邂逅
穏やかな風が草花をなびかせる。
何の変哲もなく、全くもって平穏な光景がただひたすらに延々と続く一面緑の草原。
しかし、その緑の海のど真ん中でうねうねと動き回る深緑色の触手たちがわんさかと暴れまわっている。
数にして30本ほど。
そんな悍ましいほどの触手たちが狙う先、そこには汗を散らして必死に逃げ回る少年の姿があった。
ーーーーーーどれほど走ってきたのだろうか、1時間は逃げ回っただろうか……いや、5分も経っていないかもしれない。
ーーーーーーそもそも逃げ切れるのだろうか?
自分の体ほどの太さを誇る緑の触手が逃げる少年、ペルセースのすぐ右を通り地面に直撃する。
触手が地面に到達した瞬間、大きな音を立て地面がえぐれる。
「わわわわわ……次に捕まったらさっきみたいには逃げられないぞ……」
蒼華改めて食人植物、始め奴が正体を現したときペルセースは自身の足が捉えられてしまった。
しかし、咄嗟に腰に仕込んだダガーで触手を切り裂きやっとこさ逃走を図った。
と、安心したのもつかの間で食人植物はこの地に生を受けて数年、張り巡らせてきた根っこと言う名の触手でペルセースの追跡を開始した。
どの触手も一撃でペルセースを葬るだけの威力を持っている。
正直絶望でしかなかった。
だが、こんなところで死ぬわけにはいかない……その一心で脚を動かした。
何度もなんども震える脚を叩いて叱咤激励した。
それが体感1時間、実質15分もの間継続した。
だが、ある程度時間が過ぎた頃から若干の変化が現れ始めた。
触手の動きがだんだん読めるようになってきたのだ。
それからというものギリギリのときもあれば余裕のときもある……そして時間経過とともに前者が減り後者が増えていく、というような状況になっていた。
このままいけば逃げられる……そうペルセースは思っていた。
「……やられた……」
そう声をこぼすペルセースは、食人植物のいる方向を向きながら後ずさりをする。
背中に広がる感触、それはまるで樹木の幹のよう。
前方からはじわりじわりと迫ってくる触手たち、そしてどうやって動いてきたのか食人植物本体も目の前まで来ていた。
絶体絶命。
なにせ、ペルセースの背後には触手で形成された高さ20メートルはゆうにあるであろう壁ができていた。
恐らくは始めから仕組まれていたことだったのであろう。
数本の触手をこの壁を作るために温存しておき、残りのもので獲物を追い詰める。
その策謀にまんまと引っかかったというわけだ。
植物との知恵比べに負けた、という屈辱感がペルセースを襲い、それと同時に死への恐怖も身体を蝕んでいく。
「死ぬ、のか……?」
自身の最期を悟り息を飲む。
「……黙って殺されてたまるかよ!!」
腰に下げた安物の剣、それを鞘から引き抜きペルセースは敵本体を切り込みにかかる。
前方からはペルセースを阻むべく触手が突っ込んでくる、それを間一髪のところでかわす、かわす、かわす。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
天に掲げた剣、それが今一気に振り下ろされる……
空に伸びた剣と腕、それは振り下ろされることなく天に昇ったまま。
それどころかペルセースの体が宙へ浮く。
前方からの触手攻撃はフェイク、本命は避けたと思わせといて、仕込んでおいた触手を地面から生やしてペルセースを拘束することだった。
またしてもまんまと罠にはまるペルセース、そして今度こそ希望は潰えた。
触手が身体中を縛り、その強い締め付けの力に骨が軋む。
口からは苦悶の声と若干の血が溢れる。
目はじんわりと涙に濡れ、抜け出そうと身体に力を入れてもビクともしない。
ーーーーーー終わった……
徐々に動かされる体、それは食人植物の花弁近くに運ばれる。
美しく咲いた蒼い花、それが中心で裂けそこから無数の鋭い牙が姿を現わす。
牙は唾液に濡れ、奴の体の奥に続くであろう空洞は食事が始まるのを今か今かと待ち構え大きく開いている。
「あっ……」
身体を締め付ける力が弱まるのを感じ、重力が作用してくるのも感じた。
そして、ペルセースの体は奈落の穴に落ちてゆく……
脳裏によぎる数多の記憶、走馬灯とでもいうのだろうか。
孤児院の院長や皆んなの顔が浮かんでは消えてそしてまた浮かんで、と次から次に思い出される。
次は冒険者ギルドの連中だ。
初心者にアドバイスは下すものの、実際には自分の実力はゴツい見た目に反して大したことのないガルムや、ひょうきんな双子のチャックとチック、臆病なくせして魔法使いとしての実力だけは超一流なジェルナ、そして皆んなの憧れの的である看板娘のルイジェリー……
もうみんなに会えないのかと思うと寂しくて仕方がない。
それに……まだ、夢を叶えていないのに……
あの無数の牙に無残にも噛みちぎられて殺される、その避けられない死は確実に迫ってきているのだ。
だが、ペルセースの死に先立って他の者が死を迎えた。
その死は唐突に訪れた。
その一部始終をペルセースは全て目にしていた、目にしていたからこそ理解ができなかった。
それは食人植物の死。
何故に奴が死んだのか、それは奴の身体が瞬時にして木っ端微塵になったからだ。
では何故に奴の身体は木っ端微塵になったのか、それも明瞭。
無数の斬撃が食人植物を襲ったからだ。
それでは何故に無数の斬撃を浴びたのか……それが分からない。
何せ何もないところから突然バラバラになったのだから。
こんなこと、不可視の剣でも存在しない限りあり得るはずもない。
死から逃れたというものの、ペルセースの頭の中は何故助かったのかという疑問でいっぱいなのである。
自分の体を持ち上げていた触手も斬り刻まれ、勢いよく尻餅をついたせいか若干痛む尻をさすりながらも思考を巡らす。
そうしていると、突然後方から
「無事だったかい?」
とペルセースの無事を確認する優しくも力強い、そんな印象を抱かせる声が聞こえてきた。
ペルセースは声の元を辿り、後ろを振り返る。
「あんたは……」
振り返るとともにペルセースの双眸が大きく開いた。
そこにいたのは、一人の男だった。
頭から足元まで垂れ下がった黒い外套、そして顔面を隠す山羊のような仮面。
この男が誰か、そんなことこの風貌だけで一目瞭然だった。
「威光……!?」
それは弱小の12級冒険者ペルセースが憧れの英雄級冒険者と邂逅をなした瞬間であった。




