わたしにとっての詩の書き方(20170112)
わたしが詩を書きだしたのはなろうが最初であって、それまではそれらしきものを一つ二つ書き留めてはいたものの、まったく形には成っていなかったのです。勿論、最初から詩を書こうと思っていた訳ではなくて、「小説家になろう」と半ば本気で思っていたのでしたが、色々書いていると、また色んな生活上の圧迫によって、物語を考えているよりも瞬間的なイメージから生まれる言葉たちを追う方が、楽になって来たのでした。
わたしは(ヘッセだったと思いますが)「詩人の魂」という言葉に強く震えたことがあり、今でもそれは変わりません。これが自分自身を苦しめていたこともあり、吐き出さなければもう耐えられないと感じていたこともあるのでした。ストーリーの中で主人公や登場人物の言動で、代理としてそれを吐露させることもあるいは良いのですが、わたしの場合、その吐露させるという行為が目的になってしまい、ストーリーは付属となってしまうのです。時にストーリーそのもので吐露する形を取る場合は例外として、やっぱり小説としては違うのかなと思ったりもしています。
わたしは決して詩が得意という程に書けていないことは自覚していますが、それでも近頃なんとなく詩とは何かを掴んだような気がしています。同時に文学とは何かということも見えつつありますが、そちらに力点を置くことは今のところなさそうです。それよりも童話というジャンルのほうが近しくて、年若いあるいは幼いひとたちに向けて何か書きたいなと思い始めています。
詩を書いていると、散文と詩文の違いというのも気になったりします。今のわたしの詩は散文よりなのでしょうけれども、やっぱり散文ならではの制約に囚われてしまうと雰囲気が保ち難いといいますか、何か違うものになってしまうのですが、童話の場合は初めから語調を保つことでそれを回避できるような感じがします。実際は散文の中に詩文を混ぜたりしていますけれども。(クスノキ、星の生まれる話)
言葉というものは、不確定なものです。特に日本語は定義出来ないそうなので。それ故に不安定なのでしょうし、確定しているような語の周辺をなぞれば曖昧さの中より思いもかけない輪郭が現れるのです。
始めはイメージがあり、それを言葉にしていくうちに(行を進めていくうちに)何かが匂い始め、やがて形になって現れる。詩にプロットはなく、あらすじも始めから在り得ないのです。ことばがことばをつれてくるのです。それは隠れているようで、実は辺りに漂っている雰囲気であって、こちらの感覚器の感度次第で突然現れ得ることなのです。