04/神官見習いと大神殿の声
大神殿に到着した。大神殿はその名の通り、このアルセンシア王国内で一番大きな神殿だ。見上げるばかりの繊細で巨大な建造物は、他に並び立つものは王城以外にないだろうと言われている。装飾は、直接彫り込まれたレリーフだけで、色味はなく、全体的に真っ白なのに、どこか威厳が感じられる。
私は、直接見るのはこれで2度目。わたくしの頃は、行ったこともなかった。アタシはゲームの背景として何度か見ているけど、やっぱり直に見ると迫力が違う。
「…………」
思わず言葉も忘れて見入ってしまう。入り口だけでこれなのだから、流石のひと言だ。
礼拝堂の中に入ると、更に凄い。日本のゲーム会社の作った設定だからか、中は一般的にイメージするようなステンドグラスがはめ込まれている。そのデザインは、暁の女神アウローラの降臨をイメージしているらしく、淡いオレンジ色がベースになっていて華やかだ。
この世界に宗教は色々あるらしいけど、アルセンシア王国で多く信仰されているのが、大神殿でも掲げているアウローラ教である。ゲームで次第に明らかになる神様たちの事情と照らし合わせると、些か疑問になる信仰対象だけど、この世界で一般的に信じられている神話からすれば普通と言える。
簡単にまとめれば、アウローラは他の神様たちにとってのリーダー的存在で、最も力が強く、優しいと伝わっているのだ。反対に、アウローラの姉である黄昏の女神クレプスクロは、悪の女神と言われている。この世界で太陽が昇らなくなったのは、クレプスクロが妹アウローラに嫉妬して、彼女を眠りにつかせたせい、というエピソードの影響らしい。
けど、実際は前に説明した通り、神様たちは邪神を封印する為に、自ら望んで眠りについている。それはアウローラだって例外じゃない。だから、クレプスクロは悪いことなんてしていないのだ。
……ということは、実際にゲーム内で明記されている訳じゃないけど、他の明らかになった情報と比較すれば、自然とそういう答えになる。クレプスクロがゲームに登場しててくれれば、話は早いんだけどね。
少なくとも他の神様は、彼らを宿す人間と共に全員登場しているのに、クレプスクロだけはその守護者と共に謎に包まれたまま話は終わっている。展開から見れば、制作会社は多分、クレプスクロには色々設定を盛ってると思うんだけど……続編フラグなのかな。
「ご主人様……?」
「え? あ、ボーッとしちゃってた。平気よ、メア」
メアに声をかけられて、ハッと我に返る。今はテオドア問題についてだった。いけないいけない。私は苦笑すると、テオドアがいるだろう裏庭へと足を向ける。
折角来たんだから礼拝堂に行きたい気持ちもあるけど、今の時間帯は神様への祈りの時間。下手に足を踏み入れたら、讃美歌を歌ったりするイベントに巻き込まれて半日以上拘束される羽目になるからスルーで。
ただ、途中で横目にはするから、私はつい開け放たれた礼拝堂へ視線を向ける。
うーん、やっぱりキレイだ。続々と信徒たちが入室していくのも圧巻。何だか、妙に心惹かれてるんだよなぁ。
――……アウローラ。
「……2人とも、今何か言った?」
「いいえ、ぼくは何も……」
「俺も何も言ってませんよ。空耳では?」
「そう、かな」
……あと、非常に気にかかるのが、昨日から時折聞こえる、この空耳。2人の声じゃないのは十二分に承知しているけど、思わず尋ねてしまう。寧ろ、2人の声であって欲しいと思う私は、間違っているだろうか。だって、頭の奥に直接聞こえる幻聴なんて、絶対何かのフラグじゃない!
だんだんハッキリ聞こえるようになって来ているのも気になる。とは言え、一応その正体についての心当たりはあるんだけど……いや、あるから余計気になるんだよなぁ。
「今日は、もう戻ったらどうです?」
「ううん。昨日のあの子に会いたいの」
「ほう。お嬢さんが一目惚れと。これはツェルト様に報告しなくては」
「違うわよ!」
「はは」
……あと、ローウェンは私をからかうのをやめて頂きたい。一緒に来てくれること自体はね、心強いから良いんだけどね。気が休まらないんだよー!
「むぅ……って、あ!」
裏庭に差し掛かると、幾つか置かれたベンチの一つに、小さな人影が目に入る。
薄暗くて良く見えないけど、私はすぐにそれが目的のテオドアであると分かった。駆け寄りたくなる衝動を抑えて、私は慎重に2人に待機をお願いして、1人で彼の隣のベンチに向かった。
「あ……」
私が隣のベンチに腰掛けると、テオドアは私の存在に気付いたようだった。
驚いたように目を見開いて、それから慌てて視線をさ迷わせる。
私はそれを横目で見ながらも、ローウェンの提案を思い出す。
(変に声をかけようとしないで、ただ近くにいる……ねぇ?)
それでどうしてコミュニケーションが取れると言うのか。
引っ込み思案な人が、向こうから接触を試みてくれるとは思えないんだけどな。
私は首を傾げつつも、とりあえず辛抱強くテオドアのアクションを待つべく、持って来ていた本を開いた。
一日中薄暗い闇に包まれているこの世界では、ありとあらゆる場所に、暗い中で光る性質を持った石が設置されている。このひと気のない裏庭にも、街灯みたいなものから光が降り注いでいるので、本もちゃんと読める。
わたくしは、こんな世界に違和感を抱いたことはなかったみたいだけど、アタシの感覚からすれば、結構微妙な感じがする。こう一日中暗いと、気分も落ち込む。全身で太陽を拝みたいところだ。
「……はぁ」
思わずため息をつく。アタシの頃は、ゲームも好きだったけど、どちらかと言えばアウトドアなタイプだったから、太陽はお友達みたいな感じだった。
その太陽を、わたくしも私も、一度も拝んでいない。気も滅入るというものだ。
本のページをめくりつつも、全然内容が頭に入って来ない。別に、実際に読む為に持って来た訳じゃないから良いんだけど。
「……この本、そんなに面白くないのか?」
「えっ?」
もう一度溜息をつきそうな気持ちになった時、予想より近くで聞き覚えのない声が聞こえて来た。私は驚いて、声のした方へと顔を向ける。すると、さっきまで隣のベンチにいたテオドアが、ナチュラルに私の横に座って、手元の本を覗き込んでいた。
……Why?
「だから、この本。溜息つくほど面白くないのか? って聞いたんだけど」
目を瞬いて答えない私に、テオドアは不機嫌そうな顔でもう一度尋ねて来た。
いやいや、予想外なんですけど。人見知りじゃなかったの? 何、この急激な距離の詰め方。私、ついていけないよ! 内心でテンパるけど、折角の機会をみすみす逃す訳にはいかない。私はなるべく落ち着くように心掛けて答えた。
「う、ううん。この本は面白いよ。ただ、心配事があって」
「ふーん……」
「…………」
聞いておいて、この興味のなさそうな返事である。
テオドアは、すぐに私から視線を外して、再び私の手元に戻す。
「最初のページにしてよ」
「は?」
「だから、最初のページ。オレ、まだ読んでないし」
「はぁ……」
本当に、この距離の詰め方おかしくない? 私は完全に面食らって、思わずその俺様な命令に従った。最初のページに至ると、テオドアは打って変わって真剣な目つきになって、ジッと本を読み始める。私は、その横顔を見つめる。
淡い水色の髪は、ゲームの頃の怠惰な彼とは違って、きちんと手入れされていてサラサラだ。短く切られていると、その辺にいる普通の少年っぽくなりがちな気がするけど、テオドアの場合は清廉な印象を強めている。まだ幼い顔立ちは整っていて、オレンジ色の目は的確な位置で輝いている。パッと見た印象で、小学生だと思うような幼さだけど、流石の攻略対象は、やっぱり美しい。
思わず自分の顔を思い出す。乙女ゲームの登場人物だけあって、それなりに整っているけど、比較しようもない。世界って残酷ですね。
実際にゲームの頃の年齢になったら、さぞモテるのだろうと内心だけで軽い悪態をつくと、私は改めてテオドアについて考える。
ゲームのイベントでは、テオドアが本に食いつくような描写は一切なかった。あの頃にはもう、すっかり怠惰になっているから、そんな勉強のようなものは寧ろ嫌いな分類に入っていたはず。それが、この食いつきよう。もしかすると、母親を亡くすまでは結構読書家だったのだろうか。
だとすれば、今日本を持って来たのは正解だったのかもしれない。あとは……悔しいところではあるけど、ローウェンのお手柄かな。私じゃこうはいかなかった。未だに腑に落ちてないけど、現実として距離は縮まってるしね。物理的にだけど。
「……ねぇ。この本、良かったら貸そうか?」
「……何で? このまま読めば良いじゃないか」
これが、乙女ゲーム内のイベントだったら、私はニコニコして見守るところだけれど、自分の身に起きて欲しいことではない。声をかけても、視線を本から外さないテオドアの様子に苦笑を漏らしつつ、私は言葉を続けた。
「だって、読みづらいでしょう?」
そう聞くと、テオドアは顔を上げて、しばらく考え込むように視線を空へと向けた。たっぷり時間を使ってから、やがてテオドアは小首を傾げる。
「……良いの?」
「うん。後で返してくれれば良いわ。私はその時に読むから」
はい、と言って本を差し出すと、テオドアはそれを受け取るとページをめくり始めた。しかも、物凄いスピードで。
「……ううん。今返す」
「え?」
ペラペラ、なんてものじゃない。バババ! という効果音でも付きそうな勢いで、テオドアは次々にページをめくっていく。
私も、それなりに速読は出来る方だと思ってたけど、いくら何でも早すぎる。若干頬が引きつるのを感じながら、私はテオドアの様子を窺い続ける。
テオドアは、一切ペースを落とすことなく、バババ、と読み進め、さっき考え込んだ時間に少し足した程度の時間で本を閉じた。
「はい。ありがとう」
「え? よ、読み終わったの?」
「うん。面白かったよ」
「そ、そうなんだ……」
そして、何てことないとでも言いたげな表情で、私に本を返してくれた。片手でホイと差し出されたそれを、私はおぼつかない手つきで受け取った。
いやいや、これ、結構分厚いんだけど。何でたった数分で読み終われるの? 確認したい気持ちはあるけど、まだ読み終わってない私じゃ、確認のしようもない。
驚愕の面持ちでテオドアと本を交互に見ていると、テオドアはおもむろに立ち上がった。
「それじゃあね。バイバイ」
「え? あ、さ、さようなら……」
あとは、特に用事はないと言わんばかりの勢いで、テオドアは一度も振り返ることなく裏庭を後にしてしまった。私はそれを、呆然と見送る。
そして、1人立ち尽くしてから、ハッとした。
「……仲良くなれてなくない?」
一切何の進展もなかった。確かに、向こうから話しかけて来てはくれたけど、本貸しただけだ。
どうしよう。折角のチャンス、活かせなかった。ガックリと肩を落としていると、近くで待機していたローウェンが笑いながら近寄って来た。
「まぁまぁ、そう気を落とさないで。一歩前進じゃないですか」
「わ、分かってる! 別に落ち込んでないわ」
「そうですかね? 捨てられた子犬みたいな顔してましたよ、今」
「何が面白いのよ!」
ぷんぷん、と頬を膨らませていると、ローウェンはもっと楽しそうに笑った。失礼な男だ。それに引き換え、メアの紳士なことよ。何も言わないしね。……何も言わなさすぎだけどね。
「それで、今日は引き下がります?」
「何だか嫌な言い方ね。でも、そうね。また明日来てみるわ」
「おっ、諦めないんですね?」
「ええ。ポジティブシンキングが私の信条なの」
本当は、テオドアのお母様についての情報が得られれば、テオドアと仲良くなる必要はないんだろうけど、それはまた別の話だ。
仲良くなっておけば、ストーリーの進展についても、さりげなく情報を得られるだろうし、良いことばかりだ。……と言うか、あの様子だと仲良くならないと会話すらマトモに成立しなさそうだしね……。
――……ーナ。マ…………。
あと、大神殿に来ると聞こえる、この空耳ね。
空耳じゃないと思うんだけど、ああ、厄介だ。
私が眉間にしわを寄せると、メアが心配そうに首を傾げる。
「あの、ご主人様……具合、また、悪いですか?」
「ううん、大丈夫。ちょっと疲れただけだから」
「そう……ですか?」
また、というのは昨日来た時にも具合が悪くなったからだ。
ハッキリと空耳を聞いたのは、昨日が初めてだった。
知らない女の人の、美しい声。ゲームを通じても、聞き覚えのないその声の主に、私は1人だけ心当たりがある。……ただ、現時点では対処のしようがないから、スルーせざるを得ないんだよね。
大神殿に来ると聞こえるってことは、テオドアからの情報収集が済むまで、しばらく付き合わないといけないってことになるのか。そう考えると気が重いけど、頑張るしかない。下手に手を抜いて、将来世界が滅亡した、なんてことになったらショックなんてものじゃないもの。
――……アウローラ。…………。
アウローラ、だけやけにハッキリと聞こえるのは何なんだろう。いや、考えても分からないことは考えない。
「じゃあ、帰りましょうか」
「は、はい」
「了解です。車を呼んで来ますね」
空を見上げると、いつもと変わらない暗い色。
やっぱり太陽が恋しいな、なんて、私らしくもないことを思った。
私らしさ、なんて、分からないけれど。