15表/友だちになろう
前話のミリアム視点です。
本来、邪神の悪影響を受けることになるのはギランだった。
本来、邪神の悪影響を受けることになるのはもっと後のタイミングだった。
本来、邪神の悪影響を受けることになるのは複雑な嫉妬心からだった。
私の知る本筋から逸れ、想定外に化け物みたいになってしまったエルガーを見つめながら、私は必死で頭を回転させていた。
今はそんなことを考えている場合じゃないのに、どうしても、私がいなければ良かったんじゃないか、っていう考えが消せない。
「グ……ルナ……」
私と同じくらいの小さな身体を小刻みに震わせて、内臓に響くような二、三重にくぐもって聞こえるエルガーの声を聞くと、苦しくなる。
ギランがこうなってしまえば良かったと思う訳じゃない。
だけどどうしても、本当ならこんな目に遭わなかったはずのエルガーが辛い思いをしているのを見るのは、悲しかった。
「エルガー! 正気に戻れ! 自分を強く持つんだ!!」
ギランも、何か思うところがあるのか、どこか自分を責めるような表情で、必死にエルガーへと呼びかける。
今のエルガーは誰が誰なのか認識さえしていないようで、ただただ周囲を拒絶していた。漆黒の剣と化した右腕は、適当に振り回されているように見えて、しかしギランも、ローウェンも、騎士たちも、その間合いに入ることをためらう程の鋭さを持っていた。
「オレニ……チカヅクナァアア!!」
――ガキィンッ!!
「くっ!」
「大丈夫か、ギラン!?」
「も……もの凄い、力だ……!!」
最も距離を詰めていたギランが、その剣がぶつかりそうになった瞬間、自らの真剣を当てて距離を離した。
離したというよりも、吹き飛ばされたという表現の方が正しいように見えるけど、体勢自体は崩していないから、ギランの意図するところだったはずだ。
でも、エルガーの力は想定を上回っていたようで、ギランは苦し気に頬をひきつらせ、またその手は少し痺れたのか、遠目でも分かる程度に震えていた。
けれど、ギランはすぐに震えを止めて、改めて剣を構え直す。
『――――』
誰の声? 緊張感の走るやり取りの中、時折、聞き覚えのない声が聞こえる気がして、私は目を細めた。
絶望を丸ごと圧縮して固めたように重くて、黒くて、深い声。
その声が何を言っているのかまでは分からないけれど、聞こえる度にパトラが顔を歪ませ、エルガーの身体から立ち上る湯気は量を増した。
『……何なのじゃ、この既視感は。妾は、あやつを知っておるというのか?』
「パトラ?」
『……思い出せぬ。喉元まで出かかっておるというに……このポンコツ頭めが!』
熱に浮かされたようにブツブツと呟くパトラは、私の呼びかけにも気付かずに自らの頭を叩いている。それで思い出せるなら苦労はしないと思うんだけど、聞こえないみたいなのでとりあえずそっとしておこう。
内容の真剣さはさておき、神の如き美しさを誇る妖艶な美女が、自分の頭をポカポカ叩く様はコミカルで、何だか笑ってしまう。結果として、頭が冷えたのを感じた私は、内心でパトラにお礼を言っておいた。
そうだよね。自分を責めるのは後の話だ。今は、とにかくエルガーを救い出す方法を考えるんだから。
「おいっ、エル坊! 俺は分かるか!? 返事しやがれ!」
「ローウェン先輩、地が出てます!」
「うっせぇ! 今それどころじゃねぇだろ!?」
他の同僚の騎士たちと連携しながら、エルガーの激しい猛攻の隙間を縫って距離を詰めては怒鳴りつけるローウェン。とても口が悪いけど、今だけは見なかった振りをしておこう。
出会ってから今日まで、ルナリス家ご一行の中で一番エルガーと話していたのはローウェンだった。彼の叫びだったらもしかして、と思ったけど、エルガーが正気に返る様子はない。
「イ……ヤ……ダ! ク……ル、ナ!!」
「うおっ!?」
悲鳴のような叫びをあげると、エルガーの攻撃の速度がまた上がった。
ローウェンはギョッとしたように変な声を上げると、いつもの軽やかな感じじゃなくて、どこか不格好な感じで急激に距離を開けた。
さっきまでローウェンが立っていた場所に、エルガーの剣になっていない方の左手による殴打がぶつかり、大きく地面が抉られた。
パラパラと土の欠片が散らばり、顔に当たるのを防ごうとローウェンが腕を上げかけた時、エルガーが何の予兆もなくローウェンに迫った。
「おいおい、マジかよ!? 冗談じゃない!!」
悪態をつきながらも、ローウェンは身体を半分ほど捻り片足で立って重心が移動中、というとても不自然な姿勢から、無理やり剣を振った。
その剣は、見事にエルガーの振るった剣とぶつかる。一瞬だけ力比べをするように噛み合うと、互いに剣を振り抜き距離が開いた。
今度は、エルガーの追撃はなかった。けれど、いつもエルガーとの手合わせでも息を乱さないローウェンの肩が大きく上下している。息が乱れたのだろうか。
――ギ、ギリリ……ガッ!!
「あーくそっ! いつも厄介なクソガキだと思ってたが……やべぇぞ、今のコイツ!!」
……そんなこと思ってたのか。
余裕がないせいか、いつもよりも本音がポロポロ漏れているローウェン。
何事もない時だったら、呆れて溜息の一つでもついているところだ。
「ローウェン!!」
少し離れたところで様子を窺っていたギランが、ローウェンの様子を見て焦ったのか駆け寄りかけて、すぐにローウェンに視線だけで止められた。
「おいコラ、ギラン! お前も甘っちょろいこと考えてっとマジで死ぬぞ!!」
「わ……分かっている!」
実際、ローウェンが止めなければ危なかった。エルガーは、本当に見境がなくなっているんだろう。ギランにも躊躇なく剣や拳で攻撃を繰り出していく。
ギランは、そんな攻撃を何度も受けられないと判断したのか、さっきからとにかく避けることに注力しているようだった。そして、多分その判断は正しい。だって、エルガーの攻撃に、ギランはもうついていけなくなっているようだから。
「エルガーお兄さま! どうか、もうお鎮まりください!!」
苦しそうな兄を見ていられないんだろう。私の腕に縋りついていたララが、泣きながら駆け寄ろうとしてしまう。
私は慌てて追いかける。今近付いたら、確実に殺されてしまう。エルガーに妹殺しなんてさせる訳にはいかない。
そんな、ゲームと同じような悲劇、私がいる限り絶対に許さないから。
「ララ! 危ないから私と一緒にいて!」
「お兄さまぁ!!」
「何をしているのです、ララ! 最後に封じることが出来るのは、私と貴女だけなのですよ! 落ち着きなさい!」
「ですが、おばあ様!!」
――ギン! ギィンギィン!!
何とか、ローウェンが斬り合う場所よりも手前でララを引き留めることに成功した。背中から抱き締めるように捕まえて、何とかそこから下がろうとする。
ララだって、危険性は分かっているんだろうけど、ただ見ているだけなのも辛いんだろう。
『むっ!? 何をしておる、ミリアム! 早う下がるのじゃ!』
「えっ」
パトラの空気を裂くような忠告に、私はハッと息をのむ。
反射的にララを引く全身に力を込めたけど、ララの足が動かない。非力な私じゃ、ララが自分から歩こうとしてくれないと、下がれない!
焦る私は、ピリピリとこちらに迫る圧を感じて、更に焦りを募らせる。
これは……エルガーに、見られている? 早く……早くしなきゃ……!!
「あっ!? お嬢さん、そこは危ない!!」
「っ、ララ! 後ろに下がって!!」
「み、ミリアムお姉さま!?」
慌てて声を荒らげると、ララはそこでようやく私の存在に気付いたようだった。
でも、遅い。今から下がろうとしても、物凄い速度で距離を詰めて来るエルガーからは逃れられない。
斬り合っていたローウェンも、この距離感では恐らく間に合わない。
ひどく冷静に、私の頭は私の終わりをはじき出した。
そして、自然な動きでララを私の後ろへと引き倒す。普通ならやらないけど、今は生きるか死ぬかだ。多少のかすり傷は許して欲しい。
「きゃっ!」
可愛らしい悲鳴と、ララが倒れる音が聞こえた。
だけど私は振り向かない。
真っ直ぐに、迫り来るエルガーを見据えた。
――殺されるかもしれない。
そう思うと、否が応でもアタシの最期が思い起こされる。斬り殺された訳でも、ましてや食い殺された訳でもないけど、苦しくて、辛くて、最悪な最期だった。
死ぬのは嫌だ。怖い。でもそれ以上に、目を逸らすのが怖い。
私が、私としてこの場にあるのは、何の為だと己に喝を入れて。私は、思い切り息を吸い込んだ。
……そして、叫ぶ。
「エルガァアアーー!!」
全精力で、呼びかける。
私は、ただの便利キャラ。ヒロインでもなければ、主要キャラクターでもない。
サブキャラクターの欄では一番上を張っているけど、他の令嬢たちに存在感を食われるレベルの、他愛のない存在だ。
私に、何が出来るとも思えない。
ただ、私はエルガーなら聞こえてくれると信じていた。
信じられるエルガーは、今目の前にいるエルガーじゃなくて、未来の彼。
だけど、同じエルガーだと、この時ばかりは信じた。
茶目っ気があって、面倒見が良くて、兄貴分なエルガー。
いつも明るく笑っているのに、時々どこか遠くを見つめるエルガー。
村が好きだ。村の皆が好きだ。祖父が好きだ。祖母が好きだ。父が好きだ。母が好きだ。妹が好きだ。
失ってもなお、大切な者たちは心の中に生きているのだと言うエルガー。
兄が憎い。でも、それ以上に大好きで。
仇だと分かっていても、殺せない。殺したくない。殺さない。
甘さからじゃなくて、きっとそれは強さから、向き合う覚悟を決められるエルガー。
同じエルガーだ。そんなことを言うエルガーが、家族を傷付けることを良しとするはずがない。
私が呼びかけるからじゃない。家族思いのエルガーだから、大丈夫だ。目前にまでその剣が迫っても、私はその風圧を目に直接感じながら、見開き続けた。
『ミリアム! この大馬鹿者! 何故逃げぬのじゃ!?』
ごめんね、パトラ。私、後でちゃんと謝るから。
私は、じっと化け物になっても、同じ色をした目を見る。
その目は、ひどく不安そうに揺らいでいた。
「っ……」
――ピタリ。
「私は良いけど、ララを傷付けたら後悔するからね!!」
……最悪、私は殺されるかもしれない。それでも負けるもんかと強がりで叫んだのと同時に、エルガーの剣が止まった。
ひらりと、自分の前髪が切れて落ちていくのが見えて、冷や汗が流れる。
あははは。真面目に死ぬところだったよ。セーフだよねセーフ。
私は、このまま何か言わないと倒れてしまいそうだと思って、痩せ我慢の一環で怒鳴った。
「聞いてるの、エルガー!?」
いや、これ普通に私は死ぬヤツだよね。
イキり過ぎて、最初に幽霊とかに呪い殺されるヤツだよね。B級映画とかで。
イヤな想像に、変な笑いを漏らしそうになるのを我慢していると、エルガーがぶるっと震えた。
「ミ……リ……ア……ム……」
一体何だと内心ビクついていたら、意外にもエルガーは途切れ途切れではあったけど、確かに私の名前を呼んだ。私は驚いて目を丸くする。
「エルガー!?」
一瞬気のせいかもしれないという考えが頭をよぎった。
だけど、それを打ち消すように、エルガーは再び私を呼ぶ。
「ミリ……アム……」
「うん、私だよエルガー。分かる?」
何だか、寂しげな声だ。胸が締め付けられる。
私は、ヒロインじゃないから。本当だったら、シャーナの方が相応しいシチュエーションだと思う。でも、ここにいるのは――私だ。
「ミ……リ……アグ……グァアアア!!!」
あっ、でもやっぱり殺されるかもしれない。
頭を抱えて唸り出したエルガーに、私は後ずさる。
そんな私を見ていたのか、更に空気のピリピリする感じが強くなった。
あれ、もしかして怒ってない??
「お嬢さん、そのまま動くんじゃねぇぞ!!」
「っエルガー!!」
「キエロ!! キエロ!! オレノマエカライナクナレ!!!」
思わず私も呼びかけたけど、今度のエルガーに躊躇いはなさそうだった。
勢いをつけるように半身を引いて、剣の切っ先が遠ざかる。
これ、逆に危ないヤツだ。サッと血の気が引いた直後、ローウェンが私とエルガーの間に滑り込んで来て、器用に私とララを拾い上げてその場を退いた。
――ガガガガガッ!!!
「チッ、ギリギリかい!」
ローウェンが舌打ちするけど、ギリギリだろうが何だろうが、避けられれば僥倖というものだ。
私は、エルガーの剣によって深く斬り付けられた地面の抉れた跡を見て、ヒュッと息を飲み込んだ。
それから、何とか落ち着こうと深呼吸をしようとして咳き込みかけつつ、とりあえずの平静さを取り戻すと、ローウェンに問いかけた。
「ローウェン、大丈夫?」
「俺は平気なんで、アンタはララ連れて下がっててください」
言われなくともそのつもりだ。
怖くないよ、なんてヒロインにしか言えないセリフだ。私は怖い。
三十六計逃げるに如かず。至言だろう。
「分かってる! ほら、ララ行こう」
「……かしこまりましたわ……」
ララの手を引いて、急いでその場から距離を取る。
無理無理。マジで無理。剣の修行をしたって言っても、たった数日じゃ所詮子どものお遊びみたいなもの。成長すら感じないものを根拠に、今のエルガーの前に立てる訳がない。
……でも、遠ざかるはずの私の背中に、視線だろうか。何かが集中する。
私は、そうっと目線だけ後ろに向ける。
そして、そこに迫る現実に、目を見張った。
――何でついて来てるの!?
「ミリアム! ミリアム!! ミリアム!!!」
「へっ?」
「なっ、何でお嬢さんに向かって来る!? くっそ!!」
まったくもって意味が分からないけど、私が左右に逸れようとすると、それに合わせるようにしてエルガーの身体も揺れる。ダメだ。ローウェンたちが止めようと攻撃をしてくれてるけど、まったく意に介していない。
エルガーの目は、間違いなく私を見ている。私を。
そう気づいた瞬間、私はララから手を離した。
「ミリアムお姉さま!? どうして……」
「ララはおばあさんのところに! 私は平気だから!!」
思った通り、エルガーはララに目もくれない。真っ直ぐ私に向かって来る。
そうだよね。エルガーは一途キャラだもんね。いや、攻略対象者はみんな大体一途なんだけどね。
そんな、何の慰めにもならない冗談を考えながら、私は必死で足を動かす。
前へ、前へ。とにかく、前へ。
「ガアアアア!!」
「っ、伝承によれば、この状態にまで堕ちると、己の欲望にのみ従うようになるそうです! ミリアムさん、気を付けて! あの子は……エルガーは、貴女に執着しているはずなのです!」
「ええっ!? な、何でですか!? そんなに仲良くなった覚えはないんですが!?」
言われてみれば、正気を失ったギランはエルガーを執拗に追いかけ回していたらしい。あれはきっと、村で最後の生き残りだからというだけじゃなくて、エルガー自身への執着が理由だったんだろう。
……だからと言って、何で私?
「あの子にとって、初めて会う同じ年くらいの子どもが貴女だったんです。今まで一度も、他人の目を気にしたことのないあの子が、貴女と初めて会った日、言っていました。「友だちになりたい」……と」
初めて聞いた。
エルガーが私に話しかける内容は、いつも一緒だった。
――手合わせしよう。手合わせ見ていけよ。オレと戦おう。
……そこから察しろと言われても無茶だ。
嫌われてはいないだろうと思ってたけど、エルガーはいつだってローウェンとか、ギランと戦ってる時の方が楽しそうだったから。
「それって、執着って呼べる感情ですか!?」
「些細な感情の発露に過ぎなかったでしょうが、邪神の誘惑はその小さな芽すら歪んだ巨木に変えるのです!」
そうだとしても、やっぱり納得出来ない。何で、私なんだろう? どうして?
自分より大人のギランに、嫉妬はなかったの? いつも勝てないローウェンに、恨みはなかったの? 大人ぶって叱りつけるララに、苛立ちはなかったの?
……そんな感情。きっと、エルガーは持ってなかったんだって、私は知っているけど。
――ギリギリ……ガガッ!!
ローウェンが全力で突進して、エルガーを止めようとする。
その横から、他の騎士たちが斬り付けて、ギランもそこに混ざる。
でも、止まらない。
「いずれ、邪神に付け入られる程、エルガーは弱っていた。ミリアムさん! あの子に何か言いませんでしたか!」
「えっ!? えーと、えーと……」
「お姉さまは、ヒドイことはおっしゃっておりませんわ、おばあ様! ただ、ギランお兄さまと比べて、どこがステキかとたずねられたエルガーお兄さまに、強いところだと答えたくらいですわ!」
やっぱり、それなのだろうか。私は、選択肢を間違えた。あの時はそう思ったけど、まさか、そこまでのことだったのだろうか。
まさかそんな、邪神に付け入られる程の。
「……恐らく、それでしょう。エルガー自身も良く分かってはいなかったのでしょうが……ミリアムさんから見た自分の魅力が、強さしかないということが、ショックだったんでしょう」
「何故ですか!?」
分からない。理由がまったく分からない。
それとも、透けてしまったのだろうか。
私が、エルガーよりもギランを気にしていたことが。
でも、だって、それは。ゲームでは、ギランの方が。
「それは本人に聞かなくては。ただ……あの子はここ最近、悩んでいましたよ」
「悩む?」
「ええ。手合わせ以外で、貴女と楽しく遊ぶ方法を思いつけない自分では、友だちになれないだろうか……と」
「!!」
――友だちに、なれないかもしれないって?
私は、おばあさんの言葉に目をむいた。
信じられない言葉だった。ゲームの頃のエルガーならともかく、今の手合わせが一番楽しい年頃、みたいなエルガーが、私と友だちになれないかもしれないなんて言って、悩んでいた?
そんなの、分からないよ。何でそんなことで悩んでたの? 言ってくれれば良かったのに。
……言ってくれれば良かったのに?
自分で考えた言葉に、自分でショックを受けた。
私は、私の周りのみんなを幸せにしようと決めた。
幸せにしようと決めた「みんな」には、当然エルガーも入っている。
そして、そのエルガーは、ゲームに出ていたエルガーじゃなくて、今、目の前にいる、このエルガーだ。
(なのに私……エルガーとゲームのエルガーを、同一視してたの?)
自分で、それは違うと思っていたクセに。
みんなは、現実の、この世界に生きている人だと、思っていたクセに。
そんな私自身が、みんなをゲームのキャラクター扱いしていたのか。
「キライ……ダ……ミリアム、ナンカ…………オレヲ……サケル……!!」
今の状態のエルガーは、涙を流せるのだろうか。
分からないけど、私が足を止めて呆然とエルガーを見つめると、彼の嘆きが全身に響いた気がした。……何だ。私が、悪かったのだ。
「エルガー……私の、せいだったの……」
「お嬢さん! 呑気に会話してる場合じゃないですって! てか、会話してる!?」
……泣きそうだ。こんな私、最低だ。
ゲームの知識は、参考にするだけだって、最初から思っていたのに。
どうして、エルガーにちゃんと向き合わなかったんだろう。
向き合っていたら、こんな目に遭わせずに済んだはずだったのに。
「エルガー! ミリアムは良いだろう! 俺が相手するから、落ち着いてくれ!!」
「アニ、キ……トル……ミリアム、オレカラ……」
ギランが、慌てた様子で私を庇うように前に出た。エルガーは、私を取らないで欲しいと叫びながら、ギランに剣を叩きつける。ローウェンでも受け流すのがギリギリの攻撃を真正面から受けて、ギランは呻く。
『――――』
……雑音が聞こえる。
――ガガガガッ!!
「手合わせん時より断然速ぇ! 気ぃ付けろ、ギラン!」
そのギランの隙をついて、エルガーの剣が振り払われる。
漆黒の刃は、ギランの剣を滑り落ちて、衝撃に耐えようと添えられていた腕を切り裂いた。鮮血。赤が舞う。
『――――』
……それは、不愉快な声だ。
『――――』
……何度も何度も、地獄の淵から引きずり込まんと、エルガーの耳元で囁く。
(……うるさい。やめろ。エルガーを連れて行くな……)
私の思考が、どんどん塗り潰されていく。
純然たる、これは怒りだろうか。
きっと、私のものじゃない。これは、誰か他の。
『あな、憎し。何故そう思うのやら分からぬが……ミリアムよ。妾の感情に流されるでない。自分を強く持つのじゃ』
「っ……これは、パトラ、の感情?」
『うむ。小僧の内に、何かがおるな。そやつが、妙に……癇に障る』
肉食獣を思わせる獰猛さで歯を剥くパトラは、それでも美しく。
私は、その冷たい感情の奔流に飲み込まれそうになるのを、必死で耐えた。
「グ……ググ……」
私がその場に踏みとどまるのと同じように、エルガーも抗っているようだった。
突然その歩みを止めたエルガーは、その場で震える。
「? エルガー、どうした?」
「突然止まったぞ?」
ローウェンやギラン、それに騎士たちの頑張りで、私とエルガーの間は開いていた。このまま逃げれば、みんなもっと戦いやすくなるだろう。
……だけど。
「……ねぇ、パトラ」
『うぬ? なんじゃ?』
「一つ、やりたいことが出来た。ねぇ、無茶しても良い?」
『止めても、無駄なのじゃろ?』
「……うん」
みんなに、任せるのが賢明だ。分かっている。
私は、ヒロインじゃないから、何の補正もついていない。
殺されるのかもしれない。だけど、ここで言葉をかけなければいけない。
私には、自分でも驚くほどに迷いはなかった。
「エルガー!!」
駆け出す。……そして、エルガーの目の前に向かって、私は手を差し伸べた。
「ミ……リ……ア、ム」
「お嬢さん、いつの間に!? 危険です!!」
みんなが慌てて私を引き戻そうと近付いて来る。だから、その前に。
「今までごめんね。エルガー。今からでも遅くないかな。私と、友だちになって……くれない?」
こんなこと、後でエルガーが治ったら、幾らでも言えば良いことだ。分かってる。でも、言わずにはいられない。
「や、やっぱりダメかな。私、結構アレな態度取ってたみたいだし、仕方ないと言えば仕方ないんだけど……」
「イ……ヤ、ダ……」
「えっ、本当にダメな感じ!?」
……良いの。別に、私に怒ってたって。だって、私はヒドイ態度をとってしまったから。
「トモダチジャ……タリナイ……モット、モット……」
「うえっ!?」
伸ばした手に、エルガーの手が触れる。なんか、スゴイセリフと一緒に。
え、ちょっと待って今のどういう意味??
私は混乱するけど、そんな思考を止めるように、パトラが声を上げた。
『ふむ。これが結果オーライというヤツじゃな。後は妾に任せるのじゃ、ミリアムよ!』
えっ、何が??
私は目を回しつつも、手はギュッと握り続けていた。こっちの手は、剣になっていないけど、やっぱりいつものエルガーの手じゃない。
異形になって歪なその手は、妙に冷たい。
『器でもない分際で、私に逆らうのか!!』
……声が、聞こえた。
聞き覚えのない、悪意に満ちた声。
誰のだろう。分からないけど、パトラの感情が流れ込んで来ると、この声の持ち主は敵なのだと、それだけを強く感じた。
『……ほんに、そこな童の言う通りよ』
パトラはそのまま、優しく微笑みかける。
その声にじゃなくて、全身を引っ張られて、苦しむエルガーに向けて。
『疲れたろう? もう休むが良い。良く、頑張ったのぅ……褒めてつかわすぞ』
どうするつもり? とは思ったけど、聞こうとは思わなかった。
パトラならやってくれる。根拠もなくそう思った。
直後、何故か私の左腕のコントロールが効かなくなる。
……あれ?
根拠のない信頼が揺らぐ。任せろって言ってたのに、あれ、おかしいな。パトラ、まさか私の身体を使うつもり!?
『思春期のささやかな成長の糧を苗床にするとは、趣味の悪いことじゃ。妾の愛し子と共に、おしおきをしてやろう』
パトラの興が乗ったのか、声は楽しげに語調を上げていく。
いやいや、おしおきって!!
混乱した私は、それでも何とかパトラが私の左手で握りこぶしを作っているのを認識して、慌てて叫んだ。
「エルガー! ごめんね、歯食いしばって!!」
「??」
直後、私の全身の自由が効かなくなる。それなのに、身体はまるでどうするべきか分かっているかのように、勝手に動いた。
――全身に捻りを加えて力を溜め、気合を入れる為に叫び、地面を蹴って、全力でエルガーの右頬をブン殴る。
「はぁああああっ!!!」
――ガッ!!
それはもう、一切の躊躇のないパンチに、私は目を白黒させる。
大した力はないはずだ。なのに、エルガーの身体がよろめく。
自由の返って来た身体で、私は左拳の痛みを強く認識した。
『貴様……よもや、目覚めていたのか!?』
『五月蝿い蝿じゃ。疾く去ね』
『くそっ!! 次こそは覚えていろ、クレプスクロォォオオ!!! …………』
――ドサッ!
訳の分からない会話が聞こえた。
ただ、私は静かに、やっぱりパトラ、クレプスクロで良かったんだ、と思った。
「エルガー!」
「大丈夫か!?」
「今、一体何が……?」
「彼女は……一体……」
ざわざわ。ざわざわ。
その場に倒れたエルガーの身体は、もういつもの人間の姿だった。
理屈はサッパリ分からないけど、パトラがやったんだと、私は思った。それ以外は何も考えられずに、私はそのまま感情の赴くままにエルガーに声をかけた。
「エルガー。後で、ちゃんと私のことも殴ってね。それで、友だちになろうよ」
「……友だちに? なれるのか? オレ、お前の友だちに」
「うん。なれるよ。なろうよ」
「……そっか」
静かな会話だ。静寂に飲み込まれてしまいそうな。
みんなは、まだざわざわしてるのに、妙にエルガーの声が真っ直ぐ届く。
あの、変な声じゃなくて、エルガーの声だ。
「……ミリアム」
「何?」
「……友だちに、なってほしいんだ」
「何言ってるの。もう、友だちだよ」
「……なんだ、そっか」
倒れたままのエルガーを、助け起こすだけの力は、私にはもうなかった。
だから、そっと手を伸ばして、その頭を撫でる。
「……ねむい」
「……うん、おやすみ」
おやすみなさい。
良い夢が見れますように。
エルガーの温かみを感じると、涙がこぼれた。
そこでようやくホッとした私は、崩れ落ちるようにして眠りに落ちた。
意識がなくなる直前に、みんなの、お父様の、私を呼ぶ声が聞こえた気がした。




