少年の覚悟
カルデア王国闘技大会への参加が決まった。となれば、大会までの一カ月でどこまで実力を伸ばせるか、それがペルセースお抱えた課題であった。
早朝、宿のフカフカなベッドで目を覚ました彼は、まず部屋のカーテンを開けた。おそらく日が昇って間もないのであろう。優しい光が暗かった部屋を暖かく、淡いオレンジ色に染め上げていく。
今日が始まった。ペルセースは一日の始まりを日の光を以て受け入れる。大きな伸び、それを窓に向かってするのが、彼なりの毎朝のルーティンワークだ。
そして、これが彼が【トロイの木馬】として朝一番に果たす仕事だ。いち早く起きて、その日の始まりを仲間たちに告げる。いわば電源スイッチのような仕事。
威光はじめ、このパーティのメンバーは総じて朝に弱い。特に戦華と炎獄に関しては、起こさなければ日が真上に来る頃でさえ布団の中に籠っていたりするほどだ。
幻刃に関してはいつも一人、部屋の隅で眠っているため起きているかどうかも定かではない。ここだけの話、彼女に対しては苦手意識がある。
どうにもコミュニケ―ションが取れないということが彼のとっては強いストレスとなった。しかし、彼女がヤギの面からはみ出させる煌びやかな銀髪。それがどうしても気になる。
自分と同じような色彩を持つ彼女にどこか親しみを感じているのであろう。その親しみの感覚と実際には会話すらままならない、というギャップに居心地の悪さを感じているのもあるだろう。そうペルセースは自己解釈していた。
幻刃との関係はともかく、ペルセースは職務まっとうに勤めるべく、威光から順にたたき起こしていくのだった。
日がもう少し昇り、大地や外気がほんのり暖かい。小鳥たちのさえずりがどこからともなく聞こえてくる。さわやかな朝だ。
ペルセースに夢から覚まされた【トロイの木馬】一行は、まず宿から出された朝食を平らげる。この日は魚の干物を焼いたもの、豆のスープに拳ほどのパンが二つ。
この世界における一般的な食事だが、貧しい孤児院での幼少期を送ってきたペルセースにとっては、そのどれもがキラキラ輝いて見える。
今日の料理でもそうだったが、【トロイの木馬】に入ってから世界が一層輝いて見える。ただ、一月経った今でもその一員であるという自覚は芽生えてこない。
それもそうだ。他のメンバーとの実力差があまりに開いている。ここ数年で数多の活躍を見せてきた彼らと違い、冒険者としてのキャリア的には恐らく先輩であるペルセースはこれといった功績がない。
時が解決してくれると思っていた。
時が経つほどに己の場違いを思い知らされた、無情にも。
そんなペルセースがだ、昨日とんでもない話を突き付けられた。そう、カルデア王国闘技大会への出場だ。心の内は複雑怪奇。
自分なんかが出ても無様に負けて恥をさらすだけだという一面、憧れのあの大会に出場するのだという昂ぶりを見せる一面。
そのどちらもがペルセースの脳内で、全く譲らずにぶつかり合う。その余波が彼の心を苦しめる。正直、今は1人でふさぎ込んでじっくりと考えたい。
だが、迷っている暇などない。
わずか一月の猶予だ。こうなったらもう、足掻くしかない。
「威光さん、今日はどんな仕事をするつもりですか?」
お茶を嗜んでいたヤギの仮面をつけた男、威光はいつも通り、優しい声音で語りかけて歩み寄ってくるように答えた。
「そうだね、いったん調査は大会まで進展なさそうだから、ペルセース君の経験のためにも討伐系のクエストでもうけようかな」
「討伐系だったら、そうねぇ……タロスの方で緊急依頼があったわよ」
そう言うのは戦華。長い金髪が美しく、声ももちろん綺麗で川のせせらぎのように落ちつく。極めつけは、片目だけ空いたヤギの仮面の奥から覗かせている紅蓮の瞳だ。
彼女は昨日、タロス方面に【魔人商会】の調査で赴いていたが故に、その情報を得たのだろう。戦華が目をつけたというのだから、きっと手ごわく、そして十分な成果が得られるクエストであることは間違いない。
「具体的にはどうなんだ?」
「そうね、タロス郊外の農村付近の洞窟に、鬼蜘蛛が数匹でてるそうよ」
「な、鬼蜘蛛だって!?このままじゃ、村が危ないんじゃ……」
鬼蜘蛛、体長3メートルは下らない巨大蜘蛛。その外皮は鋼鉄のように固く、武具にも使用されるという。
牙には猛毒があり、掠めただけで死に至る。そのため暗殺に用いられるというのは有名な話だ。獰猛で、人里に下りれば村ひとつくらいであれば三日もあれば食い尽くす。
そしてそのランクはB級。1級冒険者がパーティを組んで討伐するような強さを誇っている。ともすれば、悪魔神教会の司祭率いる部隊が動いてもおかしくはない。
それほどまでに危険なモンスターだ。ペルセースは自身の修行相手がそこまでの化け物だとは思っていなかったからか、顔が固まっている。
「もちろん、放ってはおけないよね」
ビビるペルセースを逃がすまい、と追い打ちをかけるのは短めの茶髪を携えた少女。
背丈は140センチほどしかない少女は、いつもハツラツとしていて、正義感がとても強い。かわいらしい声をしているが、それとは打って変わって「地獄の炎を操りし者」、炎獄と畏怖されている。
そしてそれを遠くから見るのが幻刃だ。相も変わらず輝く銀髪に、腰に下げた美しい装飾を施された剣がよく似合っている。
ペルセースはそんな面々を見ていると、臆していてもしょうがない。そう吹っ切れた。
「やってやりますよ。B級だか何だか知りませんが蹴散らしてやる!」
「そう、その意気だよ!」
彼の吹っ切れに待ってましたと言わんばかりの合の手を入れる威光。そのタイミングは見事というほかない。
人に好かれる才能、その点において威光の右に出るものはいないであろう。それこそが彼の強みであり、自身に最も真似することのできない強さだと少年は知っていた。
「じゃあ、その前に軽くペルセース君の武器でも見繕ってこうか」
その一言で今日の昼間の予定が決まった。
すぐさまミノス市内で武具屋を回った。安価な鉄の剣や魔導士用の杖の類、獣人ようの着け爪なんてものもあった。
「やっぱ剣が一番使いやすくて手に馴染みますね」
ペルセースは手に持った剣を眺めながら、手になじむかどうかをじっくり吟味する。馴染まないわけがない。なにせ超一流鍛冶師の店に来ているのだから。
ミノスの冒険者通り、そこから少し路地裏に出て、複雑な小道を抜けた先にある小さな工房。ここを出入りできるのは鍛冶師に認められた一部の人間だけだ。
名匠アダス。ここ十数年において最も優れた刀鍛冶といえばだれかと聞かれたら、十中八九この名が返ってくるであろうというほどの匠だ。
「よく馴染むかガキンチョ」
とても小柄な中年男性が額の汗をぬぐいながら、ペルセースのもとに歩み寄ってくる。彼こそがアダス、ドワーフとして北のサルディスで生まれた名工だ。
「あぁ、とても馴染みます!」
「そりゃそうさ。お前のためにわざわざ創ったんだ、そうでなきゃ困るってもんだ」
そう言われ、ペルセースは工房を見回す。耐熱レンガで建てられた工房の中は少し薄暗い。そのためか炉の炎が一層、眩しく感じる。
彼のほかに3人ほどのドワーフが作業をしており、刃を研いだり、鉄を打っていたりと忙しそうだ。
壁に掛けられた武具の数々は、それひとつで家を一軒建てられるほどの価値がある。そんなものを目の前の小さな男が創っているのだ。
「まったくよ、普段はこんなひよっこ用の武器は取り扱ってねぇってのに、威光のやつに頼まれたら断れねぇ」
ペルセースの剣、それは軽く扱いやすい、それでいて強固で鋭い切れ味。柄の部分にはカッコイイ彫刻が為されていてペルセースの心をわしづかみにしてくる。
「そいつの名は水王の剣だ。」
「水王の剣……」
「そうだ。そいつにはちょっとした魔法が込められてる。お前さん限定ではあるが、その剣を媒体として使う魔法のランクが一つ上がるってもんだ」
つまりは水魔法であれば中級水魔法に、中級水魔法であれば上級水魔法に。
確かに強力な効果だ。効果対象者をペルセースに限定したからこそ、成し得たであろう魔法付与だ。
「あいつらは今どこだ?」
「威光さんたちだったら、今頃ギルドでタロスまでの馬車の手続きをしてるはず」
「あのバカに言っとけ。もう武器を壊さないでくれって」
悲痛な嘆きだった。彼曰く、威光をはじめ得意先の使い手はすぐに武器をダメにするそうだ。
「この国の大司教様にも贔屓してもらってるけどよ、あの方もすーぐ壊してきちまうんだ。いったいどんな力で剣を振るってんだか」
確かに、この国の大司教は幾度の戦場を経験して、なお負けを知らないという教会の中でも武闘派だと聞いている。
西のカルデア王国を任されているというのに、度々東のロマニケアとの戦線にも駆り出されている。そのたびに勝利をもたらしているという話だ。
そんな英雄たちの愛用する名工の武器を自分が持つとなると、どうも昂ってしまう。鬼蜘蛛くらい余裕だと。
勿論、そんな余裕が命取りになることくらいは重々承知している。だが、頼もしいことには変わりない。
「アダスさん、ありがと!」
ペルセースは心からの感謝を告げると工房を飛び出した。小道を抜け、冒険者通りを走り、仲間たちのもとへと駆けていく。
「あの小僧、あの銀髪は……イスカリオテの血は途絶えてなかったのか」
その後ろ姿を見ながら、アダスは小声でつぶやいた。何か懐かしいものでも見たかのように。




