1話「出会い」
ようやっと書き出しました。
―-絶えず銃声が鳴り響いている。
時折ドーンという爆発音も混ざってその都度、逃げ惑う人々の悲痛な叫び声が聞こえてきた。 自分は目の前にいる姉に逃げようと泣きながら腕をつかんで訴えるが、姉は周りにいる仲間たちに銃を渡しながらどこに向かうか、大声で指示していた。その目には燃え盛るような激しい怒りと、僅かに死ぬかもしれないという恐怖を滲ませている。 その時、タタタと近くで連続した銃声が鳴り、 そばを走っていた若い女性のふくらはぎと腹部にあたった。勢いあまってその女性はその場に倒れたが、どくどくと血を流しながらもなおもその女性は地を這いながら逃げようとしていた。しかし、再び銃弾が飛んできて今度は蜂の巣にされたかのように全身にあたると、すぐに動かなくなってしまった。 それを見ていたのか姉は、すぐ仲間たちに場所を移動するように指示した後、 ガタガタと震える自分の肩を力強くつかんで私の目を見なさいと言った。
「--リー、ハリー逃げなさい。ここも時期に包囲される。ここから先にまっすぐ行けば川があるから、それを超えて西にまっすぐ向かいなさい」
いやだと泣きながら懇願するが、今度は顔をガッと掴まれた。声を上げることもできずボロボロと涙を流すことしかできない。
姉は先ほどとは打って変わってどこか泣きそうな優しい顔をしてこう言った。
「お姉ちゃんはここに残る。みんなの逃げ道を作らなくちゃ…大丈夫よ、あなたならきっとーーー」
*
「―----姉さん!」
ガバッとベッドから起き上がった。 右手は夢の中の姉の腕をつかむようにまっすぐ天井へと伸びていたが、何もつかむことはなかった。
「…また、あの夢か」
心臓がせわしなく動き続けており、まだ夢の中で見た光景が頭の中で映し出されていた。首に手を当てるとびっしょりと汗をかいており、続けて異常な倦怠感が襲ってくる。…そういえば昨日飲みすぎたの忘れてたな。 ふとそばを見るとここで飼われている大型の手の長い犬、キャシーがわふわふと言いながら自分を見つめていた。 いつもは同居人に引っ付いているのに珍しいなと思いながら起きようとして、近くの部屋からおいしそうなにおいが漂ってきたことに気がついた。
「やば、忘れてた…!」
昨日言われていたことを思い出して、サァッと徐々に顔が青ざめていく。 とにかく急いでベッドから起き上がった。
*
バタバタとベッドから起き上がって急いでキッチンへ向かうと、見慣れた顔をした茶髪の女性、ミナが眉間にしわを寄せながら調理用のナイフをこちらに向けてきた。
「ハリー今日あなたが朝食の当番だったでしょ!? まったく、お父さんがしばらくいないからって羽目を外してもらっちゃ困るのよ」
「悪かったってミナ!ほんと、悪かったと思ってるからナイフ向けるのはやめてくれ!」
流石にまずいと思って、とにかく落ち着いてくれという意味で両手を彼女の前に出すが、さらに顔が不機嫌になっている。一体どうしたらいいのかと考えあぐねて視線を泳がせていると、やがて大きなため息を一つつかれて「もう作っちゃったから、さっさと食べちゃって…このツケはちゃんと払ってもらうからね」とあきれ気味に言われた。正直ナイフで刺されんばかりの気迫だった。
「何か言うことは?」
「…ごめんなさい」
「わかればよろしい。じゃ、食器は洗っておくの忘れずに。私は支度してくるから」
ミナはそういうと先程より深くため息をついてから自室へと戻っていった。ドアを閉める際に「例の新聞届いてたから、目だけでも通しておくのよ」と念を押して。
机に目をやると焼きたてのハムサンドと香り豊かな湯気が立つコーヒーの横に綺麗にたたまれた新聞が添えられてあった。4つ折りにされたそれには、誰の目にも入るように書かれた見出しがいやでも目に飛び込んでくる。椅子に腰かけそれを手に取って、睨むように見つめた。
『あの日から15年…戦争の傷未だ癒えず』
ーー15年。あの日姉と別れてからもうそんなに立ってしまった。
*
朝食を食べながら、起きてから薄々感じていたことだが…。
なんだか今日はキャシーの様子がおかしい。 この大型犬は昔からミナと親父さんにしか懐かず後からやってきた俺のことをずっと格下の何かだと思っている。触らせてくれることはくれるが、躾などに関しては一度も言うことを聞いてくれたことはない気がする。利巧で元気な犬だなぁとはずっと思っていたのだが、今日は元気というよりはなんか…破天荒?というべきだろうか。ずっとそわそわしてて落ち着きのない様子だった。
まぁでもそんな大ごとってほどでもないだろうと思い、ハムサンドを口に運ぼうとするが、すぐそばで彼女からの異様な視線を感じる。
まさか狙っているのだろうか。
ちらりと視線をやると、お座りのポーズをしたままピクリとも動こうとしない。
そんなにこれが食べたいのかお前、と悩んだ末なけなしのハムを差し出すとものすごい勢いで持っていかれた。 俺のハムサンド…。くっ、滅茶苦茶食べたかったがあのつぶらな瞳には勝てまい。仕方がないのでパンはあとで適当にバターでも塗って食べるとして、冷める前にコーヒーのほうを飲もうとした。
ただしキャシーはハム一切れなどでは全然満足しなかったようで、今度は俺の太ももに飛びついてきた。 それによる衝撃でちょうど飲もうとしていたコーヒーがはねて指につく。あまりの熱さにびっくりして膝を机に強打してしまった。 こ、この犬…! ズボンでおおわれて見えないが、絶対に膝は赤くなっているだろう。じんじんと痺れがやってきて涙がにじんできた。 キャシーはそんな自分などお構いなしに変わらず笑顔でこちらを見つめている。怒ろうかとも思ったが、あまりの可愛さとそういえばこんなに向こうから寄ってきたことがなかったことを思い出して怒りは一瞬にして消え去ってしまった。
「さて飯も食ったし、仕事するかな…ってうお!?」
朝食も食べ終わり、ミナにとやかく言われる前に先にやることをやってしまおうと立ち上がった瞬間、キャシーに引っ張られた。 バランスを崩して倒れそうになるが、机をつかんでなんとか尻餅はつかずに済んだ。 キャシーはなおも俺の足をぐいぐいと引っ張っていっている。
どうやら外に何かあるらしい。
とりあえずこのままでは動けないので足からキャシーを引きはがすと食器を水につけてから外へと向かった。
外へ出ると、まだ朝方のようで薄紫色の雲が陽のオレンジの光と混ざって幻想的な雰囲気を醸し出していた。
この小さな村にきてからもう2年も経ってしまったが、ここから見える景色はいつも綺麗だった。
思わず見とれてしまいそうになるが、かまわずキャシーはぐいぐいと足をさらに引っ張ってくる。
漸くはなしてくれたのは、家の近くにある巨大な森の入り口であった。
朝とはいえすでに日が照り始めているこの時間であっても、地面に光すらささないこの森は、『禁足地』と村の連中が呼んでいる場所だ。禁足地というのは文字通り立ち入ることが禁止されている場所のことで、一般的には神様が住まう場所といわれることがほとんどだが、呪いだとか過去に非人道的な行為が行われていて、所謂怨念的なもので立ち入りを禁じれている場所もあるのだと、親父さんが言っていたっけ。
ここは確か怨念とかそういったものではなかったはずだが…。ただ誰かが中に入っていくことはまず見たことがないし、そもそも勝手に入ろうとすると村の住民たちに怒鳴り散らされるほどだ。今はまだ村の住人は家の中にいるらしく、畑をうろついている人は誰もいない。しかし、こんな場所にキャシーは一体なんのようなんだと彼女の方を見ると、あろうことかキャシーはその中へ行こうとし、あまつさえ自分の足もぐいぐい引っ張っていくのだ。
さすがにこれはまずいだろう!?ただでさえ村の人からは髪の毛のせいであまりいい印象を持ってもらってはなさそうだし、ここは保守的な人も多いから呪いだとか神だとかにうるさい人が多いに違いない。これ以上面倒なことになれば、親父さんたちの評判も下がりかねないと思い、戻ろうとするが物凄い力で戻される。必死になって足からキャシーを離そうとするが向こうも負けじと一切離すつもりはないらしい。 そんな攻防を続けていると、洗濯物を抱えたミナがこっちに向かってきていた。
「ちょっとハリー、キャシーに何しているの。」
いや逆、逆だから。
「ミナ!なんかこいつ今日朝からずっと様子が変なんだよ。いつもはお前に引っ付いてばっかなのに、今日は朝から俺に付きまとってくるし。挙句の果てにはこの中に行かせようとしてるんだぞ、お前になら言うことを聞くだろうから、なんとかいってやってくれないか」
そう伝えると、ミナはキャシーとハリーを交互に見た後、ふぅ、とため息を一つついて
「キャシー。……ハリーから離れなさい」
キャシーの目線にまで合わせた後、厳しい表情でそれだけいった。
キャシーはなにか言いたげだったが、力なく鳴くと不服そうに俺から離れた。 ミナはいい子ねとキャシーを撫でて、それからゆっくりと俺のほうを向くと
「…確かに今日のキャシーは少し変だわ。昨日までなんにもなかったのに……」
ミナも不審に思って森に視線をやると、「あ」と何かを見つけたような声を出した。
「柵が壊れてる…今までこんなことなかったのに」
そういってミナが指さした先には薄暗くてわかりづらいが鉄柵のような囲いがあった。ただ、それは柵としての機能をすでに果たしておらず、途中でちぎれていた。
「村の子供たちのいたずらかしら…にしては随分と悪質だわ」
そういって中へと入っていこうとするミナをみて大慌てで止めに入る
「お、おい!入るのはまずいって…親父さんもいってただろ」
「別に柵の様子を見に行くだけよ」
怖がる自分とは対照的にどこか強気なミナはズンズンと進んでいこうとする。
それを制止したのはキャシーだった。 ミナのワンピースをグイっと引っ張って悲し気な声で鳴く。
流石のミナでもこれには堪えたようで、「わかった…私はよすわ」とキャシーを撫でながらそう言った。
そうそうこれで親父さんや村の連中に連絡して…って、なんで変わらずキャシーは俺だけ引っ張っていこうとするんだ・・!!?
「…仕方がない、私からお父さんに電話しておくし、村のみんなにも知らせておくわ。て、ことで…ハリーあとは頑張って」
肩にポンと手を置き、グッとサムズアップをするミナはすごい笑顔だ。もうなんかすっごい…笑顔。
「嘘だろ!? 禁足地だぞ、村のおきてで言っちゃいけないって言われているところだぞ。」
「そんなもの、すぐパって行ってスッと戻ってくればいいじゃない。村長の娘である私が言っているんだから、他の人には内緒にしておくわよ。…それに、今あなたは私に文句を言える立場じゃないでしょうが。」
「は、なんでそんなこと……あ」
ミナは片手を腰に添え、もう一方の片手をこちらに指さしていた。文句の一つでも言いたかったが、火に油でしかないのでやめておいた。 キャシーだけが笑顔でわんわん吠えて飛びついてくるのでちょっと癪に障ったが、犬相手に怒っても仕方がないのでやめた。
…朝の当番忘れたこと、そんなに怒ってたのか。
*
「確かに禁足地は禁足地だけど、誰かが攫われたとかそんな噂は聞いたことは今まで一度もなかったし、お父さんもそんなこと言ったこと一度もなかったから、きっと大丈夫だとは思うけど。何か変なものでもいたらすぐに帰ってくるのよ?その時は絶対に触らないこと!あと絶対に転んだりないで、転んだ場合はどんな状況でも必ず戻ってくるようにして」
とか行っていたが…
「キャ、キャシー!強い、お前力強いって!」
気を抜くと腕ごと持っていかれそうな勢いでキャシーはぐいぐいと前へ進んでいく。ずんずん進んでいくキャシーはどこまでも笑顔だったが、それと反対に自分の心には徐々に不安が募っていく。森は進めば進むほど光を弱くし暗くなっていく。また人による手入れがされていないのか、複雑に木々や葉が生い茂っており、数メートルさきはもう暗闇であった。地面も石がごろごろと転がっており、途中何度か躓きそうになったがそのたびにとにかく転ぶなと念を押していたミナの言葉を思い出して、なんとか転ばずにできている。…正直キャシーがもう少し歩みを遅めてくれたらもっといいんだけども。
だいぶ歩いただろうか。 ずっと変化のない景色が続いていて気が緩んできていた時、突然キャシーが今まで以上の力で前に進んだのだ。ぼーっとしていたせいで思わずリードを離してしまった。 まずい、キャシーがもし森の奥地に行ってしまったら戻ってこれないかもしれない。戻って来いとキャシーに向かって叫ぶが、むしろ彼女には進んでいけという風に受け取ってしまったようで、さらに奥へ奥へと行ってしまった。
岩肌がむき出しになって凹凸が激しくなってきた地面に思わず苦笑いをこぼす。このまま見失うわけにはいかないのでどうにかこけないようにうまいこと避けながらキャシーの後を追った。
少し走ると ぶんぶん尻尾を振っている彼女が見えた。 どうやらそこは小さな広場のようで謎の空間があった。おそらくここが最深部だとみていいだろう。
キャシーのもとへ着くと、いそいで彼女がどこかへ行かないようにリードをつかんだ。ぜぇぜぇと息を吐く自分とは裏腹にキャシーはかわらず笑顔でちょっとどこか憎らしかった。
それにしてもなぜ彼女はこんなにも今日様子がおかしかったのか。その答えはどうやらここにあった。
*
「女…?」
そこにいたのは、自分よりははるかに幼い…10代くらいだろうか、見慣れない服装を見つけた少女が横たわっていた。ピンク色のフードが目立ち、身に着けているバッグも変わった形をしていた。髪の毛は茶髪のようだが、ミナよりも明るい色で栗毛のようであった。また彼女のものだろう、1メートル半はありそうな大きな木の杖もあった。魔法が時代遅れと新聞でも時々言われるこのご時世に…魔法?こんな幼い子がか?
変なものには触るなとミナにあれだけ釘を刺されたことなどすっかり忘れて、体を優しくゆするが、返事は返ってこなかった。まさか死んでいる?と思いよく見てみると肩が僅かに上下していたので、眠っているのだろう。
それにしてもなんでこんなところにいるのだろうか。 ピンクのフードが目立って気づかなかったが、少女は裸足であった。 しかも結構歩いていたようで土汚れがすごいことになっている。 迷い込んでしまった子だろうか、それとも禁足地に暮らす怪物?まさか女神?…いやいや、ならもっとそれなりの恰好をしているはずだ。 こう…なんというか女神って感じの。
途端に怪しくなって離れようとしたときに、ふいにその子が苦痛の表情を浮かべた。
よく見ると額に汗がにじんでいる。 何があったんだと慌てて体を起こして原因がはっきりした。
地面に血がついている。すぐにパッと額に手を当てると水に触った時のような濡れた感覚に反射的に手を引っ込めた。そこには手のひらを覆うかのようにべっとりと血がついていて、思わず顔が青くなる。 彼女は起きる様子もなく、先ほどよりも青ざめた顔でぐったりとしていた。違うところといえば触れた場所が啖呵を切ったように血が流れ落ちてきたというところか。 起き上がらせた際に石か何かで傷を作ってしまったのだろうか。 とにかく、このままほおっては置けない。
触るどころか、持ち帰ってきた、だなんてミナになんて言い訳をするべきか…。とにかく急いで少女を背負うと、自宅へと引き返すことにした。禁足地で見つけた子なんてなんだか呪いでも貰ってしまいそうな気がするが、置いて放置するのもそれはそれで罰当たりな行為だろう。 キャシーは今度は先にすたすた行ってしまうことはなく、自分のペースに合わせてくれているようだ。先頭を切って走ってはいるものの、ちらちらと時折後ろを振り返るのがいい証拠だ。
行きはあれだけ歩いたというのに、帰りはあっという間に森の外へたどり着いてしまった。
自宅へ戻ると、電話を終えたミナが驚いた様子で自分を見たが、少女がけがをしているのを知るとすぐさま手当の支度をしだした。その間に、少女が目を覚ますことはなかった。