彩る華と切り裂く霰
鬼蜘蛛たちは戦慄した。いかに雑兵とはいえ、あれだけいた手下の全てが一瞬にして蹴散らされたのだから。こんなことは初めてであった。計24本の脚が、一瞬ではあるが震えた。
だがそこはB級に名を連ねるモンスター。即座に自身の胸中から恐れを退ける。自身の存在の強大さ、その誇りを、その強靭さを糧に戦意を昂らせる。
3匹が、それぞれの目の前に立ちはだかる下等生物を討ち滅ぼさんと臨戦態勢をとる。牙からは毒を滴らせ、下腹部からは糸の射出準備。
蜘蛛というのは元来、自ら攻めるような生き物ではない。あくまで愚かな獲物が罠にかかるのを、ただじっと待つ狩人である。己が土俵におびき寄せ、確実な勝利のみを追求する存在だ。
それは化け物じみた巨大蜘蛛である鬼蜘蛛とて例外ではない。万全を期して人間どもを迎え撃つ。雑兵の逃走は一つ手を失ったに過ぎず、まだまだ打てる手はいくらでもある。
つまりは動揺こそが最大の負け筋である。蜘蛛たちはそれが分かっていた。だが同時に理解できていないこともあった。敵と己らとの絶望的なまでの力量差だ。
山羊の頭蓋を模した仮面を被る少女。美しい金髪の彼女は全身を黒い外套で覆っており、その姿は謎に包まれている。見えない口から発せられる声は美しく透き通っていて、聞くものの耳に至福のひと時をもたらす仮面から覗かせる赤い瞳はルビーのように煌めいている。
彼女、戦華は対峙する。鬼蜘蛛は不快感を覚えた。少女が全く物怖じせずに目の前に立ちふさがっているからだ。
意図はつかめる。戦う気があるのだろうと。ただ、普通は人間の少女は鬼蜘蛛の姿を見ただけで泣きわめき逃げ惑うはずである。そのセオリーとのかけ離れ具合が蜘蛛を不快にさせたが、すぐさまただの愚かな小娘であるが故と断じる。
ならば、喰らうまでよ。すべての動きを封じる、自慢の糸を戦華目掛けて発射する。異常に硬く、それでいて柔軟、そして一度絡めば決して逃がさない粘着性。
この糸こそが鬼蜘蛛をB級のモンスターの地位まで上り詰めさせた脅威である。並大抵の冒険者であれば、この糸に捕まった時点で詰みというものだ。そう、並大抵であれば。
「その程度で私の魔法を敗れると思って?」
蜘蛛が放った必勝の一手を見てなお、少女は涼し気な顔でニヤッと笑う。この程度、今まで潜り抜けてきた死線と比べればぬるいにもほどがある。
戦華は己が両手に魔力を宿す。体内の魔素を抽出して練りだすは火と氷の魔力。右に炎を、左に冷気を。氷炎の魔女は極光を現す。
両の手に込めた相反する魔力を正面にて融合。それから増幅させて、そのまま両手を開き蜘蛛に向ける。
これから放たれるは滅却の一撃。全てを滅ぼし、悉くを無に帰す魔法。
「消え去りなさい。戦地を彩る氷炎華!」
それは魔法というにはあまりに美しく、それでいて強力すぎる。
戦華の両手から放たれた赤と青とが混在する魔法、その一閃は目の前のものを一つ残らず消し去った。比喩ではなく文字通り跡形もなく消し去った。
つい先刻まで生い茂っていた木々も、転がっていた巨石も、もちろん強靭な鬼蜘蛛でさえも。
蜘蛛に後悔する余地すら与えずに消し飛ばした。蜘蛛が最後に思案したことは「綺麗な光だ」という彼女の魔法に対する率直な感想であった。
美しい、そう思った次の瞬間には放った糸ごと分解された。
戦地を彩る氷炎華は消滅の魔法。火魔法と氷魔法の混合魔法、氷炎魔法の強化版だ。強烈な熱と凍てつく冷気、共存しえない二つの融合存在は、世界から拒絶され消滅の一途を辿る。それは矛盾する存在に触れたものも例外でない。
この魔法の本質は、世界の持つ、矛盾を正す自浄作用を強制的に引き出して対象にぶつけるというものだ。出力、割合の調整を極限まで高めた結果、彼女の魔法は子の極致に至った。
氷炎魔法に比べてコントロールができ、それでいて燃費も良い。ほぼ完璧な調和故に、敵の魔法耐性すらも貫通する。
そんな戦華の究極の一撃は鬼蜘蛛の一匹をいともたやすく葬り去り、魔法を放った後には、火に燃えて煌めく小さな小さな氷の華が無数に舞っていた。
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戦華が鬼蜘蛛と対峙したと同刻、幻刃も同様に蜘蛛に向かって剣を抜いていた。
パーティお揃いの山羊の仮面を被り、ミディアムヘアの銀髪は、木々から洩れる月光を反射して輝いている。戦華より少し低い150センチほどの身長は小柄でかわいらしい印象を与える。
だが印象とは打って変わって、彼女は無口であり、それでいて戦闘時にはひどく残酷。心がないのか機械のように敵を切り裂き続ける。
その異様さ、威圧感はこの鬼蜘蛛もしっかりと感じ取っていた。全身が警鐘を鳴らしている。死ぬ、その実感のみが蜘蛛の全身を支配する。
ここまでの恐怖は今まで経験したことがなかった。B級のモンスターだ、生態系のトップなのだ。基本的に恐れを抱くのは自然に対してのみ、なのにどうして人間の、それも小娘一人にここまで震えるのか。
気づけば牙を滴らせていた毒も渇き、勝手に8本もの脚が、我先にと連動せずに各々が後ろに下がっている。硬い外骨格があるからと自らを落ち着けようともした、だが本能で分かる。そんなもの、あいつを前にしては紙きれも同然、たやすく切り刻まれてしまうであろう。
蜘蛛の王は戦意を失った。この時点で威光であったならば逃がしたであろうが、彼女は違う。心にあるは「外敵を排除せよ」のひとつのみ。
幻刃は腰に下げた銀色の細剣に手を伸ばす。控えめで上品な装飾の為されたそれは彼女の髪のように銀色で美麗である。
それを抜いたが最後、目の前の鬼蜘蛛の身体は、いくつもの線を結び、そこからバラバラに切り刻まれた。
薄い緑の液体が細切れの蜘蛛から噴き出した。その液体が、なぜバラバラになったかを視認できる状態へと変化させてくれる。
5本の氷の刃、しかも極薄の。それらが地面に突き刺さっている。そのどれもが蜘蛛の硬い骨格を豆腐のように切り裂くだけの鋭さを秘めている。
魔法によって生み出された刃、不可視のその刃は彼女、幻刃の代名詞ともいえる剣技だ。
虚構の霰刃。極限まで薄く錬成した氷の刃5本、それらが空中から敵目掛けて放たれる。その姿は見えず、その切れ味は並の武具では太刀打ちできないほど。
彼女が右手に持った剣を前方に突き出した時には、既に狙いは定められており、その剣を右下に振り下ろしたが最後、5本の幻の刃が降り注ぐ。
防御不可能の初見殺しにもほどがある剣技、それが鬼蜘蛛の体をバラバラに切り裂いたのだった。そして、この技こそがペルセースを食人植物から救った一撃でもあった。
幻刃は蜘蛛の血に濡れた己の体を気にも留めず、次なる獲物へと牙を向ける。ほぼ同じタイミングで戦華の鬼蜘蛛は消え去っていた。
となれば、彼女が次に敵意を向けるは残った最後の一匹であった。それを仕留めるべく、再び虚構の霰刃を構える。
「ちょっ!」
それに気づいた戦華は止めようとするも、既に遅い。氷の刃は放たれた。
「ペルセース君の修行の一環なんだから、手出し無用だよ!」
快活な声が響いたと思ったら、5本の光が空を走った。光は空中で目に見えない何かにぶつかり、互いに消え去った。
「危なかったよ、み……じゃなくて威光」
「ほんとだよ、僕の光魔法が間に合ってなかったら、全部台無しになるところだったよ」
彼らが話している間に、落ち着いたのか幻刃は臨戦態勢を解いていた。
「ごめん、さっき言いかけちゃったわ」
「いいよいいよ、それにペルセース君の前でも仮面被って、名前隠してってするのも気が引けるし、この依頼をこなしたら話すことにするよ」
「そうね、せっかく仲間になったんだし、素性も分からないままってのはかわいそうだもの。そろそろ、私たちの目的も知ってもらっとかなきゃだしね」
「それはそうと、別にあのヤバい魔法は使わなくてもよかったんじゃないの?」
威光は過剰威力の魔法を繰り出した戦華に不満げだ。なにせ、その辺の木々や小さな生き物の類まで葬り去ってしまう魔法だ。不殺を誓う彼には見過ごせない。
「もう、そんなこと戦場で気にしてたら死ぬわよ、いくらあんたが強いからって、七曜持ちはもっと強いんだし」
「それでも僕は殺しはしないよ」
戦華のいうことが尤もであることは彼にも分かっている、だからもう何も反論はしない。そう決めて、彼は戦いを続ける銀髪の少年を眺めるのであった。




