05/病床の彼女
「キミさ、来る度に違う本持って来るけど、ヒマなの?」
「あー……あはは」
私は、今日も今日とてテオドアの元へやって来ていた。
テオドアは、私にヒマなのかと聞くけど、私のセリフだと返したいところだ。
確かに彼はゲーム中で、幼い頃は良く大神殿の裏庭にいた、と言っていたけど、それにしても居過ぎである。だって、私が大神殿へ来る度に、いつも同じように裏庭のベンチに1人で座っているんだもの。
ヘソを曲げられそうで言えないけどね。私は、そっと視線を逸らした。
「……今、オレの方がヒマなんじゃないか、って思ったでしょ?」
「え? そんなことないわよ?」
「……ふーん? それにしては、目が合わないけど?」
「うわっ」
不満そうに眉をひそめて、テオドアが突然私の顔をつかんで無理やり視線を合わせた。これが乙女ゲームのイベントならドキドキものだけど、されてる本人としては、そんなものじゃないと言いたい。
だって痛いもん。ちょっと首グキッていったし。
とは言え、アタシからすれば箱推しゲームの、大好きなキャラクターの幼い頃の姿だ。可愛いという感想がよぎるのは、その辺の影響だろう。
「ホントは何て思ってた?」
テオドアのオレンジ色の瞳が、じっと私を覗き込む。
うーん、それにしても綺麗な顔。なんて、能天気なことを考えてる場合じゃないんだけど。私はグイグイと頬を押し込まれながら、正直に白状した。
「実は、そう思ってた」
「……へー?」
「だって、いつ来てもここのベンチにいるんだもの」
「うっ」
うっ? 何だか、テオドアは変な唸り声をあげて、私の顔から手を離した。そのまま、視線を泳がせ始める。あれ、これ私地雷でも踏んじゃったか?
「それは……キミと……」
「え?」
「……何でもない」
すっかり拗ねたような顔で、テオドアはそっぽを向いてしまった。
……何だか甘酸っぱい空気が流れてる気がするのは私だけかな。
いや、多分気のせいだよね。この雰囲気だと、テオドアは友だち少ないんだろうし、その辺の照れの影響だよね。きっと。恋愛イベント云々じゃないはずだ。だから、ローウェン。ニヤニヤした目でこっち見ないで!
「……それより、オレまだキミの名前知らないんだけど。教えてくれない?」
「あれ? そうだった?」
「そうだったよ」
そっぽを向いたまま、テオドアはそう言う。
そう言えば、私はテオドアの名前を一方的に知ってたから気にしてなかったけど、名乗り合ってなかったっけ。私は、友だちになりたいと考えつつ、根本的にスタートを間違えていたことに気付いた。
「それでは改めまして……私、ミリアムって言うの。貴方は?」
「そう。……オレはテオドア。テオって呼んで良いよ。オレはミリアって呼ぶから」
「え? ミリア?」
「……イヤか?」
急に不安そうな顔をして振り向いたテオドア。
マイペースというか、自分勝手な感じで話を進めるけど、きっと、人付き合いが苦手なせいなだけで、本当は良い子なんだよね。私は苦笑気味に首を横に振る。
「ううん、嫌じゃないよ。よろしくね。テオ」
「! う、うん。よろしくな、ミリア」
そう言うと、テオはパッと照れたような満面の笑みを浮かべた。
う、うわぁ……何という破壊力。私は、自分の頬が赤くなっているのを実感する。いや、あのね、だから別に恋愛イベントじゃないからね。ローウェン分かってる?
「……ミリア、これでオレたち、友だち……だよな?」
「うん、そうだね」
「そ、そうだよな!」
興奮気味にそう言って何度か頷くと、テオは真剣な表情になる。
そして、周囲を見回してから、声を潜めて囁くように言葉を続けた。
「……友だちのお前に、一緒に来て欲しいところがあるんだ」
「どこへ?」
「こっち!」
「あっ、ちょっと!」
テオは勢い良く私の手を掴むと、引っ張って走り出した。
突然のことだったから、思わず前のめりになってしまう。それを見た瞬間、ずっと笑っていたローウェンの目が厳しく吊り上がったのを見た。ああ、いやいや、テオに悪気はないから! 平気だから! 私は目配せで大丈夫だから、と伝える。ローウェンはそれに対して、何故か獰猛な笑みを返してくれる。
えぇー? それ、どんな意味? 状況は分かってるけど迂闊だって言ってるのかな? 私は不安に思いつつも、軽く頷いておいた。
メアは、オロオロとしていたけど、ローウェンが一定の距離をあけて私たちについて来ようとしているのを見て、それに続いた。
「ねぇ、どこに行くの?」
「秘密だ!」
答えてはくれないけど、テオの楽しそうな語気から考えれば、何となく予想はつく。……どうやら私は、数日目にして見事目標を達成出来たようだ。第一段階だけど。
□□□
「ここだ!」
大神殿の中を縦横無尽に走り回り、明らかに隠し通路じゃないかって言うような怪しげな道まで通って、ようやく目的地に到着したようだ。
ある扉の前で、テオはようやく足を止めて、嬉しそうに振り返った。
色々とややこしい行程だったけど、実際には入り口にほど近い部屋みたいだ。正面に立った時に見えていた、右側の尖塔。その3階辺りだろうか。
「母さん、入るよ」
「まぁ、テオ。いらっしゃい」
「……お母さん?」
テオは、嬉しそうに扉を開いて、弾んだ声で中にいた人に呼びかけた。
その呼びかけに、可愛らしい女性の声が返って来る。
聞き覚えのないものだけど、その正体はすぐに分かる。
「あら? こちらのお嬢さんは?」
こじんまりとした部屋の奥のベッドに座った、テオに良く似た面差しの女性。
顔色は悪いけど、そのオレンジ色の瞳はキラキラと輝いていて、強い生命力を感じさせる。
「オレの友だち。出来たら紹介するって言ってたじゃないか」
「あら、ステキ! テオのお友だちになってくれたのね?」
テオのお母様は、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。
ジッと私を見る目は、慈しみに溢れている。
病床にあって辛いだろうに、そんなこと、少しも感じさせない。
「私はテオドアの母のフェミラよ。貴女のお名前は?」
「はい、ミリアム・ルナリスと申します」
ペコリと頭を下げると、フェミラさんは両手を叩いて、子どもみたいにはしゃいだ。きっと、テオが友だちを連れて来るのは初めてのことなんだろう。と、考えるのは失礼だろうか。でも、ゲーム中でも友だちについての描写はなかったし、間違ってないよね?
「まさか、女の子のお友だちだなんて! 嬉しい誤算だわ」
「だから言ったろ? オレは友だちが出来ないんじゃなくて、作らないだけだって」
「うふふ、本当ね。ミリアムちゃん、テオと仲良くしてあげて頂戴ね?」
「はいっ」
テオが、物凄いドヤ顔なのが気になる。若干思うところがない訳ではないけれど、私は気にしないことにして、テオに尋ねる。
「もしかして、お母様に私を紹介したくてここまで来たの?」
「それがどうかした?」
「ううん、何でもないよ」
本当に、ゲーム中のマイペースさとはまた違ったマイペースさだよ、今のテオ。
私は内心で乾いた笑いを浮かべつつ、表向きはにこやかにしていた。
悪い気がする訳じゃないんだけどね。
……さて、そんなことよりも私の本懐を思い出さないと。
私は、怪しまれないようにごく自然にフェミラさんの方へ視線を向ける。
やっぱり、顔色は良くない。表情はとても良いんだけど、どこか悪いんだろう。
ゲームでは、死因についての詳細はなかったから、アタシにも分からないんだよね。直接本人に色々聞くのもおかしいかな? 子どもの好奇心ってことで何とかなるかな。そう結論付けた私は、早速フェミラさんに尋ねてみることにした。
「あの、フェミラさん」
「何かしら?」
「もしかして、フェミラさんどこか悪いんですか?」
「あら……今日は調子が良いと思ってたんだけど、分かる?」
フェミラさんが、形の良い眉をへにゃりと下げる。
それを見たテオが、ギョッとした様子でフェミラさんに飛びついた。
「か、母さん!? 平気か? セレン呼ぶか!?」
「調子は良いから落ち着いて、テオ」
よしよしと頭を撫でるフェミラさん。テオは、それでも安心出来ないようで、フェミラさんの膝に縋りつくように顔を埋めた。
フェミラさんは、申し訳なさそうに口元をゆがめた。でも、それは一瞬のことで、すぐに視線は私の方へ戻って来た。
「やっぱり、顔色が悪く見えるかしら?」
「こんな時間からベッドに横になっていたので、そう思っただけです」
「ああ、確かに……」
フェミラさんは、棚に置かれた時計を見て苦笑した。
「ダメねぇ。こうして寝てばかりいると、時間の感覚が鈍くなっちゃって」
「かなり悪いんですか?」
私の質問に、テオがビクッと全身を揺らした。
テオには可哀想だけど、これだけは聞いておきたい。本当のことは教えてくれないかもしれないと考えて、私は注意深くフェミラさんを見つめる。
フェミラさんは、意外な質問を聞いた、と思っているようで、目を瞬いていた。それから、すぐにコロコロと笑う。
「本当にダメね、私ったら。息子のお友だちにまで心配かけて」
「フェミラさん……」
「私なら平気よ。少し身体が弱いだけなの。安心して?」
……やっぱり、本当のことは教えてくれないよな。
子どもならではの空気の読めなさだと受け止めてくれるのは、精々この辺までだろう。多分、これ以上ハッキリ教えてくれることはない。フェミラさんの表情を見てそう判断した私は、普通の会話から病状を把握する方針に切り替える。
「それなら、良かったです」
「そんなことより母さん。ミリアは凄くたくさん本持ってるんだよ!」
母親の具合が悪い話なんて聞きたくないのだろう。
テオは、どこか必死な様子で話を逸らす。可哀想な思いをさせてしまったと、私の胸がチクリと痛んだ。でも、こればかりは遠慮していられる問題じゃない。
私は、胸の内に湧いた痛みには無視をする。エンディングを迎えるまでの辛抱だから。
「どうりで。最近テオの話にレパートリーが増えたなぁと思ってたのよ。ミリアムちゃんの本だったのね」
「そう。今日も読んだんだ。それが……」
「失礼致します、フェミラ様。……おや?」
「セレンくん」
コンコンと、軽いノックの音が響いた直後、見知らぬ男性が部屋に入って来た。
その人は、緑色のグラデーションがかった不思議な髪色をした、美しい人だった。男性とも女性ともつかない美貌だけど、声はハッキリと男性だと分かる低さだ。チラリと髪の隙間から見える耳は長くはないけど尖っていて、妖精族に分類される長命の人種であると分かる。
攻略対象として登場していてもおかしくない外見だけど、アタシの記憶にはない。当然、わたくしも知らない人だ。ただ、フェミラさんがセレンと呼んだので、それがこの人の名前なのだということだけが分かる。
「今日は見慣れないお客様がいますね」
優しく、穏やかな笑みを浮かべたセレンさんは、手に持っていた大きな木箱を机の上に置くと、私の前に膝をついた。自然と目が合う。白っぽい、不思議な色をした目は、どこまでも温かい光を帯びている。
「僕はセレン。フェミラ様の薬師をしています。君は、テオのお友だちですか?」
「はい。ミリアム・ルナリスと申します」
「おや……ルナリス男爵の御令嬢でしたか」
セレンさんは、驚いたようで目を丸くした。
私が、世の中にはこんなに綺麗な人もいるものなんだなぁなんて考えながら、セレンさんをのんびり見つめ返していると、どこか慌てた様子でテオが私たちの間に割って入る。
そして、セレンさんに噛みつくように声を硬くして言い放つ。
「ミリアはオレの友だちだから!」
「え? ……おやおや。これはこれは」
面白いものを見た、といった声音で、セレンさんは言葉を繰り返す。意味深にフェミラさんを見るセレンさんに、テオは困惑した様子だ。
……多分、可愛いなぁって思われてるんだよ……テオ……。
私の遠い目の意味は、多少なりとも分かったのか、テオは不満そうに目を細めた。
「……何だよ。文句でもあるのか?」
「ないよ。ただ、可愛いなって」
「オレのが年上だよね? 生意気だっ」
つーん、と顔を逸らすテオは、私から見てもとても可愛らしい。
これはもう、本人は不愉快だろうけど、致し方ないよね。
苦笑する私にも、フェミラさんとセレンさんは、揃って優しい視線を向ける。
……私もね。年齢的にはね。子どもだからね。仕方ないよね。
「おっと。このまま君たちとおしゃべりしていたいところだけれど、そろそろ診察しないといけませんね」
「あら、もうそんな時間なの? 折角楽しくなってきたところだったのに」
フェミラさんは、幼げな表情を浮かべる。
それに対して、テオは寧ろ大人みたいな顔で、フェミラさんに注意をした。
「ダメだよ、母さん。早く元気になるには、セレンに診てもらわないといけないんだから」
「ふふ、そうよね。母さん、頑張るわ! ……という訳で、ミリアムちゃん。バタバタしちゃってごめんなさいね?」
「いいえ、気にしないでください」
「ありがとう。テオのこと、これからよろしく頼むわね?」
「はい」
私の答えに、フェミラさんは満足そうに微笑んだ。
セレンさんが私たちに、退室を促して頷いてみせる。
私とテオは、後ろ髪を引かれる思いではあったけど、部屋を後にした。
□□□
また、裏庭に戻って来た。
テオと一緒にベンチに腰掛けているけれど、お互いに無言だ。
テオは何か思うところがあるのだろう。それに私も、考えたいことがあった。
何、ということはない。フェミラさんについてだ。
素人の私から見れば、体調が悪そうだ、ということしか分からない。咳き込んだりはしていなかったけど、熱はあるのか、脈は正常なのか、痛いところはないのか、何一つ分からない。
とりあえず、会話自体は特に何の問題もなさそうだったけど、今日は調子が良いと言っていたし、悪い時が分からないから判断がつかない。ただ、少なくとも急に死んでしまうようには見えなかった。
(……でも、時期的にはそろそろ危険域……なのよね)
明確な時期について、ゲーム中では触れられていなかったけれど、そろそろのはずだ。何故なら、病を得てから亡くなるまでは早かった、というのは明記されていたのだから。病状がどの程度なのか分からないけれど、病床にある以上、カウントダウンは進んでいる。
(とりあえず、今度はセレンさんから話を聞きたいな)
時間はない。だけど、焦っても意味はない。とにかく、詳しい話が知りたい。その為には、フェミラさんを診ているセレンさんに聞く必要がある。
ただ、優しそうな人だったとは言え、子どもにそんなことを教えてくれるだろうか。内心で唸っていると、今日もまた、空耳……幻聴が聞こえて来る。
――そなた。何を悩んでおるのじゃ?
…………。
何だか、連日大神殿を訪れたせいなのか、妙にハッキリ聞こえるようになって来ている。しかも、夢うつつのような言葉だったのが、明確な意思を持って、私に対して話しかけてきているような気さえする。これは……無視出来ない事象だ。
――妾に話してみやれ。一人で悩んでおっても、解決には繋がらぬであろうよ。
……いやいや、これ完全に話しかけて来てるよね。
私は、更に考えないといけないことが増えたのを感じて、げんなりする。
「……どうした、ミリア? 具合悪くなったのか?」
「え?」
「顔色悪いぞ……」
小さく溜息をついていると、横から心配そうにテオが覗き込んで来た。
照れるような様子も、怒っているような様子も、ましてやからかうような様子もない。きっと、フェミラさんの姿と重ねているのだろう。
私は、心配をかけてしまったことを申し訳なく思って、元気良く立ち上がる。
「大丈夫! 元気だよ。ただ、多分ちょっと疲れちゃっただけだよ」
「そうなのか? ……でも、もう帰った方が良い。今日は早く寝ろよ」
「うん、分かった。テオも、無理しちゃダメだよ」
「……オレは別に」
肩を落とすテオ。言葉選びがあまり良くなかったかもしれない。落ち込んでいるテオに、これ以上何て言えば良いのか。
流石に能天気にはしてられないけど、まぁ何とかなるだろうという感覚もある。重く考え過ぎても仕方がない。私は、テオの言う通り、早めに寝ることを決めた。
「また来るからね」
「うん。……バイバイ」
哀しそうな声が後ろ髪を引く。でも私は、それを振り切るようにしてその場を後にした。
合流したメアとローウェンも、私のことを心配そうに見ていたから、結構調子が悪そうに見えるのかもしれない。
原因は、まず間違いなく……。
――ふむ。何やら不満そうじゃのう。どうしたのじゃ?
……この声のせいだ。
解決しないといけない問題が積み上がり過ぎている。
私は、家に帰ってお父様からも心配の声を頂いて、更に疲れが増すのを感じた。
もうっ! 本当に疲れるよー!
――そういう時は適度な睡眠が必要じゃぞ、女童よ。
うるさーい!!