きみはキミで君だけの「自分」
とある日の出来事だ。
電車の中で座っていると少し疲れた顔をした子供を見た。
土曜日だったので遊び疲れていたのかもしれない。
だが、少し具合の悪そうな顔をしていた。
普段であれば仕事で疲れている私は素知らぬ顔をして座っていただろう。
しかし、『具合の悪そう』な子供というところは、『仕事で疲れた』私の中でも比重が大きい。
子供は大切にされた方がいい。
それは世の中からも、親からも、大人からもだ。
この私の行為が、巡り巡って誰かに返ってくる。
いつか大人になった彼が、私が老人になった時、椅子を譲ってくれるかもしれない。
だが、その時はそんな聖人ぶった考えなど浮かばず、具合が悪いのなら席を譲ろうと思ったのだ。
「ねえ、君。よかったら座るかい?」
私は子供の目を見て話しかけた。
子供は私の言葉を聞いて、安堵したような顔を浮かべた。
その子は、「うん!」と続けたかったんだろう。
「大丈夫ですよ、ね? 元気だもんね?」
「……うん」
先程とは打って変わって、何も言えない諦観の滲んだ表情が印象に残った。
ああ、この人は自分の気持ちが、考えが全てなんだと思ってしまった。
私は、子供に話しかけたのに。
親は、自分が話しかけられたと思い込んだのだ。
「すみません。彼がどうも体調が悪いように見えるんです。ね、大丈夫? 座るかい?」
「大丈夫ですよお、いつものことですから」
「私はこの子が座りたいなら譲りますよ。どうする?」
「座りたい……」
「はい、どうぞ」
彼は普段からそうなのだろう。
親の言葉で、自分を塗り替えられてしまっている。
自分を出しても、親の我に押しつぶされてしまっている。
「おじさん、ありがとう」
「こら、お兄さんでしょ! すみません、うちの子が……」
あのお礼は彼の言葉だろう。おじさんと言われてしまった事は悲しいがいつものことだ。
だが、そのおじさんすらも彼の本当の言葉だとおもう。
君の心は君だけのもので、キミが決めるものなのだと思う。
『私はお子さんに聞いてるんです』
この言葉をキッパリと言えなかった事だけが心が残りだ。
きっと彼は『いう事を聞く良い子』なんだろう。
その実態が親に言葉を奪われた子供だと、私は思う。
それだけに、私は言えなかった事が本当に心残りだ。
朝起きれば私はこの事を忘れるだろう。
人生の中の。言ってしまえばほんの一瞬の他人との関わりだ。
だが、彼の中で、自分の言葉を聞いてくれる人が世の中にはいるんだと。
そう思ってくれることだけを切に願う。
これは寝る前の、後悔しかないおじさんと言われた二十代の戯言だ。