今世紀初の混沌のはじまり
「最後に……これはゲームであっても遊びではない。冒険者、いや、プレイヤー達よ。我々、究極世界運営委員会を倒して現実世界を取り戻してみせろ」
何が現実で、真実で、事実で、本当なのか。
仮想世界と現実世界の区別出来る定義が無くなった。この日から。
それがこの全く新しいゲーム。
HMDとゲームディスクで広大な仮想の幻想世界を冒険できる。これまでの、狭い空間で積木をして遊ぶだの、サッカーや野球などのスポーツをわざわざ仮想世界で楽しむだの、牧場主として畑を耕したり牛を育てたりだのとうんざりするゲームとは全く違う。
ついに、人は自分たちの暮らす世界と似て非なる広大な世界を手に入れたのだ。
電源のスイッチに触れれば、ひとたび人は現実と切り離され、仮想世界の冒険者となる。
乾いた土に、足がしっかりと立ち、木々や草原の青い匂いが蒼穹の大空の爽やかな風に乗って鼻孔を刺激する。
見渡せば視界のどこまでも広がる草原、森、山脈、海、空。人工の街、港、国、空中宮殿。
心地良い自然を感じる、現実の都会とは違う本物の空気。まるで別世界に迷い込んだような。
そんなよくあるRPGゲームの世界を自分の足で、力で冒険するのだ。まるでRPGの主人公のよう。時には友達、他の見知らぬ冒険者やゲーム内のメインキャラ、モブなどと交流することもある。
戦って、強くなって、設定された大きな運命に立ち向かう。
きっとそんな世界が待ち受けているのだろうと疑いもしなかった。
西暦2035年、今年もあと僅かな真冬の12月にそれは果たされた。
しかしそれは決して喜ばしい出来事ではなかった。何故なら、これから起こるゲームプロデューサーらの説明で、ここはそんな夢見心地を期待させる場所ではなく、地獄が見せる混沌の世界であると気付かせたのだ。
このゲームが発売されても始めることは出来なかった。製作者側が指定した日時にならないと起動しなかったのだ。オンラインゲームでもあるこのゲームを最初から華々《はなばな》しく、皆で楽しめるようにとの配慮らしかった。
当然発売前に告知されていた。全世界のゲームをダウンロードした者達は少々不満を覚えただろうが、そんな不満はゲーム起動開始時間から1分と経たずに解放、解消され、「旅立ちの地」とされている真っ白で、床も壁も天井もあるのかないのか分からない空間に軍団のように溢れかえった。皆同じ平凡な顔立ちをした男性や女性のアバターだ。体格までも全て統一されている。少し奇妙な光景だった。
オープニングセレモニーはゲーム内の仮想空間。
そんな真っ白な世界でゲーム製作側である「究極世界運営委員会」と名乗るゲームプロデューサー達、いや代表と思われる人物が「これはゲームであっても、遊びではない」と言った。男の低い声だけが聞こえる。低いがはっきりと耳に響く。おそらくまだ若い。30代前半だろうか。
そして、「このゲームでのヒットポイントが0になった瞬間、復活することも出来ずに永久退場となる。現実世界の君達の脳もHMDで焼かれそちらとも永久にお別れになる」とも付け加えた。
いきなり何を言うのだろう。今何と。いきなりそんなことを言われても頭に入るわけがなかった。最初は誰もがそう思った。
誰かが、先入観持たせてくれて演出乙~、大げさだなぁ、などと白い空間のどこかに向かって言っていて冗談だと捉えていた。
この時の僕もそう思っていた。しかし、代表と思われる男は冒険者たちの困惑やガヤに全く反応せずに、冗談ではない口調で説明を続ける。
「このゲームの公式ウェブサイトやパッケージの説明は忘れてもらいたい。確かにここは、ファンタジックな世界で広大な大地に凶暴なモンスターもいる。そしてもちろん、君達は冒険者だ。だがほとんどの冒険者は楽しむ事はないだろう。先にも言った通り、ヒットポイント、つまり諸君の大事な命であるHPが0になればその瞬間、この世界はもちろんの事、現実世界とも永久退場してもらうことになる。脳死によって。仮想の死は本物の死になる」
姿のない声は、直接自分自身に語りかけられているようで。自分の意識はどこか遠く。そういえばここはどこだ? 真っ白しか見えない。
自分達が放った言葉に耳を貸さず、淡々と説明を続ける代表に不安を覚えた者が何人か出てきたようだ。声を出す者は少なくなる。
僕も少し不安を感じ、嫌な予感がした。
「しかし、いきなりそんな事実を受け入れるのも困難であり、不安も感じよう。諸君らはこのゲームに囚われ現実世界に帰還出来ない訳ではない。いつでも好きな時にログアウトすれば現実へと戻ってこられる」
閉じ込めるわけではないのか。なら、すぐにでもログアウトして二度と戻りはしないだろう。このゲームに何の意味が。
「だが、1ヶ月のうち、ゲーム内での10日間以上はゲームのプレイを強制する。そして、毎週の土曜日午後15時から18時までの時間帯はイベントとしてフィールドをさまよい歩いてもらう。もしくはストーリーのプレイだ。その間は死の恐怖から逃れることは出来ない。尚、10日間以上のプレイが確認されなかった場合、イベントに1分1秒と遅れた場合、その冒険者はその個人情報が全て公衆の面前に、インターネットに公開されることになる」
途端にどよめきで溢れ出す群衆、いや集団というのだろうか。不安な表情を隠しきれない者達。プレイが確認されなければ個人情報の公開。それは今の社会において、命を落とすのと同様だ。
20年前の平成の社会でも充分危ない事ではあったが、今とは比べるまでもない。何故なら、現代社会は情報統制され個人のプライバシーよりも国家の安全が優先された恒久的平和と政府が謳う、いわばディストピアと変わらない社会だからだ。今の現代を説明するのは長くなる。
個人に価値はなく集団に価値の置かれる情報管理社会。「1人は皆のために」という精神だ。決して「皆は1人のために」は付け足されない。高等生命である我々、人間という種族は社会的な重要リソースであり、尊重されなければならない。しかし、人間外の行動をとった者は畜生とされ社会に生きる資格無しと迫害。という形なのだ。
僕は個人を尊重した民主主義の時代の方が好きだ。
犯罪を犯した者は人間であることを否定され居住権を失う。他にも、人間であることを否定され居住権を取り上げられる者はいる。この社会になってからというもの、ストレスが付き物になってくる。職を失った者や廃人と呼ばれる者達はそれが関わって社会から追放される。人付き合いを嫌った現代は仕事の倫理すら歪めてしまったのだ。
現代の社会にストレスが付き物であることは予想され、健康管理、維持するためのナノマシンが開発、導入されてはいた。でも、その管理は徹底的すぎた。食事も運動量も睡眠も体内の異常に対する抗体も全てそのナノマシンが判断、解決方法を提示し、病気という病気、無駄な老衰が起きなくなっていった。それがいけなかった。
過剰な優しさを人々に与え、包み込んだナノマシンは、代わりに人々からストレスに対する免疫を奪っていった。負の感情に不慣れな人々はナノマシンがあっても辛い現実から一時的にしか逃れることが出来ず、逆にその証明が生活困難のレートを加速させた。
それに憂鬱感情のコントロールなどが物事の興味、関心を薄れさせ、嗜好品などの商品やスポーツ、習い教室等の技術が売れなくなった。向上心の技術が。感情という抵抗を失った廃人や、商売を生活の糧にする人々もナノマシンに支配され、おかげで社会から追放する数を増やした。
ナノマシンの脅威は感情コントロールに留まらず、この情報管理社会で1人1人を束縛、監視するツールにもなっている。そうすることで犯罪などの悪を簡単に対処することが出来てしまう。社会が人間の悪い部分を引き出す構造になっているならナノマシンで人間を正そうと、そういうことだ。
実際、ナノマシンの登場と社会の変革で今では事故死が0になり、犯罪も20年前と比べて9割以上も減少した。今年の日本の犯罪件数は警察庁によればたったの1126件。平成の頃は毎年、50万やら60万やらと犯罪があった。
だけどそれでも、この社会は厳しい。負の感情を公共で見かけなくなった現代でも、荒廃区に集まる人間が毎年数千単位で増えている。昔と比べれば、究極の平和が訪れた。しかし、その平和はじわりじわりと人間の数を減らしていっている。
ナノマシンは結果、麻薬だ。それでもこの社会で便利すぎる代物はもはや誰にとっても欠かせない物だ。人をダメにすると分かっていても。
平和を願って痛みを取り去った驚異的な技術と時代は、人間社会論的な大きなデメリットで世界を覆い尽くしてしまった。生きる意味が薄くなった。ストレスの強大化と人を麻痺させるナノマシン。それらが現代で暮らし続ける必要なものであると同時に、暮らしていけなくなる要因を作り出す。
社会から追放された人々は、社会に生きる人間から「人間」として扱ってはくれない。無職、犯罪者、廃人は廃棄区画へと追いやられる。彼らはその地獄から抜け出し、もう一度社会に生きられるなら、他人に成りすましてでも居住権を奪う。手口は巧妙だ。政府、警察を欺いたり、見破られたりでイタチごっこになっていても終わらない。
現代社会の恩恵を受けられる場所でしか生きていくことは出来ない。外は荒廃区と紛争地帯、もはや激しいフロンティア。
そういうわけで、この醜い社会で個人情報の流出は死と同様だ。
とてつもなく大事な命をゲームの制作側に人質に取られた僕達、冒険者はこれから起こる広大な大地に敷かれたレールに沿って、殺戮と混沌を見ることになるのかもしれない。
仮初めの自分のアバターからは額から頬、顎にかけてゆっくりと仮想で造られた汗が流れ落ちていく。代表と思われる男は続ける。
「どういう仕組みで個人情報が流せるか簡潔に言うと、1つはHMDの進化で脳のありとあらゆる情報の取得、ナノマシンとデータベースを繋げることが可能になったこと。もう1つは情報管理、統制する世界唯一のシステムの乗っ取りに成功したことが理由だ」
再びどよめきで空間を埋め尽くす冒険者達。まさか「アースネット」を占拠したっていうのか? 不安がここにいる者達をよりいっそう深く支配する。
世界で唯一の全地球情報管理局「アースネット」を占拠するなんて、そんなことが可能なはずがない。ナノマシンの個別情報の送信先、それが世界の救済と混沌をもたらした「アースネット」。
まさか、冗談でここまで淡白に言うはずもない。
完全な沈黙。
「どうやら、少しは信じたみたいだな。次にこのゲームでのルールを説明する……」
もう聞きたくない。悪夢なら覚めてくれ。
「まずこのゲームの世界は現実世界と時間が平行ではない。現実世界での1日はこのゲームの仮想世界での1週間となる。つまり1時間が7時間になる。この時間意識拡張もHMDの内臓する、脳の刺激を行うシステムに組み込まれている。人間の脳の寿命は生涯の後、30から50年は保つとされている。その残った時間も余さずこの世界で使ってもらう。次に戦闘のシステムとルール、死に関する内容についてだ……」
一方的すぎる。どうしてこんな理不尽な事を淡々と言い続けるのだろう。
少し長かった説明が10分経ってようやく終わる。
「……以上でこのゲームの説明を終了する。この説明は諸君らの命に関わる大事な事だから直接伝えたが、メニューのヘルプ覧でも確認できる」
一呼吸おいて、
「最後に……これはゲームであっても遊びではない。冒険者、いやプレイヤー達よ。我々、究極世界運営委員会を倒して現実世界を取り戻してみせろ」
説明が終わると、真っ白な空間はしばらく静寂に包まれる。声の主は消えたという事だろう。
自分(仮初めのアバター)の前に白いパネルが音を立てて現れる。
「Thank You for Playing!! Welcome to The TUW!!」と表示される。
もはや何も頭に入らない。ただただ、真っ白だ。放心している。
本当に、悪夢なら覚めてくれと何度も願った。
自分の頭の中に機械的な女性の指向性音声が流れ始める。
「ようこそ、ザ・アルティメット・ワールドへ。まずは、貴方のこの世界での分身となる冒険者を設定していただきます。これは貴方を示し、区別する大切な情報です。再設定は出来ませんので慎重に……」
全て現実だった。悪夢なんかじゃ無かった。
ただ、退屈な人生に刺激を求めただけなのに。今ここにいる人達と同様で、僕もこのゲームで遊んでみたかっただけなのに。
唯一の価値ある娯楽までこの有様。
僕達はデスゲームに囚われたのだ。ゲームで死んだ者は本当に死んでしまった。ニュースがそれを伝え、ゲームの入手規制をかけ政府と警察は今後の被害者拡大を防ぐ見通しだと語った。
ディストピアという現実も、ゲームという仮想も違いなんて無くなった。
どちらも生きる意志を奪おうとしてくる無情な世界だった。区別なんてない。
僕達は冒険者なんかじゃ無かった。ただのゲームのプレイヤーでしかなかった。
僕達はこの日から死の恐怖に直面したんだ。
このゲームの名は「The Ultimate World」。TUW。
もうひとつの世界。