圧倒
空は快晴、風も心地よい。
ルナヒスタリカ王国の首都コルトニアの賑わう街の中、満点の笑みを浮かべながらサリアがゲツヤの手を引っ張って連れ回す。
そしてその後ろをレミーナが呆れ顔をして追いかけている。
巡礼の旅で必要な物を揃えようと街で買い物をしている最中であった。
もちろん半ば強引にサリアが2人を連れ出したのだが……
ゲツヤは不満を見せることなく、レミーナは主人の娘に付き従うのは当然の理と誰一人としてサリアに反対することはなかったので問題はなかった。
「こんなものかしらねー」
一通りの買い物を終え、サリアは満足気な様子である。
サリアが購入した物は装飾の少ない大きめの肩掛けカバンと厚手の革靴、そして鳥の美しい細工が施された杖である。
サリアは魔法が得意であり、防衛手段として用いるため少しでも威力増幅のために魔力を増大させることのできる魔法杖を必要とみた。
「お嬢様の魔法杖、大変お美しいです。」
その魔法杖の造形にレミーナが賞賛の声を上げる。
もちろん心からの褒め言葉であった。
「そんな畏まらなくてもいいのに……」
サリアはレミーナにもう少し気軽に接して貰いたいのだが、レミーナにとっては仕える相手であるためそうもいかないというのが実情だ。
サリアの願望に応えることのできないレミーナは、ゲツヤに話を振ることで逃れようと試みる。
「ゲツヤ君は何を買ったのですか?」
ゲツヤは決して声を出した答えようとはしないが、買い物で唯一購入したそれをレミーナに見せた。
小型のナイフ。
形状的には装飾一つない何の変哲もない戦闘用のダガーであるように見えるが、実際には優れた性能が潜んでいる。
このダガーには魔素変換という能力があり、それは所有者の魔素を吸収して斬れ味に変換するというものであった。
それはまさしくゲツヤにとって打って付けの装備であるといえよう。
というのも、ゲツヤには常人の数百倍もの魔素が備わっていた。
そもそも魔素というものは、大気中に存在しているエネルギー物質であり、それをあらゆる生物は体内に取り入れている。
そしてその魔素を魔力に変換し、魔法を放っているのである。
いわば魔素とは燃料であり、魔力とは燃料の消費によって生まれる動力、そして魔法とは動力によって生み出される現象だ。
そして、体内にある魔素は平均的な宮廷魔術師で究極1発、上級3発で底をついてしまう……上級の宮廷魔術師クラスともなるとその例から極端に外れるが……
ゲツヤは未だに魔素切れに陥ったことがない。
なにせその極端に例外な部類、そのさらに例外中の例外にゲツヤは属しているのだから。
つまり、このナイフをゲツヤが使用することで尋常ならざる斬れ味を発揮するという寸法である。
その購入したダガーを披露し終えてそれを腰に装着していたそのとき、一つの影がゲツヤに迫っていた。
その影の持ち主、小さい体で背丈が145センチ程しかない少年。
見た目の幼さに反し、気品に満ち溢れた立ち振る舞いをしており、さらにはその容姿は誰もが認めるであろうほどに整っている。
そんなツンツンとした短い白髪を携えた少年がゲツヤの右肩を軽く二、三度叩いた。
「お前がカゲミネ・ゲツヤか?」
その少年から発せられた声は美少年である見た目に伴ったものであったが、その言葉遣いから武人であることが垣間見える。
「いきなりで悪いが、お前と手合わせを願いたい。」
弱冠12歳くらいの見た目の少年は冷血そうな美しい声音と愛らしい見た目、そして期待と闘志に満ち溢れた眼差しを持って、ゲツヤに勝負を挑もうとしていた。
一見無謀にも見えるこの誘い、だが彼こそが聖騎士の頂点聖騎士長、その次点に来る4人の聖騎士である四大聖騎士の1人、白虎聖騎士クテシフォン=シルヴィスその人であった。
その肩書きまではゲツヤには計り知れなかったが、クテシフォンが相当な実力者であることは察していた。
そして、黙って頷いた。
断る理由も、受けて立たない理由も見受けられない……いや、受けて立ちたいと言わんばかりに。
当然のことながら、その噂は街中に広まり話題を呼んでいた。
連日の決闘場での模擬戦闘、さらにどちらも新人聖騎士による格上相手への挑戦。
昨日は新人の驚くべき勝利に終わったが今日はどちらが勝つのか、皆誰もが激戦となることを予想していた。
そのあまりの熱狂ぶりは、数多くの店が臨時閉店になり、挙げ句の果てには国政の重鎮までもがその職務を投げて決闘場に馳せ参じたほどであった。
しかしそうではない者がいるのもまた事実であった。
それがこのあまりの不平不満に可愛らしい顔を歪めているレミーナである。
「あの、模擬戦だが何だか知らないですが、早く終わらせてくれなきゃ旅の支度が整わないんですが……」
レミーナはわざとらしい大きなため息をついてゲツヤにそう言い放った。
「昨日みたいに遊ばないですぐに終わらせて下さいね……」
レミーナにそう言われ、ゲツヤはただ黙って頷いた。
というよりも、昨日のヴェルギリウスとは比べて今度のクテシフォンはさらに実力を備えているとゲツヤは理解していた。
恐らく、下手に加減などすれば敗北を喫する可能性すらあるほどに。
「ゲツヤ、頑張ってね!」
サリアは美麗なその笑顔でゲツヤを決闘場に送ったが、ゲツヤにその笑顔は届いていなかった。
なにせ、今のゲツヤの頭の中はクテシフォンとの戦闘で占められていたのだから。
クテシフォン=シルヴィスは氷剣流の奥義取得者であり、氷剣流においては右に出るものはないと周囲が認める天才であった。
また史上最年少で聖騎士となり、挙げ句の果てには四大聖騎士にまで上り詰めていた。
聖騎士になった初めこそ同じ聖騎士であった父の跡を辿ろうと必死であったが、二年三年とするうちにその道標をとうに超え前人未到の領域に達していたり
そんな彼は天才の典型的な悩みを抱えていた……
そう、同じレベルで戦える人間が少ないということだ。
ただでさえ少ない上、四天王同士の本気の手合わせは厳禁とされている。
故に昨日のウェルギリウス戦を見たクテシフォンはカゲミネ・ゲツヤこそ自身における真の好敵手だと判断した。
一体どれほど強いのか、まだ本気を見せていないであろうゲツヤの実力にクテシフォンは心を躍らせていた。
しかし、それはゲツヤもまた同じであった。
ゲツヤはクテシフォンを一目見たとき、これまでの敵とは桁違いの強さだと直感的に思った。
同時に、クテシフォンになら本気を少しは出せるのではと期待してもいた。
そんな相手からの模擬戦の申し込みは願ってもいないことだった。
ゲツヤは気づいていない。
今、自身に芽生えている感情、それが失われた〈楽〉の感情であるということを。
実のところ彼の失われた〈楽〉という感情はこの世界に来てから少しずつ戻り始めていたのだが、ここにきて完全に再生していた。
ゲツヤとクテシフォンの初対面から少しばかり時は進み、決闘場に戦闘開始の合図が鳴り響いた。
クテシフォンは氷剣流奥義、白虎爪撃を開始と同時に使用した。
クテシフォンの右手に氷でできた虎の爪が握りしめた木刀を中心に形成される。
左手には右手のものより2回りほど小さい爪が出来上がっていた。
白虎爪撃はこの両手の爪による乱撃である。
クテシフォンの乱撃は昨日のウェルギリウスのものとは比較できぬ程に激しく、まるで荒れ狂う嵐のようであった。
重く速いそのブリザードのような連撃は周囲の観客にまで微弱ながらも衝撃を及ばせていた。
洗練されたその天衣無縫な乱撃は着実とゲツヤにダメージを刻んでいった。
「どうした、攻撃はしてこないのか!?」
防戦に徹し、虎視眈々とチャンスを狙うゲツヤにクテシフォンは挑発をかけ、隙を作ろうとする。
クテシフォンの策が功を成したのか、ゲツヤが防御態勢を解いて攻撃姿勢に入った。
その時を待っていたクテシフォンは此処ぞとばかりに攻め入った。
ゲツヤの懐に入り込み、ゲツヤでなければ致命傷にもなろう一撃を腹にお見舞いしようと腕を構える。
決闘開始から五分と経たないうちに、決着がついてしまうということを観客の誰もが実感した。
流石の昨日の英雄も、四大聖騎士相手には荷が重かったと誰しもが思った。
一部、セルジューク伯並びにその使用人レミーナを除いては……
だが、結果として観客らの予想は部分的には当たっていた。
この瞬間に決着がついたのだから。
予想と違う点は、勝者がゲツヤであったということくらいであろうか。
苦悶の表情を浮かべ、苦痛に満ちた声を上げながらクテシフォンが決闘場の壁まで吹き飛ぶ。
クテシフォンがゲツヤにとどめを刺そうとしたその時に起こった出来事を理解できたものは決闘場にはほとんどいなかった。
ゲツヤは懐に入り込んだクテシフォンの攻撃に合わせ、究極風魔法を放ちクテシフォンの腕の動きを完全に止め、それと同時に 極技・星竜一閃を叩き込んだ。
ゲツヤの一連の動きはほんの一瞬の出来事であった。
まともに極技・星竜一閃を受けたクテシフォンは決闘場の端まで吹き飛ばされ気絶した。
ゲツヤの本気は四大聖騎士すらをも遥かに凌駕していた。
そして、この試合の一部始終を見ていたルナヒスタリカ国王が急遽ゲツヤへの称号授与式を決定した。
国の最高戦力の一角たるクテシフォン=シルヴィスを打ち負かした聖騎士が名無しであっては国の尊厳に関わるという意向であった。
それからすぐさまテミスト城にて前代未聞のスピード出世を果たしたカゲミネ・ゲツヤへの称号授与が行われた。
ゲツヤに贈られた称号は闇聖騎士であった。
その素性が一切闇に隠れており、またその実力も測ることのできない闇のようなものであることから付けられたものだ。
ゲツヤはこの瞬間に晴れて二つ名持ち聖騎士となった。
闇聖騎士ゲツヤに称号授与の記念として、一本の剣が贈呈された。
その剣の名を呪剣。
剣に認められざるものが鞘から抜こうとするとその命を奪われ、認められたもののみ鞘から抜くことができると言い伝えられている曰く付きの剣である。
だが、授与される宝剣を選ぶ際にゲツヤにはこの剣に認められたという実感があった。
はじめは誰しもがこの剣を選ぼうとするゲツヤを制止させようとしたが、それをセルジュークがさらに制止し、ゲツヤに授与される剣が呪剣と決定したのであった。
そして一思いにゲツヤが力を入れると、何の抵抗もなく呪剣は鞘から抜けた。
装飾の禍々しさと相反し、その刀身は美しく、上品に光を反射していた。
儀式をこなし、貴族の来賓や国の重鎮らに挨拶を交わすなど様々な手順を終え、授与式の幕は閉じた。
その後、一行は旅の支度も終えセルジューク邸に馬車で戻った。
食事を終え、落ち着いているところであった。
サリアとレミーナが笑みを浮かべながら談笑していた。
「ゲツヤとレミーナがいれば巡礼の旅も楽々と済みそうね!」
ゲツヤの活躍を2日続けて目の当たりにしたサリアは興奮冷めやらぬといった様子である。
「確かにあそこまで……四大聖騎士の一角をああも簡単にあしらうほど強いとは思ってもいませんでした。」
レミーナはこの世の頂点付近の強さを誇る四大聖騎士に勝利したゲツヤに驚きを隠せないでいた。
かくいうレミーナ自身も聖騎士の一人である身、四大聖騎士の実力がとてつもないものであることを知っている。
「レミーナは少し、ほんの少しだけですがゲツヤ君を見直しました。」
レミーナの辛辣な発言を受け、サリアは「照れ屋なんだから」とどこか嬉しそうに笑っていた。
レミーナはゲツヤを全面的に信頼していなかったが少しだけ信頼を置けるようになったのは確かであった。
日が西に沈んでゆく。
日が再び登るとき、遂に巡礼の旅が始まるのであった。