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17/父と娘

「ミリアム。お前は、本当に、我が娘の、ミリアム・ルナリスなのか?」


 お父様から向けられたその問いは、私が、「私」になってからずっと抱いていた疑問だった。


 私は、アタシではなく、わたくしではない。

 私は、アタシで、わたくしだ。


 未だに、答えは出ていない。

 お父様が聞きたいのは、そういうことではないと、すぐに気づいた。

 けれど、だからと言って気持ちの整理がなかなか付けられるような話じゃない。

 私は、ただ顔色を取り繕うのに必死だった。


「……それは、どういう意味なのでしょうか」


 何とか絞り出した言葉は、自分でも思った以上に震えていて、情けないと、反射的に思った。隠しきれない振動を聞き取ったからか、お父様の顔が歪む。

 お父様は、私を嫌っている訳ではない。そういう人ではない。知っている。分かっている。私になってから、それなりの時間を過ごして来たのだから。わたくしじゃなくても、分かる。


「すまない。ミリアムの気持ちを傷付ける言い方だというのは分かっている。けれど……それでも敢えて聞かせて欲しい」

「……それは、お父様が、今こうして話しているわたくしが……悪の女神だと、疑っているからでしょうか?」


 少しの沈黙。


 お父様は、私が既に、クレプスクロに身体の主導権を奪われているのではないかと、危惧しているのだ。若干の間で、私は何とかそれだけを理解した。

 お父様は決して、私の中のアタシと、わたくしに気付いた訳ではない。けれど、お父様が何か思うところがあったとすれば、確実に、アタシの記憶が戻ったあの後。そこしかない。

 無理やり吊り上げた口元が、きっと痛々しいんだろう。今度はお父様の目が哀し気に下がった。


「……その通りだ」


 同意する声だけが、響く。

 私は、私という個を認めてもらえないことの辛さを、妙に強く感じていた。


 ……どうせ、お父様にとっての本当の娘じゃないくせに。偽物のくせに。

 私の中で、私が囁く。でも、だからこそ、幸せにしたい。

 みんなを、幸せにしないといけないのだ。私が。


「わたくしは……私は、ミリアムですよお父様」

「本当に?」

「他に、何と答えれば良いのでしょうか。わたくしには……分かりません」

「……あの、」


 とても親子のものとは思えない会話に、そっと口が挟まれる。

 それは、混乱した様子のギランだった。


「何で、そう思うんですか? ミリアムは……普通に見えますけど……」

「そっ、そうですわ。やさしいお姉さまが、そんな、悪い人だなんて、そんなこと」


 ララも続けて、不安そうに震えながらも援護してくれた。

 2人の優しさが嬉しくて、少し苦しい。


「それは……」

「……ここ1年くらいのお嬢さんの行動が、おかしいからですよ」

「ローウェン!」


 ローウェンが、言い淀んだお父様の言葉を継いだ。

 お父様は責めるようにローウェンを振り返った。私も彼に視線をやると、ローウェンは静かに笑っていた。


「ツェルト様は言い辛いでしょう。俺が代わりますよ」

「しかし……」

「なに。嫌われ役は慣れてるもんでね」

「…………」


 醸し出す静かな迫力にか、それとも抱えた思いを察したからか、お父様はそれ以上何も言わなかった。ただ、気まずそうに俯く。

 私は逆に顔を上げて、真っすぐローウェンを見た。


「お嬢さんは1年ほど前、俺たちが血眼になっても見つけることが出来なかった、とある組織のアジトの一つを発見しましたよね」

「……え?」


 薄紅の集団(クリムゾン・ドーン)のアジトだ。あれは、ただ別に空き家の一つの井戸にあっただけだから、言うほどのことじゃないと思う。

 血眼になって? どういうことだろう。首を傾げる私に、ローウェンは続ける。


「あれ、相当高等な魔法によって隠蔽されてたんですよ。お嬢さんは、それと気づかずに看破した。魔法を習ってもいないただの女の子に出来ることじゃない」

「!」


 まさか。ハッと息をのむ。

 あの時、足跡の一つすら消したりしてないで、隠れているつもりなのかしらと思った記憶があるけど、あれは消す必要がなかった、ということだった?

 あの時点ではまだパトラは目覚めていなかったけど、無意識のうちに何らかの影響を受けていたのだとしたら。

 ……そりゃ、おかしいと思うよ。


「次に、それまで一度も興味を示したことのない大神殿へ通い始めた。それだけなら、まぁ信仰心に目覚めたということで説明はつきますが、お嬢さんはただあそこの神官長の息子に会いに行ってただけですよね」

「……ええ」

「あそこの神官長の一族も関係者です。何らかの関係があると考えても、おかしくないですよね?」


 おかしくない。寧ろ、そう考えるのが自然だ。

 私、無意識にお父様が私を疑うスイッチを踏みまくってたのか。

 唇を噛み締めたいけど、表情を歪めたら負けのように思って、私は耐える。


「それで、今度はこの里を探し出したでしょう? 書庫の本を読み漁ったり。あれ、完全にこの里のことだって、俺すぐピンと来ましたよ。だから、ツェルト様に誘って頂くことにして、どう出るかなーと確認してもらったんですよ」

「……そう」


 私は確かに、調べものをしていた。護衛として一緒に来ていたローウェンなら、見ればすぐ分かったのだろう。

 ローウェンは、お父様の騎士だ。私の騎士じゃない。専属護衛だって、今も(仮)は取れていない。きっとこれからも、付いたままだろう。

 ううん。これからも、一緒にいられるのなら、だけど。


「極めつけは、昨日のアレ。普通有り得ないですよ。邪神殴り飛ばして爆散とか」

「…………」


 本当に爆散したかは知らないけど。そんなことはどうでも良い。

 問題は、それだけ私が私でないのではないかと疑うに足るだけの根拠がある、ということだ。


「それなら、わたくしがどう申し上げても、お父様は信じてくださらないということですよね……?」

「いや、そういうことではなく……」

「……良いのです。私はきっと、誰かにとっての何者にも、なれない……」


 パトラは……クレプスクロは、悪い神じゃない。

 彼女が記憶を取り戻していない今、私がどれだけ通訳したところで、信じてもらうことは出来ないだろう。

 私だって、パトラを信じる根拠はゲームに出て来た弟妹神の言葉と、こうして今関わっている彼女の様子だけなのだ。

 私がパトラを信じているのは、信じたいから。

 でも、ずっと恐ろしいものとして追い出したいと考え続けていたお父様に、そんなことを求めるのは不可能だ。


 ……それでも、お父様にだけは疑って欲しくなかったと、私は私だと信じていて欲しかったと、そう思うのは、きっと、ワガママなのだろう。


『ミリアム……どうやら妾のせいで、厄介なことに巻き込んでしまったようじゃの……すまぬ』


 パトラが申し訳なさそうに私の周囲をウロウロする。

 私以外に姿も見えず、声も聞こえないパトラでは、私が私だと証明することは出来ない。

 心配してくれているその感覚を、嬉しいと感じる私は、やっぱり、ワガママだ。


「――友だちだ!!」


 …………。


 俯いてしまった私に、勢いの良い声が届いた。

 顔を上げる。エルガーが、真っすぐに私を見ていた。


「ミリアムは、オレの、友だちだ! それじゃ、ダメなのか!?」


 どう答えたら良いのか分からなくて、どんな顔をしたら良いのか分からなくて、私は数度目を瞬いた。

 エルガーは、痺れを切らしたように口を引き結んで、大股で歩み寄って来た。

 私の席の横まで来ると、ギュッと、私の手を握った。


「オレ、昨日迷惑かけちゃったみたいだし、すげー顔合わせづらかったんだけど、それでもさ、自分が誰かは知ってるよ!」

「エルガー……」

「そうだ。オレは、エルガー! テッキ村のエルガーだ。ミリアムは? 違うのか? オレの友だちのミリアムじゃ、いけないのか?」


 息が止まる。

 キラキラとした茶色い目が今見ているのは、「私」だ。

 アタシじゃない。わたくしじゃない。


「私は……」

「オレ、昨日のこと何となくしか覚えてないけどさ、ミリアムがオレともう友だちだって言ってくれたのは覚えてる。オレ、すげー嬉しかったんだ。そう言ってくれたのは、今ここにいるミリアムだろ?」


 そう。昨日、私はそう言った。

 私が言った。パトラじゃない。


「……うん。私だよ」

「なら、良いじゃん。そんな顔すんなよ。自信持って自分がミリアムだって言えよ! そんな不安そうな顔するから、ツェルトおじさんが不安になっちゃうんだろ!」

「……そっか」


 ニカッと、心配しないで良いよって言って、シャーナに笑いかけたエルガーの面影が透ける、今のエルガーの笑顔。

 その温もりは、今、真っすぐに私に向かっている。

 そう思うと、急にストンと感情の置き場所が見つかった気がした。


「私……私が、ミリアムだよ。他の誰でもない。ミリアム・ルナリスだよ!」

「おうっ!」


 キュッと握られた手に力を入れると、エルガーは嬉しそうにもっと力を入れた。

 少し痛いけど、寧ろ私がここにいて良いのだと、教えてくれてる気がして、とても、嬉しかった。

 はらはらと、涙がこぼれた。


「わ、わたくしだってお姉さまのお友だちですわ!」

「……俺も、友だちで良いんだよな? ミリアム」

「ララ……ギラン……」


 涙が止められない。笑顔を取り繕うことも出来ない。

 この3人は、「私」が知り合った人たちだからだろうか。

 慕わしく感じてくれたのなら、それは、「私」が得た財産だ。

 それが堪らなく嬉しい。


「――ミリアム」


 お父様が、私を呼ぶ。「ミリアム」と、呼んだ。

 私は顔を上げる。まだ涙は零れていたけど、視線を逸らそうとは思わなかった。

 そして、お父様の顔を見て驚いた。

 誰だと問われた私よりも、ずっと傷ついたような顔をしていたから。


「お父様?」

「……すまない。本当に……私は、父親失格だな……どうして、こんな言い方しか出来ないのか……」

「いやいや、言い方が悪いのは俺ですから。まったくこの親子は物事を重く受け止めすぎるんだから、まったく……」

「ローウェン?」


 肩を落とすお父様に、ローウェンは優しくポンポンと背中を叩いてあげながら、私の方を見た。その表情は、さっきまでの淡々と事実を説明する雰囲気と違って、いつものローウェンのように見えた。


「そっくりですよ、アンタらは。安心してください。ちゃーんと、親子ですよ!」

「っ……」


 ローウェンの言葉に、お父様も涙をにじませた。決して泣くまいと唇を噛み締める姿は、何となく、私を見ているような気がした。


『……ほんに、不器用な子らじゃ……』


 パトラが、懐かしいものを見たように呟いた。

 慈しみに満ちた言葉を聞いて、私は更に泣いてしまった。


「賢いお嬢さんなら分かってると思いますけど、今まで挙げた事例ってのはお嬢さんを疑うに足る証拠です。でも、挙がっても挙がっても、ツェルト様は否定する材料を必死に探してました。そして……昨日の説明のつかないあれやこれやらを見ても、やっぱり信じていましたよ。ツェルト様は」

「お父様……」


 まったく甘い人だ、と言うローウェンの眼差しもどこか優しい。


「……最初から、お嬢さんのことを疑っちゃいない。ただ、色んな物事に携わってしまった者の責任として、自分で確認しなくてはならないと思っただけなんですよ」


 そもそも本当に疑ってたら最初から話し合いの場なんて設けないで不意打ちですよ、と茶化すローウェン。神様相手に、不意打ちしたところで意味ないんじゃないかな、なんて思いながら、私は涙を拭った。


「私は……本当は、子を成すつもりはなかったんだ」

「え……?」

「この人はまた……誤解されるような話をこれ以上……」

「……良いんだ、止めないでくれローウェン」

「……ツェルト様」


 お父様が、痛々しい表情で落とすように呟く。

 それをローウェンは止めようとしていたけど、お父様は続けた。


「私は、昔から周囲を不幸にする。家族は早逝。友は頻繁に怪我を負い、治める土地は災害が多かった」


 そうだろうか。わたくしの記憶でも、そんな覚えはないけれど。

 訝しげな私の視線に気付いたのか、お父様は哀しそうに眉を下げた。


「妻と……お前の母と出会うまでは」

「お母様……?」


 私のお母様。私が、私になる直前に亡くなってしまったルナリス夫人。

 貴族の女性らしからぬ、とても明るくて、おしゃべりで、気さくな人だったと記憶している。わたくしは、そんなお母様が大好きだった。


「私は、呪われた定めは全て、悪の女神をこの身に封じているが故だ。人柱は、子を成した時にその子へと受け継がれる。だから私は、決して子を作ってはならないと思っていた」

「お父様……」

「けれど、彼女は明るく言った。「そんなのどうだって良いわ!」とな」


 そうして、私が……わたくしが、生まれた。


「彼女が我が家へ来て以来、周囲で不幸なことは起こらなくなった。私は、彼女がいれば何でも出来るのだと、幸せになれるのだと信じていた。しかし――彼女は亡くなってしまった」


 鎮痛な面持ちで、お父様は呟く。

 掠れた声は、引きこもって居たあの日を思い起こさせて、私は、まだ握っていたエルガーの手に縋るように力を込めた。

 エルガーは嫌そうな顔一つせずに、握り続けていてくれた。


「そして、それ以降ミリアムの不可思議な行動が目立ち始めた……」


 ……ごめんなさい。それは確かに不安になるわ。

 タイミングが悪すぎる。私は顔をしかめた。


「私が、私自身の手で解決しなくては残されたミリアムを守れないと思った。だから、私は女神を滅する方法探しを再開した」

「……それで、この村に」

「その通りだ」


 深く頷いたお父様の目に、もう涙はなかった。

 決意に満ちたような目。私も、同じような目を出来ているだろうか。


「ミリアム」

「はい」

「私は、お前に辛い思いをさせた。父親失格だ。それでも……まだ、父と呼んでくれるだろうか?」


 思うところが、完全に消えた訳ではないのだ。

 お父様は、私のじゃなくて、わたくしのなんじゃないかって。

 でも、アタシが言うんだ。そんな細かいことなんてどうでも良いって。

 ただ好きで、一緒にいたくて、幸せにしたくて、そう思えたらその人は確かに家族なんだって。


「勿論です、お父様!」

「ミリアム!」


 その後、私とお父様は抱き合って泣いた。

 話し合いは中断になってしまったけど、これもきっと大切な時間だ。

 それに、こうして泣くのは、これで最後だから。


(もう誰も泣かせない。幸せにしたい……私が)


 この夢はきっと、もう縋る為のものじゃない。

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