロ……。クレ……クレープ……クレア……クレオパトラ……クレオパトラか。案外良いかもしれない。
私は、わくわくとした様子で私を凝視する彼女を見て、そのまま付けるのもどうかと思ったので、一部を取ることにした。
「パトラでどうですか?」
『ふむ、パトラか。……悪くはない響きじゃ!』
パッと満面の笑みを浮かべた彼女……パトラは、嬉しそうに言葉を続ける。
『妾は今日よりパトラじゃ。女童よ、そなたには呼び捨てる権利を授けようぞ!』
「それはどうもありがとうございます、パトラ。あと、私はミリアムです。女童じゃありません」
『敬語も要らぬ』
「えっと、じゃあ……ありがとう、パトラ。私のことはミリアムって呼んでよね」
『うむ、そう調子じゃ! 承知したぞ、ミリアム』
ニコニコしてくれてるのは良いけど、名前が決まったのなら話を進めたい。
私が、そんな気持ちでパトラを見ていると、彼女は分かっておる、と言って笑みを引っ込めた。
『そなた、妾に聞きたいことがあるのじゃろう?』
「うん」
――黄昏の女神クレプスクロ。
ゲーム中で語られる神話においては、屈指の悪女として描かれる古の女神の1人。実際には、その従神たちの話からすれば、他人思いの慈しみの女神であるらしい。その権能は多岐に渡り、そのどれも、神の名に相応しいものであると言う。
全能ではないが、万能。そんな彼女になら、分かるはずだ。
『昨日会うておった童の母の治療法か』
「……うん」
自分が誰なのか分からない、と言っていたけれど、この察しの良さである。
私は、私の考えが間違っていないのだと確信を深める。
じっと見つめていると、クレプスクロ……いや、パトラは苦笑を漏らす。
『そう期待をかけるでない。妾は記憶が定かではないと言うておるじゃろう?』
「でも、パトラなら分かるんじゃないの?」
『そこまで言われることに、悪い気はせなんだがな』
細い顎を、トントンと悩ましげに形の良い指が叩く。目を伏せて、しばらくそうしていたパトラは、やがてゆっくりと目を開き、呟いた。
『恐らくは、神気に対する過剰防衛反応じゃ』
「神気? 過剰防衛反応?」
それは、いわゆるアレルギーのようなものだろうか。
首を傾げた私に、パトラは続ける。
『フェミラとか言ったか? あの女、相当高位の神官であったのじゃろう。周りに視覚化する程凝縮した神気が渦巻いておったわ』
「そんなもの、分からなかったけど……」
『無理もない。そなたはまだ幼い故な。じゃが、そなたにも神気は宿っておる。直に視ることが出来るようにもなろう』
神気という言葉は、ゲームでも殆ど登場していなかった。
神様が、魔法に似た奇跡の術、神術を使うのに消費するエネルギーのこと、だったかな。厳密に言えば云々って説明があった気がするけど、流石のアタシも覚えていない。
箱推ししてるって言っても、基本的にアタシはキャラ萌えタイプで、設定はあんまり気にしてなかったもんな。
『あの童も、濃密な神気を宿しておったわ。元来、神殿とは神気の集まりやすき場じゃ。そこに自らも神気の覚えめでたい上に、我が子までも神気の塊とくれば、人の子の器がひび割れるのも致し方ないことであろうよ』
「ひび割れる? 過剰防衛反応ってことは、つまりそれを避けようとして、フェミラさんの身体が過剰な防衛をして、フェミラさん自身を痛めつけてるってこと?」
『平易に表せばそのようになるかの』
やっぱり、アレルギー反応ってことか。
要するに、本来身体に悪いものじゃないはずの神気との接触があまりにも多かったから、フェミラさんの身体が拒絶しようとして、必要以上に神気を攻撃して、逆効果になっている、と。
なら、防衛反応を控えめにする薬というか、対処をすれば良いのかな。
私はそこまで考えてハッとする。それじゃあそもそも、アレルギー反応をなくしてもダメなんじゃない?
「って。ちょっと待って! それって、防衛反応を抑えても、結局フェミラさんの器が壊れちゃうってことになるんじゃ……」
『あのままであれば、そうじゃろうな』
「えええ!?」
パトラは至極アッサリと言ってのけるけど、大変な推論だ。
もしそれが、一切の反論を許さない、純然たる事実であったなら、更に大変である。だって、それって解決しようがないってことになるよね?
冷や汗をかく私に、パトラは微笑む。
『そう慌てるでない。妾も、昨日の記憶は曖昧故……正確ではないところもあるかもしれんからの』
「そ、そうだよね。違う可能性だって……」
『まぁ、妾の見立てに間違いはないじゃろうがの! ほほほ』
「笑いごとじゃないからね!?」
フォローしてくれたのかと思いきや、全然そんなことなかった。ていうか、記憶が曖昧だって言ってるのに、その自信はどこから来るのか。
優雅に笑うパトラが憎らしい。けど、そんなことを言っている場合じゃない。
自分でも幾つか対応策を考えるけど、それよりもまずこの笑ってる女神から聞いた方が早いように思う。
「パトラは、何か解決策って思いつく?」
『なに、簡単なことじゃろ。そなたも分かるであろう?』
笑みを深めると、パトラは口を噤む。答えてくれる気はなさそうだ。
嘘をついたりするような存在ではないと思っていたけど、こういう、人を推し量るようなところはあるらしい。多少げんなりとするけれど、今は先に解決策だ。
フェミラさんを苦しめているのは、多すぎる神気。神気を生み出しているのは、大神殿という場所。フェミラさん自身。そして……息子であるテオ。
神気を断つというのは、あまり現実的じゃない。大神殿を取り壊すなんて有り得ないし、助けたいフェミラさんや、テオを死なせるなんてもっと有り得ない。
……最も簡単な解決策として思いつくのは、一つだった。
「……フェミラさんを、どこか遠くに引き離す?」
『そうじゃな。最も容易なのはその手段であろうよ』
「他に、薬とかで解決は出来ないの?」
『妾は、薬学にはとんと疎うての。要因はまず間違いないのじゃ。昨日会うた薬師にでも尋ねるのが良かろう』
「セレンさんか……」
ひらひらと片手を振るパトラの言葉に、私は唸る。
私は、セレンという人物を知らない。ゲームに登場しない人については、何の情報も持っていないと言って良い。
信用に値するのか、しないのか。そもそも、ゲーム本編の頃、セレンさんはテオの側にいなかった。それが、フェミラさんが亡くなってしまったせいなのか、それとも違うのか。何も分からない以上、テオの味方と考えるのも引っかかる。
私個人の感想としては、セレンさんはとても良い人そうだったし、信用したい。これがアタシだったら悩むまでもなく信じて、わたくしだったら悩むまでもなく信じなかっただろう。こういう時、どっちの意見も浮かぶ私は、答えに窮する。
「まずは信用して話してみないと、何も始まらないか」
『じゃが、そなた周囲から怪しまれたくないのではなかったのかの? 急に幼子が話してもいない患者の容体についてペラペラと話しおったら、怪しまれぬはずがないと思うのじゃがの』
「確かにー……というか、パトラ。貴女、どこまで分かってるの?」
『ぬ?』
私はここに来て、パトラを半眼で見た。思い返すのは、暁の女神アウローラの挙動だ。
アウローラは、冒頭から主人公シャーナの中にいるが、最初は眠っているので、接触は夢の中だけだ。接触と言っても、アウローラの記憶を、シャーナが夢の中で追体験する、という程度のものだけど。
それで、徐々に夢は鮮明になっていって、現実でもアウローラと会話出来るようになっていく。アウローラの様子は、今目の前にいるパトラと同じように、半透明で現実味のない姿をしていて、その声はシャーナ以外の誰にも聞こえず、その姿もまた誰にも見えない。
この共通項だけで、私はパトラがクレプスクロである、と判断している。矛盾点は今のところないから、合ってると思う。
そんなアウローラは、シャーナがアウローラの記憶を追体験するのに合わせて、シャーナの記憶を追体験していく。だから、物語の最後の方にもなれば、情報はお互いにほぼ全て共有している状態になっている。
逆に言えば、最初の頃はお互いに分かることは少なかったはずだ。
さて、ここでパトラ問題に戻ろう。
パトラが私の考え通り、アウローラと同じような存在となっているクレプスクロだと仮定すれば、アウローラとシャーナの関係性は、そのままパトラと私に当てはまるはずだ。
つまり、今のパトラは私の思考を読めたりはしないと考えられる。……にも関わらず、さっきの物言い。「周囲から怪しまれたくない」なんて、私は口にしていない。
でも、確かに私は周囲から怪しまれずに、至って自然な感じで未来を好転させたいと、みんなを幸せにしたいと考えている。それが分かっていないと出ない発言だ、と思う。つまり、パトラには私の記憶が読めている? 私には、見えてないのに?
『そう問われてものぅ……答えようがない』
「どうして?」
『さてな。妾の中に、時折聞こえて来るのじゃ。そなたの心の声が』
……私のプライバシー。
思わず天井を見上げるけど、シミ1つないキレイな天井が広がっているだけだ。
『妾も問うて良いかの?』
「どうぞ」
『そなたの心の声に、別人のものが混ざる時があるのじゃ。不思議なのじゃ。何故なのじゃ?』
「あー……」
どう答えたものか。
別人の声、ね。それはきっと、アタシの声で、わたくしの声だ。
……私に、この時点でパトラへの疑念はないと言って良い。色々考えない訳じゃないけど、私はアタシが見て来たゲーム上の他の神様たちを信じたいのだ。実際に会ってみれば相違点も見つかるだろうけど、今の私が信じたいと思うくらいに、彼らはクレプスクロの味方だった。彼らが言うクレプスクロは、十分に信じるに値する人物像だった。好感を抱くほど。
……だからと言って、素直に全部事情を話してしまえるかと問われれば、話が違うと答えたい。信じ切った挙句しっぺ返しをくらった場合、私はそれでも信じてる! なんて言える程強くないし、私が悪かったと思える程人も良くない。要するに、自衛の為に秘密を持っておきたいということだ。卑しい人間だな、私は。わたくしもだけど。
こういう時は、何も考えてないアタシが羨ましい。裏切られても、何が? って言えるくらい器が大きかったから、アタシは。そういうのは馬鹿って言うんだって? 気にしちゃ負けだ。
『言いたくないのであれば良い。妾は女童の隠し事を暴き立てるような、無粋な女ではないからの』
「……ありがとう、パトラ」
『なに、妾に名をくれた分のお返しだとでも思っておれば良い』
にっこりと笑うパトラは、今までで一番大人な表情をしていた。愛おしい我が子を見つめる母親のような温かみに、私は思わず涙ぐみそうになった。
『それで、ミリアムよ。今日もまた大神殿とやらへ向かうのかの?』
「え? あ、うん。そうね。早速セレンさんにお話ししたいし……」
『ふむ。あそこに行くと妾の神気もこの身に満ちるからの。賛成じゃ』
……もしかしなくても、連日大神殿に行って、知らず知らずの内にクレプスクロの目覚めに必要な神気が溜まったから声が聞こえるようになった、ってことだったのかな。
ゲームのミリアムはどうだったんだろう? ゲーム本編の頃には自覚してないとおかしいイベントも、今から考えればあったような気がするし、同じような感じだったのかな? 小さい頃に大神殿へ通い詰めたエピソードは知らないけど。
私は、一瞬そんなことを考えてから、首を横に振った。今はとにかく、分かることが先決だ。
「パトラは、私の近くにしかいられないのよね?」
『試してはおらなんだが、そのようじゃの』
「なら、私のワガママに付き合ってもらうことになるから、先に謝っておくね。ごめん、パトラ」
『なに。童の健やかなる成長を見守るのが大人の役目じゃ。妾は甘んじてそなたの保護者の席に坐そうぞ』
「……言ってること難しいけど、オッケーってこと?」
『うむ!』
パトラ、面倒くさい人っぽいけど、良い人であるのは確かかな。私は苦笑気味に、そう言えばまだ朝の準備を済ませていなかったな、と思って時計を見る。すると、メイドさんたちが起こしに来るよりもずっと早い時間だった。
ホッと胸を撫で下ろすと、パトラに人前では返事が出来ないからね、と言い含めておいて、私は早速朝の準備を始めて、今日の予定に考えを巡らせた。