夢はヘッドフォンから流して
楽譜を開いていると、珍しいことに彼女――作ちゃんの方から近付いて来た。
ペタペタと足音を立てて近付いて来たと思ったら、目の前の空いた席を引いて、腰を下ろす。
大きく波打った黒髪が揺れた。
「何見てるの?」
「ん?楽譜だよ」
ほら、と作ちゃんの方にそれを差し出す。
複数枚連なったそれが、ベロベロと広がって、作ちゃんの形の良い眉が動いた。
前髪が僅かに動いただけで、眉間のシワが生まれたことが分かる。
それでも、首が縦に振られながら中身を見ているので、特に機嫌を損ねた何ものもない。
コード進行もしっかりと書き込まれているそれは、手書きの手作り。
正直今の時代パソコンがあるんだから、デジタルにしてくれた方が見やすい。
「軽音楽部のやつ?」
「うん。新曲だって」
俺が美術部と軽音楽部を兼部していることを知っている作ちゃんは、納得したように、ほぅ、と一つ頷いて見せた。
美術部では好き勝手描いているが、軽音楽部ではメンバーに合わせて歌う、ボーカルだ。
「……ギターとか楽器って良いよね」
「何か弾きたいの?」
「興味はあるかな」
五線譜を指の腹でなぞりながら答える作ちゃんは、無表情で何を考えているのか分らない顔だ。
興味がある、という割には、目に光が宿らない。
「ところでこれ、音源はないの?」
差し出された楽譜を受け取りながら、俺は、あぁ、とぼんやり呟いた。
音源、音源ね。
鞄の中に突っ込んである音楽プレイヤーと、それに繋げっぱなしのヘッドフォンを取り出す。
もう既に取り込んであった。
いや、正確には音楽プレイヤーがいつの間にかなくなっていて、勝手に取り込まれていたのだが。
すっかり慣れてしまい、またか、と思うくらいだ。
「聴く?」
「聴きたい」
短いやり取りで、作ちゃんにプレイヤーを渡そうとしたのに、何故か立ち上がる。
ガタガタと音を立てて椅子を移動させていた。
ちなみにその席、作ちゃんのじゃないよね。
自分の席でもない場所から椅子を移動させた作ちゃんは、何故か俺の真横に座り込む。
プレイヤーを持ったままの俺から、ヘッドフォンを奪い、耳当ての部分をくるりと反転させた。
そうして、ピタリと自分の耳に当てる。
「良いよ、流して」
「……え、あ、はい」
こともなさげに言われて頷いてしまう。
入れた順番に並んでいるので、迷うことなく一番上にあるものを流す。
作ちゃんは静かに視線を落として聴いていた。
普通よりも白い肌に、小さな影が落ちて、前髪がハラリと落ちて、その表情を隠す。
新曲はバラードで、愛とか恋とか、そういうものを歌っている。
まだ、俺は歌っていないけれど。
机に置いた楽譜を見ているのか、作ちゃんの唇が時折思い出したように動く。
後は、体がヘッドフォンから流れる音に合わせてゆらゆらと前後に揺れた。
肩と肩が触れ合う距離に、うーん、と首を捻る俺は、僅かに身じろいで距離を取る。
作ちゃんが自分から近付いて来るのが珍しいように、普通に座ってもここまで近付くことはない。
パーソナルスペースが広いのだ。
「聴かないの」
「え、わっ!」
歪む口元と眉を戻そうとしていると、いつの間にか作ちゃんの視線が上げられており、有無を言わさずにヘッドフォンごと、頭をぶつけに来る。
ゴッ、と鈍い音を立てて、ヘッドフォンの金具が俺の頭を打つ。
はい、聴きます、聴くから、ぶつけに来ないで。
ガッ、ゴッ、とヘッドフォン突きを繰り返され、俺も耳当て部分を反転させた。
体に音を馴染ませるために、毎日のように聞いていたので、すんなりと入っていける。
「これ、崎代くんが歌ったヤツ、まだないんだ」
「うーん。いつ合わせるかも分らないから……」
「ふぅん」
ゆらゆら、作ちゃんの体は言葉を交わしながらも揺れていて、時折肩が本当にぶつかる。
「聴きたい?俺が歌うの」
「うん。まぁ、興味はあるよね」
いや別に、と抑揚のない声が返ってくると思っていた。
少なくとも、ギターほど作ちゃんの興味を引けるとは思っていなかった。
作ちゃん本人が自分でやるならまだしも、人が何をやろうが知ったこっちゃない、というのをイメージしていたからだ。
首の骨を大きく響かせながら、勢い良く隣を振り向けば、不思議そうに小首を傾ける作ちゃん。
瞬きをする度に、長い睫毛が小刻みに揺れた。
「――っ、うー!無理。本当作ちゃん無理!!」
「突然何」
「……俺もギターする。ギター覚えて、作ちゃんに教えるから弾き語って」
「いや、それは別に良い」
今度の声は、抑揚がないのではなくて、しっかりとした拒絶を含んでいた。
取り敢えず、ギターを借りれないか頼んでみる。