関東ヒイク御三家相剋宝くじ
私の紹介をしておくと、日本は関東に棲まうチュダイである。名を秤山丈雲という。読者諸賢の中には、ねずみのくせに生意気な、とお思いになる方もおられようが、先祖代々受け継いできた私の苗字と、我が父が勝手につけた私の名前である。文句があるなら先祖に伝えていただきたい。
秤山家といえば、関東チュダイの中でも最も由緒正しい家柄の一つである。中でも秤山家の祖とうたわれる秤山太郎蒼水は、鎌倉幕府第三代将軍源実朝公の狩衣を、一夜にしてボロ布と化させたという伝説のチュダイだ。さらに時代をさかのぼると、遣唐使と共に海を渡ってきた大陸チュダイに源を求められるらしいが、このあたりは神話化されていて、信用するには少々怪しげである。いったいどうすれば、嵐の中で波風を静め、遣唐使にひざまずかれて感謝された上に、その時代にはないはずのチーズを一生与え続けられることが出来ようか。
ともかく、古くから連綿と受け継がれるこの秤山の家系を、そのとんがった鼻にかけること甚だしかったのが、家督でもあった我が父、秤山封雲である。父は秤山家こそ関東チュダイの頂点に立つべき家柄であると信じて疑わず、自由勝手に驕りたかぶり、せっかくの秤山の家名を台無し寸前にまで貶めた、畜生ともいうべきチュダイだ。幸いにして、秤山家の評判が奈落の底を突き抜ける前に大往生を遂げ、家督は私の叔父に当たる秤山封風に代わった。封風叔父は今、かつての評判を取り戻そうと躍起になっている最中である。
しかしながら、名は体を表すとはよくいったもので、威厳の欠片も感じさせない「ふうふう」という名を持つ叔父は、やはりまだらの毛色に張りのないひげ、尻尾だけみみずのように丸々と太っていて、実に見た目にだらしがない。そのため多くの関東チュダイが陰でこっそり馬鹿にしている。甥である私がこっそり馬鹿にしているのだから、おそらく関東中のチュダイがこっそり馬鹿にしている。
そうやって秤山家が評判を落とし続ける一方、最近とみに評判を上げているのが盤桜家である。家督の盤桜由香里は美しく頭も切れて、浮いた噂もとんと聞くことがない、実に信頼のおける雌である。いや、由香里に限らず、盤桜の家の者はひげの抜け落ちた老鼠から目の開かぬ幼鼠までことごとく誠実だ。これからの関東チュダイをまとめていくにふさわしい家名を挙げよといわれたなら、私はまず盤桜を推す。
念のため申し添えるが、これは決して、私が盤桜由香里の一匹娘である盤桜由依花に惚れているがゆえのひいき目ではない。くれぐれも念のため申し添える。
盤桜由依花嬢こそは、曇天の隙間に浮かぶ朧月、淀みに咲く一輪の睡蓮、戸棚に忘れられたエメンタールチーズ。その毛並みは緻密かつ細やか、風を受ければ麦秋の畑のように輝き波打ち、整った鼻のわきにはすっと伸びたひげが行儀よく整列している。まるで深い泉のように澄み切った黒く大きな瞳は、時たまひらりときらめいて冷たい賢さを匂わせる。ぴんと立った耳、しなやかな足、あえて難くせを付けるとすれば古傷のある尻尾だが、なにもかも完全ならば魅力も半減というものだ。
まったく絶世の美雌といっても過言ではないが、由依花嬢はその美貌に驕ることなく、一匹の兄と二匹の弟の世話を甲斐甲斐しくこなす働き者、さらにぐうたら者とはいえ由木彦という兄がいるので跡目を継ぐ必要もなく、結果鷹揚な性格に育ったと聞く。
聞く、というのは私が岡惚れをしているからで、実際には一日を共に過ごしたことすらない。由木彦とは幼いころから悪友で、共にさんざ悪さをしたものだが、そういったいたずらに関わるでもなく、いつも遠くから我々を見つめ、封雲や由香里にこっぴどく叱られているのを見て、あるいは朗らかに笑い、あるいは心配そうな眼差しを送っていたのが由依花である。いつしか私は惚れこんだ。惚れたと自覚してからは、由木彦に会いに行くのもどこか由依花の影を追うような気恥ずかしさがあり、このころは奴ともとんと付き合いをしていない。ますます私の恋路は細くなるばかりだが、険しい道を乗り越えてこそ、恋は愛に実るものとも聞いている。
由木彦と付き合いが遠くなる代わりに、最近私が懇意にさせてもらっているのが滝緒秋伍である。彼は私と同い年でありながら、秤山家に次ぐ歴史を誇るともいわれる滝緒家の家督を務める雄だ。
滝緒家は、昔から鼠付き合いを好まぬ者が多く、他の者たちが家名を上げようと汲々とする中、凛として孤高の構えを崩さないのが特徴である。その上、人間の考え出した宗教というものに熱心で、親鸞とかなんとかいう男の言葉を拝借して「善人なをもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや、ましておいてや鼠をや」と、誰彼ともなく教えを説くので、その位地を一層高めていき、今や孤高というより孤絶といった様相まで醸している。
その滝緒家の家督である、いかに偏屈な雄かと思っていたのだが、会ってみれば年相応に馬鹿な冗談も話せば下品なことに熱心でもあり、実に鼠好きのする青年であった。このところ一月ほど、私が秋伍の棲まいに逗留しているのも、彼のことを気に入ったからであり、決して現実から逃げているわけではないことを強調しておく。
滝緒秋伍は、食えない雄である。重責をその双肩に担う家督でありながら、その苦労を一片たりとも見せない術に長け、実にのほほんと毎日を過ごしている。
「別に、家督なんて大変じゃないさあ」
秋伍はうそぶく。
「まず家の者を集めるだろ。そして僕がなんだかよく分からないことをいう。そうすると皆、僕を尊敬して頭を下げてくれる。なんて楽しい。なんて愉快だ」
快活に笑う秋伍だったが、私にはどうも理解が出来なかった。
「しかし、責任も付きまとうではないか。家が危なくなったらどうする」
「君は、馬鹿だなあ。危機が迫った時、家の者は皆、家督である僕を守るじゃないか。僕は何をする? 何もせず、守られる役目を果たせばいいのさ」
秋伍は決まってこのようにいう。憎めない口調でこんなことをいうのだから罪である。
私とて秤山家の総領の甚六、家督の責任の大きさは重々承知だ。なにしろ、自らその重圧に耐え切ることあたわずと判断して、本来私にお鉢が回る秤山家家督を叔父の封風に譲り渡し、分家となることを選んだ私である。秋伍のいうことは上辺だけで、その裏には多大なる苦労と嘘を押し込めていることくらい、聞かずともわかる。
つまり滝緒秋伍は、優しい雄である。逗留している私の家庭事情にまで心を配り、あえて悠然と構えているだけなのだ。はじめ、そのことに気づかぬあいだは、私も無神経に「共に大きな家に生まれた身、相談でも乗ってやろうではないか」などとほざいていたが、こうしてのんべんだらりと過ごす秋伍を見ているうち、いかに秋伍の優しさに包まれていたかを知った。それからは、私もその厚意を無にすることのないように、客は客らしく、とかく勝手にあれこれと注文を付け、自由に過ごさせてもらっている。おかげで私もこの一月、世間の話題をこの耳に集めながら、秋伍の陰に隠れてのほほんとしているのである。
この間、秋伍にこう問いかけられた。
「世間では、君のことをなんて呼んでいるか知っているかい、丈雲くん」
なんでも、この私に通り名がついているそうだ。私は思案した挙句に、いくばくかの自虐を込めて答えた。
「『隠遁鬼没の秤山丈雲』、というのはどうか」
「近いね。君の弟の亮雲くんがいい始めたそうなんだが、『とんずら丈雲』だと聞くよ」
おのれ、亮雲め。
これまで紹介した秤山家、盤桜家、滝緒家、この三家を俗に「関東チュダイ御三家」という。共に権勢を誇り、時に協力して関東のチュダイ社会をまとめ、おのおの好き勝手に尊敬を集めている。もちろん些細ないさかいはあるが、三家を中心として、関東チュダイはそれなりに平和に暮らしている。
ところで、関東チュダイ御三家があれば、当然「関東ヒイク御三家」もある。佐樹草家、帆河家、そして斎家だ。この三家は、我々チュダイのように平穏とはいえない。もっとも、野蛮なヒイクどものこと、どうせ平穏であったためしなどないのだが、最近はとみにきな臭い。というのも、佐樹草家と斎家の関係に暗雲垂れ込め雷鳴鳴り響き、まさに一触即発という雰囲気がむんむん漂っているからである。
佐樹草家はヒイクの中では名家と呼ばれ、家督の佐樹草筒次の一言は全関東ヒイクに影響を与えるともいわれている。一方の斎家は新興の一派で、家督である斎新でさえ伝統も礼儀もわきまえないという噂である。この二匹、喧嘩をしない方が難しいというものだ。
きっかけは斎新の息子、斎栄の登場にある。この栄という雄、ヒイクにしては聡明で、ねずみ取りかごに引っかかった弟を助け出したこともあるらしく、昨今の若いヒイクの間で英雄のように扱われているという噂だ。さらに古老たちに対する毅然とした態度とりりしい顔立ちから、若いヒイクどもはどこで覚えたか「トキ・サカエ・ザ・ホープ」などと呼んでいると聞く。私の「とんずら丈雲」とはえらい違いであるが、こいつがカリスマ的に若い世代の尊敬を集め、御三家とまで呼ばれるようになったものだから、親の新が何を勘違いしたのか、斎家こそ次世代ヒイクの旗手になる家であると事あるごとに騒ぎ立てるようになった。
当然、それを面白く思う佐樹草筒次ではない。佐樹草家は斎家台頭以前に御三家に数えられていた家と遠縁であり、良い関係を築いていたようだから、なおさら斎家のことが目障りなのだろう、いろいろと斎家を貶める策を巡らせているそうだ。斎家は斎家で、得た人気をみすみすどぶに打ち捨てるわけもなく、栄を先頭に若造どもを煽って、ヒイク社会革新派の急先鋒となるべく動き回っているわけだ。
老獪な佐樹草家と勢いに乗る斎家の権力争いは、全ヒイク、ひいては我々チュダイにとっても注目の的である。ヒイクどもにとっては、どっちにつけば将来安泰なのか見極めねばならないのだから大変だろうが、我々はむしろ面白がって、あっちやこっち、いやこうだ、と、米粒をかじりつつ呑気に賭けなどをしているわけである。
これが、巷の若者チュダイで流行りの「関東ヒイク御三家相剋宝くじ」である。