42/打ち明けること
「……ヨシ、決めた!」
ローウェンと話してから、一睡もせずに朝を迎えた私は、カチリと目覚まし時計の針が目覚めの時間を指し示す音を聞いた瞬間、ガバリと勢い良く起き上がった。
一向に眠気が来なくて、まったく眠れない時間は苦痛になるかもと危惧したけど、実際はそんなことはなく寧ろ色々なことを考えるのに丁度良い時間となった。
『おはよう、ミリアム。何を決めたのじゃ?』
「おはよう、パトラ。うん、色々とね」
メイドさんたちが来る時間まで、まだ少し間があることを確認すると、私はそのままベッドから起き上がって着替えを済ませてしまう。
私の世話を事あるごとに焼きたがるメイドさんたちは残念がるだろうけど、手伝ってもらうと時間がかかってしまうから、今は出来れば避けたかった。
伸びた髪を、邪魔にならないように編み込みながら、不思議そうに首を傾げるパトラに笑顔を向けた。
ずっと眠っていなかったことは、パトラにも分かっただろう。
でも、私がひと言も話そうとしないから、彼女もまた気を遣って今までひと言も発しなかった。
そんな私が、突然起き上がって「決めた」なんて叫んだから、驚いたことだろう。ちょっと申し訳ないことをしたと思う。
『色々と言うと、邪神関係かえ? それとも、妾のことかの?』
パトラは、自分のことかと問う時、やや眉を下げていて、声のトーンも一緒に下がった。私と似て、色々と背負い込む性格をしているから、きっと何かを気に病んでいるのだろう。
本人がそうしたことを言っている訳ではないけど、確かに伝わって来るものがある。だからこそ私は、パトラのせいではないとの意味を込めて、力強く微笑んでみせる。
「全部だよ。でも、多分良いことだから大丈夫」
『あまりそうは思えないのじゃが……』
綺麗な顔が憂いで歪む。そんな顔をさせたい訳じゃないけど、今は、まだ言うべき時じゃないから、もう少しだけ我慢してもらうことにする。
多分、私が決めたことを言えば、少しは気に病まずに済むと思うんだけど……希望的観測かな?
私は出来る限り元気づけたいと思って言葉を続ける。
「私ね、パトラが居てくれて良かったと思ってるの」
『……何じゃと?』
「……そんなに驚くようなことかな?」
零れ落ちんばかりに開かれた黄昏色の目を、私は驚きをもって見つめる。
見た目と違って、情緒豊かで感情表現の多いパトラでも、ここまでビックリしている姿を見るのは珍しいかもしれない。
能天気な感想を抱いていることに気付いたのか、パトラはムッと唇を突き出す。
『そのような間の抜けた顔で見られる謂れなど無いぞ』
「あはは、ごめんごめん」
軽く笑ったのがお気に召さなかったのか、パトラは拗ねたように視線を逸らした。そのまま勢い余って、会話の流れを忘れてくれないだろうか、なんて失礼なことを思ったけど、そう上手くはいかなかった。
パトラは、しばらくそうしてから、また表情を暗くさせてしまった。そして、落とすように呟く。
『……記憶こそ戻らぬが、妾は悪の女神なのじゃろう。妾がそなたを危険へと誘っておるのじゃ』
「そんなことは……」
『では、何故そなたは次々危険な目に遭う?』
否定しようと思って口を挟んだ私を、パトラはその手で制する。
その眼差しは真剣で、軽い調子で煙に巻かれたくはないというパトラの気持ちが伝わって来る。
『テッキ村での騒動、クリムゾンとやらのセリスの拐かし、そして邪神を名乗る男の強襲……』
赤い唇から紡がれる、私たちを襲った出来事たち。
そう考えてみると、確かに結構な頻度でイベントが発生しているように思える。
体感ではそうでもないから、焦りばかりが募ってしまっていたけれど。
『人間の命など儚いものよ。あれらのような出来事、一生にそう何度も起こるものではあるまいて』
「……まぁ、普通はそうだろうね」
そこは同意せざるを得ない。だけど、全部がパトラのせいという訳ではない。
いや、何ならパトラのせいで起きたことは、今のところ一つもないと私は断言出来る。
『それもこれも、妾と共に居るが故の弊害じゃろう』
「違うよ。どれもこれも、パトラが居たから助かったの」
『そう言ってくれるのは嬉しいが……』
「お世辞でも何でもないよ。事実だから言ってるの」
パトラの瞳が揺らぐ。憂いに濡れる黄昏の、何て美しいことだろうか。
そんなことを言ったら怒られるから、私は微笑むに留めた。
「テッキ村での騒動は、私たちが行く前から発生してたでしょ。パトラのせいじゃない」
『……ミリアム』
何を言っても、パトラは反論することが出来てしまうだろう。
けれど、そうなってしまえば堂々巡りだ。だから、私は勢いのままに押し切ることにした。
「クリムゾンの件も、催し自体私たちと関係なく開かれてたし、そもそもシャーナちゃんはずっと狙われていた。遭遇したのは偶然だよ」
引き合うものがある、と正直私も思っている。
偶然というにしては、様々な出来事が収束している感じがある。
でも、当然だけど言わない。パトラのせい、という結論だけは避けたいから。
「あの男が襲って来たのは、確かにパトラの力を使ったからかもしれない。でも、その力を使わなければ死んでいたし、私も同意してた。パトラのせいじゃない」
『そうは言うが、すべては妾の引き寄せた不幸とは思わぬか?』
「そんなことを言い出したら切りがない。パトラは、私の身に起こる不幸が全部自分のせいだって言いたいの?」
『……ツェルトも言っておったではないか。妾を身の内に宿して居ったせいで、周囲の者を不幸にしたと』
ここでお父様理論がやって来ますか。
私は、今日片付けようと思っていた問題が先手を打ってきたような感覚を覚えて、渋い顔になってしまう。
けどすぐに気を取り直す。片付けようと思っていたのだから、今来ても問題ないだろう。
「でも、私の周りの人は皆不幸じゃないよ。何も起きていないことを心配するなんて損だよ」
『じゃが、これから来るやも知れぬのじゃぞ』
「過去は変えられないけど、未来なら立ち向かえるし、きっと変えられる」
『そなた……』
敢えて確信的に言えば、パトラは息を飲んだ。
これから、皆で一致団結して困難に立ち向かっていく必要がある。
ここでパトラに自責の念で潰れられたら、それこそ大変なことだ。
勿論、パトラを幸せにしたいという思考に基づいた心配でもあるけど、それ以前の話である。
『……それ程、ローウェンのヤツの言葉が胸に響いたのかえ?』
「どうしてローウェン?」
ふっと、落とすように笑んだパトラが、急に斜め横の言葉を投げかけて来る。
予想外のことだったから、思わず首を傾げるとパトラは口角を上げる。
『そなた、そこまで強かったことはないじゃろ。いつもどこか逃げ腰じゃった。それが、急に変わるのじゃから、何か切っ掛けがあったのじゃろうと思っての。違ったのかの?』
「キッカケ……そう、だね。そうだよ」
1人で背負うなと言われて、正直、目から鱗が落ちたような心地がした。
私は、ヒロインでもないクセに、ゲームの記憶があるからと、全部1人で対応しようとして来た。結果的に、状況は私が動いて良くなっているとは思えない。私1人では、限界がある。
「だから、決めたの。パトラ、信じて私の力になってくれる?」
『何を決めたのじゃ?』
「それは、お父様のところに行ったら言うよ。でも、そうだね。先に少し言っておくと……私の隠し事、全部……かな」
私の言葉に、パトラはまたビックリしたようだった。
でも、すぐに落ち着いたようで、今度はいつものような明るい笑みを浮かべてくれた。
『ふふ、そうか。……妾は、そなたと一心同体。そなたにどのような秘密があろうと、すべて受け止めてやろうぞ』
「ありがとう。やっぱり私、考え過ぎだったのかもね」
本当に、ローウェンには頭が上がらない。
単純なことだったのだ。私だけでは、アタシの記憶を生かしきれない。
それなら、周りを信じて、打ち明けてしまえば良いのだ。
私が打ち明けようと思う人たちは、皆、信頼のおける人だから。受け入れてくれる。そして、その方がきっと全部が良くなる。
グッと拳を握った私は、メイドさんのノックの音を聞くと我に返って、慌てて扉へ向かった。
それより先に、朝食の時間だよね。腹が減っては何とやら。戦いの前に、腹ごしらえである。
□□□
「お父様。折り入ってお話したいことがあるのですが……」
「ん?」
朝食を終えた矢先にそう切り出すと、お父様は意外そうに目を瞬いた。話をすること自体は、事前に決まっていたことだから、改めて言われて驚いたのかもしれない。
でも、私がしたい話というのは、まずは2人きりでしたいもので、最初に想定していた話とは違う。
「それは、今ここでは出来ない話、なのかな」
「はい。それと、少々お時間を頂きたいのです」
「そうか……」
顎に軽く手を当てて、少々思案したお父様は、思っていたよりもすぐに顔を上げて頷いてくれた。
「分かった。人払いはしておこうか?」
「出来れば、まずはお父様にお話ししたいことです」
「今すぐで構わないかな?」
「ありがとうございます」
頭を下げた私に、お父様は穏やかに微笑むと、ゆっくり立ち上がった。
そのまま私を手招きして書斎へと向かう。
人払いをして内密の話をするには、書斎が向いていた。
――ダイニングからほど近い書斎には、すぐに着いた。
話を聞きたがっている様子のメアと、妙に落ち着き払った様子のローウェンの2人には部屋の外で待機していてもらうように伝え、中に入る。
普段はお父様が書類仕事をしている書斎は、インクと本の独特のニオイが入り交ざって、どこかノスタルジックな雰囲気を醸し出していて落ち着く。
「さて、長くなるとのことだったが、何の話だい?」
対面でソファに腰を下ろすと、ピリリとした緊張感で喉がかわいた。
けれど、そう思うのは私が緊張しているからで、決してお父様が圧迫感を出している訳ではない。
ふぅ、と重く息を吐くと、私は意を決して口を開いた。
「……お父様は、以前に私が本当に自分の娘かと、お尋ねになりましたよね?」
「……ああ、そうだったね」
その言葉を口にした瞬間、お父様の柔らかな笑みが固く引き締まる。
ある程度、私が何の話をするのか想定していただろうけど、この切り出し方は予想外だったのだろうか。
それとも、分かっていたけれど表情に出てしまった、ということだろうか。
お父様の反応を注意深く窺いながら、私は言葉を続ける。
「あの時と、私の答えは同じです。私は、貴女の娘の、ミリアム・ルナリスです。そのことに、間違いはありません。ですが、隠していたことがあります」
「聞こうか」
促すようにお父様が手を動かす。その緩やかな動きの向こう側で、その手が小さく震えているのに、私は気付いた。
「私には……私ではない、別の人間の記憶があるのです」
「別の……人間、だって?」
お父様が、絶句する。
言われるとしたら、クレプスクロのことだろうと思っていたことだろう。
それが、フタを開けてみたら娘の口から飛び出したのは、別の人間の記憶がある、という告白。
突然の軌道修正を迫られたお父様の思考は、きっと今全力で回転している。
「別の表現をするのであれば、前世の人間の記憶、とでも表しますか」
「前世というと、生まれ変わる前のことかな」
「はい、そうです」
「……それは、女神の記憶ではなく?」
お父様の目に、若干訝るような色が浮かぶ。
それも無理のないことだと思って、私はキュッと拳を握る。
私に出来るのは、誠心誠意説明することだけだ。
「違います。ただ、少々変わったところのある記憶でして」
「どういう風に?」
「この世界の、未来の可能性の幾つかを知っているのです」
「!?」
瞬きがやみ、口が軽く開かれたまま静止する。
衝撃を受けている、ということは、信じてくれていると思って良いのだろうか。
私は、多少の不安には目をつむって、一生懸命説明を続ける。
「その記憶の持ち主は、ごく普通の女性です。ただ、彼女が読んでいた物語の世界観と、この世界が極めて酷似しているのです」
「……続けて」
固まっていたお父様は、ややあって落ち着きを取り戻した様子で続きを促した。
その表情は真剣そのもので、少なくとも最初から有り得ないと思考放棄するようなことは無いと見受けられた。
そんなことをしないと信じてはいたものの、実際に少なくとも話を聞く姿勢を見せてくれたことに安堵する。
小さく息を吐いてから、私は思考を整理しながら話す。
「『ミスティック・イブ』と名付けられたその物語は、1人の少女を軸に語られます――」
そうして私は、お父様に語った。
今まで、自分の中に溜め続けていた記憶を全て。
シャーナちゃんが主人公であり、アウローラを宿す暁の守護者であること。
いずれ、彼女がルオン第二王子に連れられ、邪神との戦いに赴くこと。
そこから先の未来は、幾つかの可能性があること。
あるいはルナリス家が滅亡すること。
あるいは世界が滅亡すること。
あるいは、あるいは、あるいは……。
アタシの記憶が、幾らまばらであるとは言っても、すべてを語るには長い時間がかかった。
けれど、お父様は微動だにせず耳を傾け続けてくれ、私も精一杯話し続けた。
記憶の影響で、穴のある説明もあった。
感情の影響で、言い淀むこともあった。
それでも私は語り続け、やがて自分の考えの説明に入り、それも終えた。
「――以上を根拠として、この世界がその物語と相似する世界であり、私たちの行動如何によっては、物語で描かれた以上の結果を得られるものと考えております」
「…………」
全てを聞き終えたお父様は、組んだ手に額を当てたまま無言で俯いていた。
お父様がどう受け取ったのかが気になるけれど、ともかく、私は返事を待つよりも謝らなければと考えて言葉を続けた。
「話すのが遅くなりまして、本当に申し訳ございませんでした。確信を得てから話したかった、というと言い訳になってしまいます。……申し訳、ございませんでした」
頭を下げて、2度謝罪の言葉を述べる。
本当なら、土下座すらしたいレベルだ。
何しろこの情報の精度が相当であれば、なかなかに重要性の高いものであると考えられる。一家の長に対して秘匿とするのは、貴族の娘としてはあるまじき背信行為ととらえられても仕方がない行為だと思う。
……それよりも、クレプスクロに関する私の認識を話して、嫌われてしまうのではないかという心配の方が大きかったけど。
若干遠い目をする私の横で、パトラもお父様と同じような様子で呆然としていた。
私は、敢えてゲームで知ることの出来る神話関連についても、隠さずに説明した。ただ、最近耳に入って来た情報たちから推測するに、それは全てではないと考えられる、ということも付しておいた。
クレプスクロの事情に関しては、分からないことばかりというのに変わりはないということになるけれど、色々と複雑なのだろう。
……だけど、パトラならちゃんと受け止めてくれると、私は信じている。
「……ミリアム」
「はい」
自然と背筋が伸びる。
すべてを話した以上、最早私はまな板の上のコイだ。出来ることは沙汰を待つのみ。出来る限り真摯に向き合えるよう、私は気を引き締める。
「……今まで、辛かっただろう」
そこに降って来た、柔らかい言葉に、私は一瞬、夢を見ているのかと思った。
「え?」
思わず漏れた言葉は、何も取り繕うところのない素直な反応で、恥ずかしく思う。
慌てて口元を抑えた私に、お父様は責める様子はない。
それどころか、優しく、優しく微笑んで言うのだ。
「話してくれて、ありがとう」
……どうして、怒られないのだろう。
頭ではそう思うのに、反射的に、目頭が熱くなる。
安心なんてしてはいけないと思うのに、堰が切れる。
『妾もじゃ、ミリアム。打ち明けてくれて、嬉しく思うぞ』
……どうして、そんなことを言うのだろう。
私は、勝手な理由で黙っていたのに。
もっと早く話していたら、もっと色々なことが出来たかもしれないのに。
「……お、父様……」
それに、パトラも。
「……あり、がとう、ございます……」
私は、泣いた。子どもみたいに、ポロポロと。
抑えきれない雫が、膝を濡らすのも気に留めずに。
……涙が治まるまで、話は一旦中断されることになったけれど、少しの後悔もわかなかった。




