帝国の窮地
ラルトより少し離れた砂漠地帯、ひたすら砂の海が広がっているその中にポツリと置かれた岩。
その影でサリア、レミーナ、メーナは休息をとっていた。
レミーナとメーナは体力、魔素ともに殆ど残されておらず、サリアに至っては未だ意識が戻らない。
山羊の仮面を付けた悪魔との戦闘で疲弊した3人は、テオドア軍の指揮官クラスの将の勧めもありこの岩陰で休んでいる。
すぐにでも戦線に戻らなければ、という強い思いは自由に動かない身体が否定してくる。
仮に無理して戦闘に参加したとしても、足手纏いになることは一目瞭然である。
己の不甲斐なさに唇を噛むレミーナ、小さな手で力強く拳を握るメーナ、2人とも何もできないこの状況が歯痒くて仕方がない。
「……ボクたち、行かなくて大丈夫かな?」
行っても無駄と分かりきっている、それでも聞かずにはいられない……その気持ちはレミーナにも痛いほどわかる。
だが、それは無意味な質問。
胸を痛めつつ、レミーナは静かに首を横に振ってメーナの考えを否定する。
「レミーナたちが戦線に戻ったところで事態は変わりませんよ……。」
そう、何も変わらない。
突如として現れた敵援軍の悪魔信仰者らは、西のカルデア王国の武器、魔銃を担いで来た。
魔銃とはその製造方法、仕組み共にカルデアの最高機密であり他国には到底真似することができない兵器。
その威力も相まって、現状ではカルデア王国が最も大陸内の国では勢力が強かった。
ただ少ない分かっていることは、銃口から魔石でできた銃弾が飛んでくることだ。
魔石とは、一つだけ魔法を込めることのできる医師のこと……それを射出するのが魔銃。
その石に魔法が込められていないとしても充分に殺傷能力はある、だが魔法が込められたとなればその威力はとてつもないものだ。
魔法は術者の能力に左右されすぎる、その欠点を改善したとも言えるのがこの魔銃なのだ。
銃弾の速度は宮廷魔術師の魔法にも引けを取らない、その上込められた魔法がただの火魔法であっても貫通力のある火魔法へと変貌を遂げる。
それに、戦場で魔素を消費することも詠唱をすることをも省くことができる……まさに世界のパワーバランスを崩した兵器だ。
しかし、その魔銃の製造法を独占しているカルデア王国は比較的温厚な国柄であり、これまではさしたる脅威ではなかった……が、その技術が悪魔信仰者に渡ったとなれば事態は最悪だ。
正直、魔銃が標準装備になった時点で悪魔信仰者に対抗することができるのがカルデア王国だけになってしまう。
つまり……テオドア帝国に勝機はないことを意味している。
先ほどから戦場に響く破裂音、それは紛れも無い魔銃の音だ。
初めはレミーナも耳を疑ったが、何度も何度も響き渡るその銃声が彼女の淡い希望を打ち砕いていった。
そんな戦場に戻ったところで、犬死するのは当然と言えよう。
「だから……ここで指示を待ってましょう、メーナちゃん。」
メーナに魔銃の説明をし、冷静にさせようとレミーナはメーナの頭を優しく撫でる。
耳の部分が心地良いのか、メーナはそこを撫でられると至福の表情を浮かべた。
だが、メーナはすぐに頭を振ってレミーナの手を払いのける。
「違う違う!戦線に、じゃなくてゲツヤのところにだよ!ゲツヤのとこに行かなくていいの?」
彼女が案じていたのはテオドア帝国のことでは無い、愛しいゲツヤだ。
絶え間なく鼓膜を震わせる銃声がゲツヤの安否を心配させていた。
ゲツヤも魔銃の餌食になってしまったのでは、と考えると気が気でなかった。
もしそうだとしたら、すぐにでも治療が必要……だからメーナたちが行かなくて誰が行くのか、そう考えていた。
レミーナも、それを聞き心に曇がかかる。
見上げれば青空、レミーナの悩みなどちっぽけにすぎないのだと天空が嘲笑っているかのように……。
だが、その青空が最も不安を招く。
一時世界を染めた暗黒、世界を覆ったその闇から感じ取れた魔力はまさしくゲツヤのものであった。
あれほどの魔法を発動させるなんてやはりゲツヤは凄い、と感心したのもつかの間今ではそれが嘘のように晴れ渡っている。
それが何を意味するのか……考えただけでも恐ろしい。
思考を巡らせれば巡らせるほど顔色が悪くなるレミーナとメーナ。
「し……心配、いらない……わ、よ……。」
それは弱々しい声ながら力強い言葉だった。
「サリアお嬢様!?目が覚めたのですね!……あっ、でもまだ喋ってはいけません!」
「そうだよ、まだサリアは無茶しちゃダメだよ!」
上体を起こしたサリア、そんな彼女の背中をレミーナとメーナが支える。
「う……ありがとう。ゲツヤなら、大丈夫……。」
レミーナがゆっくりと再びサリアを寝かせている中、サリアは優しく微笑みかける。
その微笑みを見て、何かに気づいたかのようにメーナの表情が暗いものから笑顔に変わった。
「……うん、そうだね!それよりミツヒだっけ?あいつの方がボクは心配だなあ。一応新しいお仲間なんだし!」
「たしかに……そうですね。」
メーナの冗談?を聞き、サリアとレミーナも笑い出した。
血で血を洗う戦禍から救い出された3人の可愛らしい笑い声のハーモニーが弾んでいた。
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一方ラルト、戦争勃発前は砂岩で建てられた家々や商人たちの店が立ち並び繁栄していた街並みは今やボロボロと廃墟と化していた。
家屋は壊され屋台は木屑になり橋は崩れ落ちて、街のいたるところから火の手が上がっている。
街中から響く炸裂音は敵の援軍が放った魔銃の音であろう。
血と硝煙の香りが戦場を覆い尽くし、街のあちこちに死体が転がっている。
白っぽい砂岩で敷き詰められていた道は、赤黒く染められており足を踏み出すたびに足が地面に粘着するかのような不快な音が鳴る。
おおよそ、ラルトの3/4が敵の手に落ちたといっても過言ではなかろう。
それを証拠に最終防衛ラインであるエトナ城のすぐ側まで敵の軍勢が迫っていた。
エトナ城を囲う掘り、そこからすぐの所にある中央広場が最後の砦である。
ここを陥されれば撤退せざるおえない。
だがこの中央広場が包囲されてから早1時間、今の所何一つ広場に変化はなかった。
傷一つ広場にはついていないのだ。
広場から一歩外に踏み出せば地獄絵図が広がっているというのに、ここだけは未だ平和そのものであった。
というのも……
「広場北側から侵入!」
1人のテオドア兵が広場に敵が侵入してきたことを大声で告げる。
だが、そんな事態にも関わらずその兵の声に焦りは見えなかった。
「了解!」
それは力強く明るい声、ミツヒの声だった。
兵からの報告を受けたミツヒは、表情一つ変えることなく広場北を目指す。
ーー中央広場北
悪魔信仰者広場侵入を許してしまい、奥まで攻め入られるのを防ぐべく兵士達が体を張って時間を稼いでいる。
悪魔信仰者の刀を間一髪で剣で受け止めた1人の兵士が冷や汗をかきながらも視界の中にミツヒが入ってきたことを確認する。
「くっ……あ、ミツヒさん!」
その一言、それが次から次に波紋のように兵達の間で広がって行き、どんどん指揮が高まってゆく。
「待たせた。すぐに助ける!」
そう言ってミツヒが悪魔信仰者たちの前に立ちはだかると、他のテオドア兵たちはその場から逃れてゆく。
逃げる兵達を追いかけようと悪魔信仰者たちがその場から離れようとすると……
「おっと、あの人たちは貴方達に殺されるのが怖くて逃げたんじゃない。僕の魔法の巻き添えを食らうのを避けるために離れただけだよ!」
次々と悪魔信仰者たちの周りに現れる白く輝く魔法陣、しかも一つ一つに強大な魔力が込められている。
「ちょっと痛い目にあってもらうよ!」
少しばかりミツヒの声が低くなる……まるでこの先の行いを悔いるかのように。
そして魔法を発動させる。
魔法陣の数々から姿をあらわす筒状の物体、それは彼らにとってはもう見慣れた魔銃であった。
それらの銃口が自身に向けられているのを察知し、今まで散々射殺してきたテオドア兵の姿が思い起こされる。
自分もああなるのだろうかと想像を巡らすと膝が笑いだす、しかしそれでも……命を捨ててでも戦い抜くのが悪魔信仰者である。
教義に逆らうことは重罪、恐怖など手足を止めるには不十分すぎる。
決死の覚悟で攻撃を仕掛ける悪魔信仰者たち、そんな彼らを裁きの光が遮る。
「究極光魔法」
数多の銃口から放たれる黄金に輝くライン、それは触れたものを消滅させる。
悪魔信仰者たちの全滅は免れまい、頭や心臓といった急所を撃ち抜くだけで良いのだから。
全てを消し去る光、それは悪魔信仰者たちが懺悔する間も許すことなく彼らを貫いた。
「がぁぁ!ぐはっ……げほっ……な、なんて魔銃だ……。」
右肩に直径10センチほどの穴が空いた悪魔信仰者がミツヒを睨む。
「何してるんです!?早く撤退してください!」
だがミツヒはその悪魔信仰者に……いや、その場にいた悪魔信仰者全員に撤退を勧告した。
全員がミツヒのビームに貫かれたというのに、だ。
それもそのはず、先ほどの光線は一つとして急所に命中していないのだから。
肩や腕など即死しない所に小さな穴を開けたにすぎない、それは人に死んでほしくない、人を殺めたくないというミツヒの願望であった。
世迷言と誰もがいうであろう、そんなことは不可能だと、でもそれを可能とするのがミツヒであった。
ミツヒの究極光魔法の精度は恐るべきものであった。
100mほど離れた先にいる複数の敵を同時に射撃して、かつ一切のズレを許さなかったのだから。
探知魔法で敵の位置を脳内にインプットし、その後の敵の移動を脳が自動で捉える。
それによる位置情報を光魔法と連動させ、銃口が常に敵を捕捉する。
あとはミツヒが魔法を発動させるだけ……。
常人には不可能なこの一連の動作をごく短時間で処理しきる辺り、ミツヒもゲツヤと同等もしくはそれ以上の才能を持っている。
敵の位置を記憶し、複数の敵を同時に射撃する……しかも正確に、不殺を貫く。
それを考えついたとき、何となくできそうな気がしていた……そして案の定難なくこなせた。
「名付けて……同時多発的神罰!」
自分の編み出した技に名をつけている暇がある……だが、それもじきになくなるだろう。
テオドア兵による防衛ラインが崩れるのは時間の問題、今は時折切り抜けて来た敵が侵入してくるだけだが、崩れたらそうはいかない。
恐らくミツヒでも対処しきることは不可能であろう……。
だから……
「ゲツヤ、アリスさん……早く何とかしてください……。」
この状況を何とかできそうな2人に頼ることしかできないのであった……。
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次から次に報告される戦線後退、中央広場への敵の侵入。
魔銃部隊の増援がこの戦争の戦況を一気に傾け、その余りに一方的な展開がエトナ城内を混乱に陥れている。
テオドア帝国はおろか他国にまで名が知れ渡った知に長けた高官や将たちですらお手上げの状態、もはやテオドア帝国に勝利の美酒がもたらされることはない。
重臣たちが今後の方針について議論しあう中、女帝アリスは頬づえをついてその討論を傍観する。
いかに彼女が有能な皇帝であっても、この状況の打破は困難であった。
正直に答えて、ここから戦況を覆すことはほぼ不可能。
頼みの綱のゲツヤとミツヒも持ち場を離れることが叶わない状況でサリアたちの遊撃隊も行動不能。
故に、今後取るべき策は……
「我がテオドア帝国は首都ラルト……すなわち国を捨て、ここよりさらに東に撤退します!」
気怠げに頬づえをついていたアリスは突如力強く机を叩いて立ち上がった。
そしてアリスの口から出された撤退宣言、それを聞いた重臣たちの間にどよめきが走る。
2、3秒間が空いて、まだ驚きを隠せずにいる1人の大臣が異論を唱えた。
「お、お言葉ですが……それではテオドア帝国が滅び……。」
「確かに一旦は滅亡という形になるでしょう。」
「でしたらそんなことご先祖様が認めるわけが……」
「先祖の霊など、私たちに何の利益ももたらしたりはしない!今の勝利は今生きる私たちにしか手にすることはできない!」
保守的な大臣の口から出た先祖という言葉、アリスは先祖や伝統という言葉が大嫌いだ。
そんなもの、今という現実から逃れるためのまやかし以外の何でもない。
アリスは先祖頼みのその思想をピシャリと否定する。
「今は勝てない、しかし長期的にみて最終的に勝利すれば良いのです!そのためにも今は一時撤退して体勢を立て直す必要があります。」
アリスの熱意のこもった弁論、それがバラバラになっていた臣下たちの心を統一した。
これにより、テオドア帝国は撤退へと方向転換した。
(ですが、撤退を成功させる前提条件がまだ達成されてないようですね……)
撤退の準備に取り掛かる臣下たちを前に、アリスは遠い空を見つめる。
斥候からの情報によると、2人の大司教がこの戦争に加わっているらしい……だが、恐らくその2人はゲツヤの元に行っていると推測できる。
仮にその2人に勝利したのなら、帝国の撤退はおろか勝利すら見えてくる……だが、この様子だと辛勝もしくは敗北……。
辛勝ならば撤退は可能だが、敗北ならば撤退すら叶わないであろう……ミツヒを大司教にぶつけるにはまだ時期尚早というものだ。
故にガゲミネ・ゲツヤがこの戦争の全てを握っていると言っても過言ではない……いや、全てを握っていると断言できる。
青く澄んだ空を見て、アリスはゲツヤの勝利を祈ったのであった。




