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02/お父様とお散歩

「お父様」


 書斎に入ると、覇気のない目が私を見た。くたびれたサラリーマンみたいな雰囲気の、この男の人がツェルト・ルナリス男爵。私のお父様である。

 元々、遠慮がちで感情を表に出すのが苦手なお父様だけど、今は特にその傾向が強い。最愛のお母様を亡くしたばかりだから、仕方がないんだろうけど。

 私は、ジッとお父様を見つめる。


 ――ツェルト・ルナリス男爵。現在は29歳。ゲーム本編では、攻略対象者であるセリス・ルナリス男爵子息のルートでのみ登場するサブキャラだ。

 性格は、「アタシ」曰くは、無口で陰鬱な人嫌いと見せかけた不器用な子煩悩パパさん。「わたくし」曰くは、物静かで厳しいお父様。

 今現在の「私」は、礼子の判断が最も本質に近いと考えている。礼子のゲーム知識を、ミリアムの現実の記憶に照らし合わせた結果なので、結構正確だという自信がある。


 さっきは、お父様の性格を矯正! なんて強い言葉で表現したけど、実際やろうと思ってることは、カウンセリングに近い。最愛の妻を亡くして凹んでいるお父様に寄り添って、元気を出して、人付き合いを厭わないようになってもらうのだ。

 そうすれば、ゲームのような弊害は起こらないか、起きたとしても多少はマシになると思う。


 因みに、お父様が前より更に無口になってしまうことで起きる弊害とは、これから再婚して迎える義理の息子たちとの不和だ。それが、結果的に悪影響を及ぼす。

 簡単に言えば、それが原因によるセリスの行動によって、主要キャラクターが死ぬのである。これは、セリス・ルナリスのルートに入れば確定のイベントで、避けられない未来だ。

 この現実においては避けられるかもしれないけど……出来る限り、可能性は排除しておきたい。


 その為にも、是非ともお父様には元気になってもらわないと!

 やる気十分で考え事をしていたせいか、呼びかけて以降何も言わない私に、お父様が怪訝そうな表情を浮かべた。おっと、いけない。本題に入らないとね。


「お父様、よろしければわたくしとお散歩に出かけませんか?」

「散歩……? 他の者とではいけないのかい……?」


 やっぱり、相当気落ちしている。お父様は申し訳なさそうに視線を落としている。その頬はこけて、目元は赤い。「わたくし」の記憶の中では、一度も泣いてなかったお父様だけど、1人で泣いていたんだろう。

 子どもの立場から見れば、大人は大人で、泣くように見えないから、気付かなかったんだと思う。これに気付ければ、「わたくし」ももう少し生き易くなったかもしれないのにね。残念だね。


「わたくし、今は少しでも長くお父様と一緒にいたいのです」

「……ミリアム」

「……いけませんか?」


 距離を詰めて、そっとお父様の手を握って上目遣い&小首傾げ。必殺コンボと言っても過言ではないこの波状攻撃に、傷心中のお父様も流石に心動かされたようだ。まだまだ全然元気はないけど、口の端に少しばかり笑みが浮かんだ。


「……いや、分かったよ。少し出かけよう」

「ありがとうございます、お父様」


 私はそっと笑みを返した。

 よしよし、第一段階はこれでクリアだ。千里の道も一歩から。急いで確認したいフラグもたくさんあるけれど、急がば回れ。とにかく慎重に行こう。


「それでは、馬車を呼ぼうか」

「はい、お父様」


 そして、私とお父様は領地の町へと繰り出した。

 因みに治安は良いから、護衛の人を数人連れて行けば、領主やその家族であっても、割と気軽にお出かけ出来るのだ。我がルナリス領の自慢できるところの一つである。


□□□


(……まさか、ここまで平和とは……)


 町に下りるや否や、領館に引きこもっていた領主の姿を久しぶりに認めた領民たちが、こぞって集まって来た。誰もかれも、妻を亡くしたばかりである仁君たる領主様の心情を慮って、様々な温かい言葉をかけてくれる。

 治安が良い……というのは、「わたくし」の記憶からも分かってたけど、まさかここまでとは。思わず瞠目する。


「りょうしゅさま! これ、お花。げんきになってね!」

「……ああ、ありがとう……」


 まさか、と思ったのは私だけじゃなくて、好意を向けられた当の本人もだった。

 小さな子どもから、今摘んで来たばかりと思われる野花を手渡されたお父様は、何度も目を瞬いていた。

 でも、意外に思っているのは私たち親子だけみたいで、護衛さんたちも、したり顔で頷いている。


「姫様も、そう無理はなさらずに……」

「ええ、ええ。そうですよ。子どもなんですから、もっと泣いても良いんですからね!」

「え、ええ。ありがとう、皆さん……」


 呆然とする私に対しても、四方から気遣いの言葉をかけてくれる。

 おかしいな。「わたくし」は、そんなに町に下りたことはなかったはずなんだけどな。ボーっと困惑する私は、人々の波の向こうに見えた商店で、ミリアム・ルナリスの肖像画らしき商品を発見した。

 ……慰安みたいなことすらしたことない典型的な箱入りお嬢様だったけど、顔だけは知られていたようだ。そっくり。


「次はどこへ参られますか?」

「……そうね」


 一通りもみくちゃにされて、ようやく解放された私に、護衛の1人がそう尋ねて来た。視線を動かすと、お父様はまだもう少しかかりそうだと分かって、少し思考に耽る。

 正直、目的地がある訳じゃない。ただ、お父様の気が少しでも晴れれば儲けものだと思っていた。今日のところは、こうしてブラブラしてれば良いんだけど……少し垣間見えたお父様の表情は予想よりも随分明るい。

 これは……もう少し計画を前倒しにしても良いかな?


(確か、この時点でうちの領地に、薄紅の集団(クリムゾン・ドーン)の下っ端が紛れ込んでたはずよね……)


 薄紅の集団(クリムゾン・ドーン)は、主人公のシャーナを狙う一派だ。その正確な目的は、特定のルートでしか明かされないけど……現状としては敵対勢力と考えていて間違いない。排除しとくのが吉だ。

 「アタシ」としては、他人が聞いたらビックリするぐらい『ミスティック・イヴ』を箱推ししてて、その薄紅の集団(クリムゾン・ドーン)すら好きだったから少しためらいを覚えるんだけどね。キミたちのお陰で、貴重なシャーナたんの泣き顔が見れました。ありがとうございます。って思ってた覚えがある。

 けど、今の私からすれば厄介な問題を運んで来る面倒な奴らだ。排除排除。


(でも、奴らがいそうな路地裏って……どう連れてったら良いんだろう?)


 思わず護衛の人を見つめてしまう。年若そうだけど、厳つい顔つきのその人は、不思議そうに見つめ返す。

 彼が、何の指示もなく私に次の目的地を尋ねて来たのでも分かる通り、我がルナリス領は上下関係がかなり緩い。細かくない、と言い換えた方が分かりやすいかな。普通だったら、あんな感じで聞いて来たら免職ものだ。護衛はただ粛々と主の命令に従っていれば良いんだ! って感じのステレオタイプ貴族も結構いるしね。

 ……じゃない。そんな常識はどうでも良い。今は、怪しく思われずにお父様及び護衛の彼らを引き連れて、路地裏まで行くかだ。


 提案すれば、受け入れてはくれるだろうけど……変に思われるよね。

 全部ぶちまければ、頭のおかしい子だと思われて、下手したら治療院コースだ。しかも、1回入ったら一生出られないやつ。

 そんなことになったら、治療院内で世界崩壊を待たないといけなくなる。


(……ま、いっか。別に、出たとこ勝負でも)


 しばらく考えたところで、良い案が出せなかった私は、取り繕うのを諦めた。

 人生、なるようにしかならないものだ。気にしすぎてても仕方がない。

 そう決めた私は、お父様がようやく解放されたのを見計らって、それっぽい路地裏辺りへ向かうことにした。


「次は向こうの方へ行きたいですわ!」

「? あっちは、空き家しかないんだよ、ミリアム」

「行きたいのですわ!」

「そうか、そうか。分かったよ」


 お父様の腕を引っ張って、何とか薄紅の集団(クリムゾン・ドーン)がいそうな方向へ足を向ける。

 因みに、私は奴らの正確な潜伏先は知らない。ゲームのミリアムの話から、そう推察しただけだ。


「……なぁ、ミリアム」

「はい、何でしょうお父様?」


 私が、必死に薄紅のマントを探していると、お父様が静かに私を呼んだ。

 悲壮感の漂うものでも、緊迫感に溢れたものでもなかったから、薄紅探しは続けながら返事をする。

 やっぱり、しらみつぶし作戦に突入するにしては、ちょっと情報が足りなさすぎるかな。そんな風に思った時、繋いでいた手に、ギュッと力が入った。

 思わず足を止めて振り返ると、お父様が泣きそうな顔で、笑っていた。


「お、お父様? どうなさったのでしょう??」

「……私は、果報者だな」

「えっ?」


 一瞬驚いたけど、すぐにお父様が領民たちの話をしているのだと分かる。

 優しげに細められた目は、真っすぐに私を見ているけれど、その向こう側にいるのはさっきの領民たちなのだろう。


「温かい民たちがいて、頼りになる部下たちがいて……愛する娘がいる」

「……お父様」

「幸せ者だよ」


 掠れた声で呟くと、お父様の頬に一筋だけ涙が伝った。

 私は、それを見るとそっと私の手にも力を込めた。


 最愛の母を喪う経験は、「アタシ」のと合わせて「わたくし」で2度目。

 何でこう何度も経験しなくちゃいけないんだって、寧ろ怒りの方が湧いてきそうな私はともかく、普通はそんなに早く立ち直れないだろう。

 私だって、無理して立ち直ってもらわないと、とまでは思ってなかった。

 ゆっくり……せめて、ゲームの話が始まるまでに、立ち直ってもらえればってくらいに思ってた。


 だけど、遺された家族がどんなに嘆いていても、時間は進んで行く。否が応でも、物事は押し寄せて来る。

 しかもこの世界は、邪神による侵攻が控えている。何なら、今も裏でうごめいている。そんな世界で、のんびりと傷を癒していられない。

 それに、ゲームに登場したツェルト・ルナリス男爵は、その時に至っても尚、立ち直れていなかった。それが、様々な悪影響をもたらすのだ。

 だから、ただ事務的に考えれば、お父様にはすぐにでも立ち直ってもらわないといけないくらいだった。


「すまなかった、ミリアム。私のことは、もう心配しなくても良いから」

「心配致しますわ。わたくし、お父様の娘ですもの!」

「ふふ……ああ、そうだな」


 お父様の繋いでいない方の手が、柔らかく私の頭を撫でる。

 ……町に下りたのは、ただの気分転換のつもりだった。それが、まさかこんなにも良い影響を与えてくれるなんて。嬉しい誤算というものだ。

 傍から見れば、ご都合主義と揶揄されそうな展開に、私は思わず笑みをこぼす。

 理由なんてどうだって良い。みんなを幸せに出来れば、それで良い。それが私の望みなのだから。


「さて、もう少し歩こうか?」

「はいっ」


 私は満面の笑みを返して、勇んで再び歩き出す。

 まだ辛そうな顔ではあるけど、お父様はもう大丈夫だと思う。あとはそれこそ、時間が解決するだろう。領民さんたちグッジョブです。私は、頭の中だけで賞賛を送ると、きっちり思考を入れ替える。


(せっかくご都合主義的展開を引けたし、アジトも見つけられちゃったりしないかなー?)


 更にキョロキョロする私を、お父様は微笑ましそうに見下ろしている。

 殆ど町に下りたことのない女の子が、物珍しさから浮足立っているように見えることだろう。それなら、大丈夫だ。あの、厳めしい護衛さんだけ訝しげな顔してるけど、それはスルーだ。


「あら?」


 そんな感じで、領主一行のほのぼの町探索を進めていると、私はある空き家の前で足を止めた。


「何か見つけたのか、ミリアム?」

「ええ、お父様。ご覧くださいませ。こちらのお宅、空き家でしょうにお庭が大人気ですわ」

「これは……」


 その家は、空き家であることは明白なのに、庭の方へ転々と目新しい足跡が刻まれていた。

 より正確に言えば、その足跡は目立たないように踏みならされた様子である。

 でも、よっぽど慌てていたのか、消し切れていない。妙だ。


「井戸の方へ続いていますわ」

「……誰か」

「俺が行きましょう」


 厳めしい護衛さんが、他の護衛さんに私たちのことを頼むと、真剣な表情で井戸へ向かった。ゆっくりとした動きだけど、まとう空気は鋭い。もし井戸から凶手の1人でも出て来ようものなら、切り捨ててやろうという気概が感じられる。やがて、慎重な動きで井戸に張り付くと、そっと中を窺った。

 それから、危険はないと判断したのか、彼は私たちを呼んだ。


「お嬢様のお手柄ですね、ルナリス様」

「……よもや、私の膝元にこのような鼠が潜んでいるとは……」

「何ですの?」


 ひょいと、私も一緒になって井戸の中を覗き込むと、そこは井戸ではなかった。

 井戸の形状はしているけれど、明らかに隠し通路だ。地下には一定の広さの空間があるみたい。でも、だからと言ってすぐに鼠に結び付くものだろうか。私は、ここが奴らの潜伏先だという自信があるけど、その根拠はゲームだ。

 不思議に思って見上げると、お父様が頷いた。


「あのマークをご覧、ミリアム。あれは、長きに渡って我が国を蝕んで来た鼠……クリムゾンを示す紋章だ」

「クリムゾン……」

「ミリアムには、まだ少し早いかな」


 目を凝らすと、確かに中腹辺りに小さな紋章が刻まれていた。

 昇る太陽と、杯を図式化したような紋章だ。見覚えがある。あれは確かに薄紅の集団(クリムゾン・ドーン)を表すものだ。


「我らが近付いて来たのを悟って、逃亡したようですね」

「これ程あからさまに逃げるとは……尻尾しかいなかったようだな」

「調べて来ます」

「頼む」


 何人かの護衛が井戸の中へと入っていく。そのまま彼らが簡単な調査を行ったらしく、戻って来ると最早もぬけの殻だった、との報告をしてくれた。

 狡猾な奴らは、もう二度とここには戻らないだろう、とのことだったけど、私としては十分な成果だ。

 何しろ、場合によっては奴らを放置してたとみなされて、主人公のシャーナから嫌疑をかけられることもあるのだ。戻って来ないに越したことはない。


「直接奴らに繋がるようなものは残っていませんでしたが……裏で取引していた商品は幾つか回収出来そうですよ」

「なるほどな……。詳しい調査は後ほど。まずは屋敷へ戻ろう」

「その前に、少々よろしいでしょうか?」


 それにしても、薄紅の集団(クリムゾン・ドーン)って、一般的には「クリムゾン」って呼ばれてたのか。アルセンシア王国で暗躍してたとは言ってたけど、アタシの記憶では、その辺についての描写はなかったもんな。

 私は、簡易的な報告を横目に、これからについて考えていた。今日は想定以上の成果を得られたからのんびり過ごしても良さそうなものだけど、期限を考えるとマズイ事件もある。

 薄紅の集団(クリムゾン・ドーン)の動きも気にかかるし、邪神の方も心配だ。早く動くに越したことはないだろう。


「こちらの少年なんですが、ルナリス様に引き取って頂けないでしょうか?」

「何? 私にか」

「はい。裏オークションにかけられていた奴隷のようですが……この見目では、下手なところにやったら却って問題になりましょう」

「ふむ……そうだな……」


 奴隷?

 生で聞くことなんてなかったファンタジー単語に、私は思わず反応する。

 バッと勢い良く連れて来られた奴隷の子へ視線をやって、今度は固まった。


「う……あ……」


 衆目に晒されて恐怖しているのだろう。真っ青な顔。その髪は荒れ放題だけれど、隠しきれない少しの不純もない白。戸惑いに揺れる真っ赤な目。

 確かに、この見た目はダメだ。アルセンシア王国において、真っ白い髪と真っ赤な目は、レア中のレア。世間知らずな「わたくし」でさえ、そんな人が裏で取引されているという噂を聞いたことがあるくらいだ。


 ……でも、そんなことはどうでも良い。

 私はただ、その少年(多分)の美しさに、目を奪われていた。

 攻略対象者なんて目じゃない。天使の如き容貌。

 私は、対応に悩むお父様の手を、思い切り引っ張った。


「お父様! 連れて帰りましょう! わたくしの側仕えにするのです!」

「え? 気に入ったのかい、ミリアム?」

「わたくしの側仕えにするのですっ!」


 この衝動は何だろう。私のでも、わたくしのでもない。多分、アタシの衝動だ。

 萌えとか、尊いとか、アタシの声が幻聴で聞こえてきそうだ。

 ……いや。そもそも、私はみんなまとめて幸せにすることを決めているのだ。

 だからきっと、彼を保護したいと思うのも、私の望みだ。


「私、ミリアム・ルナリス。貴方の名前は?」


 勢いに任せて少年に駆け寄る私は、気付いていなかった。

 周囲から、思い切り温かい目で見られていたことに。あはは。……はぁ。

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