その1 プロローグ
ある日の夕暮れ時、俺がバイトを終えて帰宅すると、妹がちょっとアレなことを口走った。
「お兄ちゃん、決めたわ。あたし――、勇者になる!」
「うん、妹よ。なんつーか、こう……、いったん落ち着こうか?」
妹は自身の背丈ほどある大きな包みをずるずると引きずって、
「とゆーワケで、お兄ちゃん。ちょっち行ってくるから」
だがしかし、慌てて玄関のドアを塞ぐ俺。
「おいコラ愚妹よ、なんだって?」
「決まってるわ。勇者と言ったら、魔王退治よ」
「ほほぅ。コミュ障で引きこもりのくせにやっと外出する気になってくれたのは喜ばしい事なんだが……、ンなことよりも、それは何だ?」
俺は妹が引きずっていたモノを指した。妹がその包みを解くと、
「ばとるあっくす」
なんと巨大な斧が現れた!
「うおおおをーい! また勝手に買いやがってーぇッ!」
なんてこった。
俺がどんだけ働いても暮らしが全然楽にならないのは全部コイツ――妹のせいだった。
「そう、幅広い鉄の刃を柄の先端に取り付け本来は大木を伐採する用途に作られたはずが、その殺傷力と破壊力はすべての戦闘狂に浪漫を抱かせる、いわゆる斧という武器。カッコイイ。うっとり」
「しかし いもうとは それを そうび できないッ!」
俺の叫びがこだまする!
ご覧の通り妹はかなり残念でアレな子だった。
俺はそんな妹とふたり暮らしだ。
両親が残してくれたのは小さな家とわずかなお金だけ。しかしそれもすでに底を着きかけている。先に述べた通り、全部この妹のせいだ。今は俺が日雇いで稼ぎ、どうにか凌いでいる。だが、もはや限界だ。主に精神面で。
俺は斧を奪い取り肩に担ぎ上げ、妹に告げる。
「ちょっと返品してくる」
「おにーちゃあああん!」
妹がしがみ付いてくるが知ったこっちゃない。
「ええい! 泣くな、わめくな、引っ付くな!」
たまにはガツンと言ってやらにゃならん、兄として。
「お前がそーやって使えもしない武器なんか買うから俺たちはいつまで経っても貧乏なんだぞ!」
「だってぇ、斧だよぉ? 浪漫だよぉ! レアモンスターにイチかバチかの大ダメージ与えてみたいでしょッ?」
「黙らっしゃい! こうなったら、全部売る! 剣も槍もブーメランも! お前のコレクション、ぜーんぶ売り払ってやるからな!」
「だめーぇ! 魔物蔓延るこんな時代なんだよぉ、備えあれば患いなしだよぉ!」
「うるさい! むづかしい言葉を使うな、バカ!」
「もぉ、バカはお兄ちゃんでしょッ?」
「放せッ、そこをどけぇ!」
「どうしても行くと言うのなら、あたしを倒してから行って!」
「ていッ!」
あには あしばらいを はなった!
いもうとは すっころんだ!
「ふはははは、お前はそこで、この斧が金銭に変わるのを待つがいい。愚かなる妹よ!」
「おにーちゃんのばかーッ!」
そんなこんなで俺はひとり街を目指して急いでいた。
ホント、早くしないとすぐに夜になってしまう。
というか、何が悲しくて巨大な斧を担ぎながら歩かねばならんのだろう。このまま森の熊さんと相撲取ったろか? って、
「ん?」
流れ星だ。
ふいに視線を上げるとまだ暮れ切ってない夕焼けにはっきりと、星が落ちるのが見えた。
というか、不思議な光が空を横切ったのだ。それはヒトのカタチをしているようにも見えた。彷徨える誰かの魂のようだった。
「妹が真面目に働きますように。妹が真面目に働きますようにっ。妹が真面目に働きますようにッ!」
気が付くと俺はその場に両膝を着いて祈りを捧げていた。
流星はとっくに消えてしまっているだろうに、やはりバカなのはこの兄の方だったか?
俺が再び天を仰ぐと、今度は黒い星が光って見えた。
いや違う。あれは穴だ。空に開いた小さな穴だ。
ぞくり。
全身に鳥肌が立った。
「おにーちゃーん!」
振り返ると、妹が駆け寄って来た。
「どうした妹よ。そんなにこの斧が大事だったのか?」
「ばか。違うって!」
青ざめる妹。先の茶番とは違う。今にも泣き出しそうな顔だ。
「なんか、イヤな予感がするの。ねぇ、お兄ちゃん、どこにも行かないよね?」
妹が俺の袖をギュッと掴んで引っ張った。
「当たり前だろ。お前を置いて俺が何処へ行くってンだ。つーか、俺がいなきゃお前は生きていけないだろ?」
「このまま、お兄ちゃんがどっか行っちゃう気がして、それで、あたし……。ねぇ、お兄ちゃん、アレ、なに……?」
空の穴から飛び出して来たそいつ。
真っ黒い炎を纏った塊がどんどん大きくなって、物凄い速さで俺たちの方へ迫って来る!
「危ないッ、避けろーッ!」
咄嗟に俺は妹を突き飛ばしていた。
「おにーちゃあああああんッ!」
*
「おお、なんということだ。死んでしまうとは情けない」
仰々しい声がして、俺は目覚める。
ここは、どこなんだ? 妹は、どうなった?
「さぁ、今一度立ち上がり、旅立つのだ――、勇者よ!」
「…………はっ?」
つづく!